矢口冬彦の14

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「あれ?」 酔いが回りトイレが近くなった俺が席を外している隙に伝票がテーブルの上から消えている事に気づく。 またやられた、と小さくため息を漏らし彼を見ると爽やかな笑顔を向けられた。 「約束が違うじゃないですか」 呑気にグラスに残るワインを揺らしなが首を傾げてすっとぼける彼にクレームをつける。 すると彼は残り少ないワインを飲み干し答えた。 「だってまた会う口実が出来るじゃないですか」 こんないい男が回りくどく口実を作る意味が理解できない。しかも俺なんかに。 彼とは今回が三回目の食事で、毎回ご馳走になっているので今日は俺が奢るという約束だったはず。 もう子供じゃないからわかっている。 彼が何を目的にしているかは。 春風に似た声に混じる艶かしさ。 その色気に胸焼けがする。 俺が同性愛者だとカミングアウトはしていない。 けど、多分彼は察している。 同類の匂いを嗅ぎつけたのだ。きっと。 「…次はないですよ」 俺の口から出た断りの言葉に少し驚いた顔をする彼。 そんな彼の顔がちょっと間抜けで可愛かった。 彼は当たり前に次があると思っていたのだろう。自信があったのだろう。 つくづく霞みたいな男。 席に着きタバコを一本口に咥える。 コンビニで購入した安いライターのオイルの匂いと彼が飲み干したワインの残り香が手を取り合い混じり合う。 先端が焦げて苦い煙が立ち上がった向こうで、彼が首を傾げていた。 「俺、何かしましたか?」 しょんぼりと萎れた花のように気を落とす彼にそう尋ねられ、俺は首を左右に振る。 そして正直に答えた。 「すみません。あなたが別れた恋人に似ていて少し辛くなってしまうんです」
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