夢の置き場所

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 やりたかったことって何だったっけ。  朝目が覚めて、セイジは不思議とそんな事を思った。目覚まし時計を確認すると丁度鳴る五分前で、そのまま起きる事にした。  顔を洗う為に洗面所に行き、水道の蛇口を捻る。大雑把に顔を擦り、ふと鏡に写った自分の冴えない表情に吹き出してしまった。 「誰だ。このオッサン」  いつもよりゆったりと朝の準備をし、いつもより早く家を出た。ほんの五分。それだけで駅へ向かう道の顔ぶれが全く違う。見慣れた景色も、どことなく違って見えた。  駅へ着くと、自分と同じようなスーツに身を包んだ人の群れに紛れ、ホームへとたどり着く。  みな、時計を気にしたり携帯をいじったり、誰も周りの事など気にしていない。これが「日常」というものか。そう考えて、自分で自分がおかしくなった。なんとたった五分早く起きるだけで、周りを見回す余裕が出来るとは。  単純なもんだな、緩んだ口元を咳払いで誤魔化す。電車が入ってくるのを報せる音がホームに響いた。皆が一様に一方方向へ首を向けたその時、またあの声が聞こえた。  やりたかったことって何だったっけ。  轟音と共に電車はホームへと着き、黒い人の群れを乗せまた走り出した。けれど、セイジはその電車には乗っていない。ホームでポツリ、突っ立っていた。暫くその場にいたが、空を見上げ息をつくと改札口に向かった。  まだラッシュの時間、向かって来る人の波に逆らって階段を降りる。バスターミナルを何となく見渡して、目が合った。バス停のベンチの端に座る男子学生。セイジは反対側の端に腰を下ろすと、呟いた。 「みんな急いでんな。どこ行くんだろ」煙草を上着から取りだし火を着けた頃、隣から声が聞こえた。 「学校に決まってんだろ」  驚いて隣をみるとその男の子は前を向いたままで、顔はいかにも不貞腐れた様子だった。セイジは煙を吐き、うんと一つ返事をする。  そのまままた、黙り込むものと思っていたら、質問をされた。 「オッサン、オッサンは何でサラリーマンやってんの?」 「・・・・オッサンって、まだ三十ですけど。何でって言われると困るな」  ふぅん、と興味なさげな声がして二人で人の往き来を見つめた。ジリジリと煙草が短くなって、灰皿へと押し付ける。 「なんだ、サボりか?」  セイジはもう一本煙草を取りだしながら、何となく聞いてみた。するとだいぶ間をあけて、少年は言った。 「あのさ、夢って持っちゃいけないの?」  これまた、唐突な質問に煙草を落としそうになる。横を見れば少年の真剣な顔に、あぁ、と独り納得をした。  おおかた親と進路について揉めたかなんかだろう。 「夢を持つのは自由だけどな。納得して諦めないと、拗らすぞ?」 「諦める前提かよ」 「そりゃ、諦めてサラリーマンやってる人間の言葉だからな」セイジは軽く笑うと、でも、大事な事だと付け足した。 「何で?」 「逃げる口実にずっと使うから。本当にやりたかったことはこんな仕事じゃないのに、ってさ。そんで、今日の俺みたいなのが出来上がる」  少年はまじまじとセイジを見て、ため息をつく。セイジはゆっくりと煙を吐き出して、前を向いた。何台目かのバスがターミナルに入って来る。少年が荷物を背負い立ち上がった。 「要するに、やるならとことんやれって事だよな?オッサン」  バスを目で追う少年に、セイジは無言で答える。 「因みに、辞め時を誤ったらどうすんだよ」  セイジは豪快に吹き出すと、「そりゃあ、あれだ。もがけ若人よ」と声を出して笑った。 「んだよ、それ。行くわ、オッサンもサボってないで働けよ」 「おお」  煙草を灰皿へ押し付けたタイミングで、バスの扉が開いた。何となく目で挨拶を交わし、二人はそれぞれの道に歩き出した。
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