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気配を感じて振り返ると、暗いステージに翔が佇んでいる。幻の翔が、縋るような目つきで私を見る。
――気付いたんだろ? と言うように。
違う。これは幻影だ。私の罪悪感が見せる偽物の翔の姿だ。
その隣では尚人が深々と、客席に向かってお辞儀をしたまま動かない。他のメンバーも茫然自失とした様子でステージに佇む。
以前、尚人は「ショウの背中を見ていたら、時々指が動かなくなるんだ。アイツは病で死ぬんじゃなく音楽に殺されるんじゃないかって思えて怖いんだ」と震えながら打ち明けた。
「翔が最後にやり残したのは音楽だけで、残された日々に私が入る隙間なんて、これっぽっちも無いの」と梨沙は泣いた。
自分に目もくれず日に日に弱っていく翔の隣で梨沙が微笑み続けるのは容易ではなく、それは尚人も同じことで、二人はいつしか傷を舐め合うように親しくなった。
そりゃ気付いたよ。自分の鋭さが厭になるよ。
許せないよね。梨沙も尚人も耐えるべきだったよね。翔が耐えているのに、自分らだけ楽になろうとするなんて不誠実だよね。
翔も知っていたんだね。憎んでいたんだね、二人の裏切りを。
だって。
今日のセトリの曲の頭文字を並べると
〈う、わ、き、も、の〉。
私から梨沙に伝えて欲しいの?
自分の口からは言えなかったから?
親友だから?
――でもね、翔。私は君のファンとして、君の復讐心を握りつぶさなきゃならないと思う。
私は客席に佇み、手と手を打った。
「あれっ、アンコール?」
誰かが呟いた。
私の手拍子に帰る客足が立ち止まる。一人、また一人と加わって、手拍子が箱を揺らす。
尚人が困り顔で答えた。
「ありがとー。でも何も準備していないんだ」
「じゃあもう一度!」
私は最前列からステージに手を伸ばす。
幻の翔と目と目が合う。
梨沙が困惑して私の名を呼び、尚人の瞳が揺れた。
ずるいよ、梨沙、尚人。
ずるいよ、翔も。
私にこんな役割をさせようなんて。
君が君の手で歪んだピリオドを打とうとするなら、私は全身全霊でそれを打ち消すよ。
「何でもいいから、もう一度!」
最後のライブの大切なセトリを、そんな復讐の暗号なんかに使わないで。ミュージシャンなら、彼女とその浮気相手だけじゃなくここにいる全員と向き合ってよ。
アンコールだよ、翔。
『こんばんは~! グリーンワルツでーす!』
客席がワアッと湧いた。
『では、お聞きください。〈麗しのレモンスカッシュ〉』
幻の翔が、そっと袖に消える。
きっと親友の選択にがっかりしたのだろう。
本日二度目のその曲は、ひどく新鮮に、懐かしくも聴こえた。
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