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ひとりの英雄が消えた。
英雄の最期を悼むのは、ぼくひとりきり。
英雄の、あなたの写真をぼんやりと見つめながら、ぼくは過去を思い出す。
あなたはいつでも勇敢だった。
「ケンちゃんをいじめると許さないよ!」
泣き虫で弱虫な少年を助けるため、上級生たちにもひとりで立ち向かった。
あなたは負けなかった。相手が複数人でも、相手のほうが力が強く体がおおきくても、何度やられても傷だらけになっても、泣かず引かず大暴れをした。
ついには騒ぎになって、駆け付けたおとなが止めるまで、あなたは戦いをやめなかった。
「へへへ、また何かされたら、すぐいうんだよ」
あなたは、無茶をおとなに怒られたあとも笑ってそう言っていた。
ぼくはうれしくて、頼もしくて、余計にこぼれる涙を止められなかった。
あなたはいつでも強かった。
「ケンちゃん、だいじょうぶ。いつだって助けてあげるから、だいじょうぶだよ」
いっしょに留守番をしていた夜。
鳴り出した電話に出たあなたが、ふたりで出かけた両親が事故にあったと、言った。
急いで支度をしたぼくは、何が何だかわからないままあなたが呼んだタクシーに乗って病院へ向かった。
車のなかでなにかに怯えて泣くぼくの手を握って、あなたは前を向いていた。
二度と動かない両親を前にしても、灰になってちいさな箱に収まってしまったふたりを前にしても、あなたは涙を見せなかった。
「だいじょうぶ。いっしょにいるから。ずっといっしょだから」
ずっと泣いていたぼくの手を握って、あなたは笑いはしなかったけれど涙もこぼさず、そう言った。
ぼくはうれしくて、安心して、余計にこぼれる涙を止められなかった。
あなたはいつでもぼくの心の拠り所だった。
ふたりして引き取られた叔父さんの家で、叔父さんたちはぼくらに気を使ってやさしくしてくれた。
けれどそのせいで叔父さんたちの前で泣けないぼくを、あなたはこっそり抱きしめて泣かせてくれた。
あなたはいつでもぼくの憧れだった。
両親を亡くしたぼくらに過度のやさしさを向けるひとを前にして、ぼくはどうしていいかわからなかった。そんなとき、あなたは笑顔でかわしてぼくを救い出してくれた。
両親を亡くしたぼくらに心無いことばを投げつけるひとに出会って、ぼくはどうしていいかわからなかった。そんなとき、あなたはなんでもない顔をしてぼくを救い出してくれた。
あなたはいつでもぼくを助けてくれて、支えてくれて、ぼくの拠り所で憧れだった。
ありがとう、ずっとぼくの英雄だったひと。
さようなら、ぼくの英雄。
ほんとうは泣いてしまいたいけれど、あなたが迷いなくいけるように、ぼくは精一杯の笑顔で見送るよ。
きょう、あなたはきれいなドレスに身を包み、ぼくではないひとと共に歩みだす。
それがさみしくて、うれしくて、こころぼそくて、でもやっぱり喜ばしい。
定まらない感情に涙がこぼれそうになるけれど、もうぼくはあなたの前で泣かないよ。
「結婚おめでとう、姉さん」
ぼくがそう言えば、あなたはとうとう涙をこぼした。
あなたが見せるはじめての涙。あなたが素直に泣ける相手を見つけたことが、ぼくはうれしくてならない。
やわらかく喜びに満ちたあなたはもうただのひとりの女性で、勇敢な英雄の姿はどこにも見えない。
目を赤くして泣き笑うあなたに、ぼくはちいさなブーケを手渡す。
これは、英雄の最期に手向ける花束。
さようなら、ぼくの英雄。
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