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伝えるということ
四月に入ったばかりの暖かい日曜日。
桜はもう満開で、長く続く桜並木は見事としか言いようがない。
墓地まで続くその桜並木を仰ぎながら、母と私は急な坂道を、息を切らしながら上っていった。
「稔、最後に桜、見たかな」
母が私に半分、空に向かって半分、ぽつりと呟いた。
「あの日も四月の始めだったから、まだ咲いてたよね」
兄が亡くなって十五年。
母の心の中の兄は二十三歳のまま、母の中で生きている。
あの日……。
母はいつもと変わらず、家族を送り出した。なにも変わらない、朝の風景だった。
「あなた、携帯電話、忘れないで。成美、もうドライヤーやめなさい。稔、お弁当持った?」
せわしない母と、マイペースな家族。
「いってきまーす」
兄が玄関で声をかけて、パッと出ていってしまった。
「あっ、稔、お弁当……ああ、持ってったか」
母はダイニングテーブルの上を確認して、ホッと息をついた。と思ったら、
「あなた、成美、二人とも早く。遅刻するよ?」
母は家族が無事に家を出るまで、気が休まらないらしい。
それは幸せな家族の朝の風景。
ずっと続くとどこかで勝手に思い込んでいた時間。
なんの保証もないのに、どうしてずっと続くと思っていたのだろう。
兄が通勤に利用していた私鉄が脱線、横転事故を起こしたのは、それから三十分後だった。
通勤ラッシュ時の事故は多くの命を奪った。
救急隊が横転した一両目と二両目のドアをこじ開けると、おびただしい携帯電話の着信音とマナーのブー、ブーという音。
鳴り止まない音の中で、ほとんどの人が圧死していた。
それでも救急隊は助けられる命があるかもしれないと、必死に活動してくれた。
事故の原因は、数秒の遅れも許されない、厳しい過密ダイヤであった。
あの日、駅で停車位置を少しオーバーしてしまった運転手は、バックして定位置に戻ったため、三十秒以上の遅れで駅を出発した。
運転手は遅れを取り戻すため、かなり速いスピードを出した。そしてそのスピードのままカーブに入り、電車は脱線、横転した。
事故のあった辺りは桜並木に彩られ、桜の中をはしる電車が鉄道マニアに人気のスポットだった。
大学生になったばかりの私は、まだカリキュラムも決まっておらず、新しくできた友人関係も、大学生活も、なにもかもが手探りの時期だった。
心理学の授業を履修するか迷っていると、友人の一人が
「なんか、事故があったみたいよ」
と言った。
まだスマートフォンがなかった時代で、友人はパソコンの画面を見せてくれた。そこには倒れている電車が写っていた。
私は自分の携帯電話を開いた。母からの数えきれないほどの着信が記録されていた。
兄は二両目に乗っていた。
ボロボロになった兄の姿は、看護師さんの心のこもったエンジェルケアでも隠しきれないほどひどかった。
私は圧死の恐ろしさを目の当たりにして、何度も吐いた。
父も真っ青になっていた。
母だけがずっと兄から離れず、頭を撫で、頬を撫で、両肩を抱きしめ、
「痛かったね」
「ごめんね」
と何度も繰り返し、泣いていた。
「桜が嫌いなの。見たくないの」
母はあれから十五年、桜が咲いている頃は外に出たがらなかった。だから兄の命日は家の中で、和尚さんにお経をあげていただいていた。
横転した電車の向こうにずらりと並ぶ、満開の桜を、母は思い出してしまうのだろう。
あの中に、苦しみながら死んでしまった我が子がいたという事実が、母をずっとずっと悲しみの底に閉じ込めている。
月日は母と若いままの兄の遺影だけを残して、確実に時を刻んでいった。
私は大学を卒業し、就職した。
父はあまり家事をしなくなった母に代わり、家事の腕を上げていった。
「お父さんは大丈夫?」
何度も出かかった言葉は、一度も発することができずにいる。
だって大丈夫じゃないことがわかるから。
毎日、ぼんやり、気力を失ったまま座り込んでいる母の背中を、父は心配そうに見つめてばかりいた。
父だって自分の息子を亡くしているのに、仕事をし、家事をし、母の心配までしている。
一年、また一年と経つごとに、私は父と母を比べ、父を素晴らしい人だと思い、母のことを少しずつ軽蔑するようになった。
あの事故からしばらく経ってからだったと思う。
母は時々私に何か言いたそうに、手を伸ばしてくるようになった。
しかし母を軽蔑するようになっていた私は、その手を払いのけた。
「キモいんだけど!」
私はかなりキツい口調だった。
母はハッとして、
「だよね……ごめん」
と俯いた。
私はそのたびにイライラした。
お母さんに気を遣わせて、それでもひどい態度を改められない。私が悪いの?いつまでもお兄ちゃんの影を追って、明るくて元気だった頃に戻らないお母さんが悪いんじゃないの?私だって、お父さんだって、同じように悲しいのに、自分だけ悲劇のヒロインみたいに。もう一生、ふさぎこんでいれば?
私のイライラは止まらなかった。
夜中に目が覚めた。母が泣いている気がして。
私はまたイライラした。
足音を立てないよう、そっと階段を降りていくと、ダイニングテーブルの上の電気がついていた。そっと覗くと、父と母が向かい合って座っていた。テーブルの上に急須が見えた。仲良くお茶を飲んでいるようにも見えた。
ホッとして、階段に足をかけたとき、稔、というワードが耳に入った。
「稔を見た最後の姿が、一瞬だけ見えた背中だなんて……」
母の声は震えていた。
「いつ、なにが原因で、急にお別れになってしまうかわからない。だからいつでも、出かける前は抱きしめて『ずっと大好き』って伝えるって決めてたの。でもね、稔、大きくなってからは嫌がって……。そりゃあそうよね、二十歳すぎてお母さんに毎日ハグされたら、気持ち悪い、やめて、って思うよね。でも……」
父はただ、うん、うん、としか言わない。母も意見なんて求めていないのだろう。
「でもね……やっぱり、どんなに嫌がられても、気持ち悪がられても、一瞬だけ抱きしめて『ずっと大好き』って伝え続ければ良かった……」
何歳頃までだったろう。私が学校に行く朝、友達の家に遊びに行く前……。必ず母は玄関で
「成美、ずっと大好きー!」
と言って、抱きしめてくれた。一秒くらいのハグだったが、母が家にいる時は必ず玄関でハグされた。
思い出した。
中学生になってから、私が
「もうそれ、やだ!」
とはねのけたのだ。
そのときの母の寂しそうな苦笑いを、私は思い出した。
幼稚園児の頃も、小学生の頃も、私は母の『ずっと大好き』が好きだった。絶対裏切られない、100%の深い愛情を感じることで、外での人間関係に自信が持てた。
母の『ずっと大好き』と一瞬のハグは、絶対的な愛情を示していたんだ。
あなたを絶対に裏切らない、離れていかない愛情がここにあるから、安心して、自信を持って、外でいろんな経験をしてきて。
そんな気持ちを、母は伝え続けようとしていたのに。
おそらく兄も、思春期に私と同じように、母の手を払いのけてしまったのだろう。
「大丈夫、伝わってるよ」
父が言うと、母の嗚咽が激しくなった。
親の愛情がきちんと伝わっていると、子供は自己肯定感の高い人に育つというのは、よく知られている。それは後の人生で『生きづらさ』を感じずに生きていけるかどうかということに、影響を与えるらしい。
母がそこまで考えていたかどうかはわからない。自分の子供がいつまでも幼く、かわいい三歳児くらいに見えていただけなのかもしれない。
ただ、母が私に手を伸ばしてくるようになった理由がわかった。
「伝わってるってば……」
私は小さく呟いた。
二十三歳の男が出勤する前に母親にハグされていたら、確かに引く人は多いかもしれない。でも欧米ではいくつになっても親子でハグするし。うちはイギリス流で~、って言えばいいんじゃない?
兄の遺影を眺めて、私は心の中で語りかけた。
「伝わってるってば」
と兄も言っているように見えた。
兄が亡くなってから、十五年が経った。
私は三十三歳、息子の海也は一歳半になった。
仕事で海也と離れる直前には、必ず
「ずっと大好きー!」
と言って、ギュッと抱きしめる。
甘いミルクのにおいがしていた海也からは、最近は汗と埃のにおいがするようになり、ちょっぴり悲しい。でも精一杯遊んだにおいだと思うと、やはり愛おしい。
『稔のお墓参りに一緒に行ってほしい。今度の日曜日、行ける?』
母からスマホにメッセージが来ること自体珍しいのに、桜の季節に兄のお墓参りなんて。
私が慌てて電話をすると、母は
「一人で行っても良かったんだけど」
と、あっけらかんとしていた。
「桜、大丈夫?今、満開だけど」
「今でも桜は嫌い。桜が稔をあっちに連れて行っちゃった気がするから」
「え?」
「いや、ちょっと違うかな。あの桜並木があまりにも美しくて、淡いピンク色でいっぱいで、稔は惹かれるように桜に手を伸ばしちゃった。そしてあっちに行っちゃった。そんな気がするから、今でも桜は嫌い」
今度の日曜って明後日だ。二日で桜が全部散るなんて無理だ。
「でもね」
私が困っていると、母は言った。
「ずっと大好き、って稔に伝えたいから」
私は涙がどばっと溢れたことを隠すのに必死だった。電話で良かった。対面していたら、プライドが保てなかった。
日曜日。
お昼前からグングン気温が上がり、午後のお墓参りはじんわり汗をかくほどだった。
満開だったのは数日前だったのか、散り始めた花びらが風に舞い、自由自在に動いていく様子はまるで動きの速い小動物のようで、少し怖かった。
母と二人で坂道を上がって行った。桜並木に沿って行けばいいので、道を間違えようがなかった。
兄のお墓に到着し、私達は墓石を磨いたり、雑草を取ったり、新しい花を供えたりした。
最後にお線香をあげ、手を合わせてからも、しばらく母は動かなかった。
私はお線香の煙がたゆたいながら上っていくのを、ぼんやり眺めていた。
「お兄ちゃんに、ちゃんと伝えられた?」
坂を下りながら、私が尋ねると
「うん」
と母は嬉しそうに笑顔で頷いた。
桜の花びらが春風に乗って、歩道の片隅に渦を作った。
その渦の中に、お兄ちゃんが微笑んで立っているように見えた。
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