感情のないフルート

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その子からは感情というものが感じられなかった。 フルートを持って堂々と吹いている姿は銅像のよう。 隣で吹いている私がフラフラに見えるくらいだ。 その子の名前は情花という。 みんなひっそりと「感情のない高嶺の花」と呼んでいた。 キリッとした顔を少しも動かさずに吹くフルートは、情花の心を内を表すようにまっすぐと音が飛ぶ。 私達が片付けるのに早くて5分のフルートを情花は手入れをしていても、早かった。 一言も喋らない口からは「遅いですね」と聞こえてきそうだ。 私はフルートを口につけると、息を入れる。 だんだん大きく、そしてきれいに。 それでも情花には勝てないんだ。 情花は時計を見るとそそくさと片付けを始めた。 今日は自主練で、いつでも帰っていいことになっている。 私はフルートから口を離すと情花の方を見た。 相変わらず揺らがない目をしていた。 「ね〜情花、ここのリズムわかる?」 私は楽譜を情花の方に向けると聞いた。 情花はフルートを片付けると手拍子でリズムを叩く。 やっぱり一言も喋らないんだ。 私は少し残念になりながら 「ありがと〜」 とお礼を言った。 情花は笑顔を見せることもなく一礼して帰っていった。 一時間後 「もうそろそろいっかな」 周りを見ると音楽室にいるのは私だけだ。 今日は自主練に来ていた人が情花と私だけだったから当たり前っちゃたり前。 私はフルートを分解すると片付けを始めた。 と、 「暑っ……!?」 音楽室が何だが暑い。 そのとき、訓練でしか聞いたことのない放送が響いた。 「火事です火事です。三階家庭科室で火災発生」 家庭科室は隣だ。 火災……。 私はパニックなりながら訓練でやったことを思い出す。 無意識のうちにフルートケースのチャックをしめる。 そして、そのまま背を屈めた。 ハンカチを口に当て、もう片方の手にはフルートケースを握っている。 音楽室のドアを開けた。 その先は「火」とか生易しいものじゃなく「炎」だった。 いつだろうか、家族で行った本格中華のお店を思い出した。 ビリっと暑さが皮膚に入り込んでくる。 フルートは暑さに弱い。 私はフルートケースを抱えるとハンカチを一層強く口に当てた。 どこか出れる場所は…… 「ゴホゴホ……」 黒い煙が音楽室に蔓延する。 こんなことになるならドア開けなければよかった。 私は一度フルートを置いてドアを締めた。 そして、もう一度フルートを抱えた。 もちろん背はかがめたままだ。 そのままダッシュでグランド側の窓を開けた。 楽器を持っているときは走っちゃだめだけど…仕方ない! カチャっと歯切れのよい音がする。 窓が空いて黒い煙は少し外に出始めた。 でも、もう遅いかも…。 黒い煙はもう私の肺まで来ていた。 「ゴホ…助けて………!!!!!!!」 精一杯叫ぶ。 だけど腹式呼吸がしづらくて声が響かない。 嫌……いや……!!死にたくない……!!! と、窓の外に情花の姿が見えた。 学校が燃えているのに気づいたのだろうか。 情花の目線は家庭科室の方。 私は慌ててフルートを取り出すと、外に向かって吹いた。 きれいな音は出ない。 でも…情花なら私の音ぐらいわかるでしょ!!? 精一杯息を入れる。 肺の黒い煙が全て出るくらいに。 情花…助けて。 次の瞬間、情花はまっすぐ私の方を見ていた。 感情のない目は驚きに変わっている。 私はそのまま吹き続ける。 窓を覗き込むと、やっぱり情花は気づいていた。 フルートケースを私の方に向けている。 私は精一杯叫んだ。 「情花!!助けて……!!!!!」 涙が、フルートにふりかかる。 情花は私の方を見てそして叫んだ。 「………南さんっ!!!」 私の名前。 フルートの低い音のような心地の良い声だった。 「南さんっっ……!!」 情花は涙を流しているのだろうか。少し声がかすれていた。 あぁ……なんか、目の前が真っ暗だ。 あんまり、見えない。 「あそこに人がっ…!!」 情花の助けの呼ぶ声を聴きながら私は目をつぶった。 黒い煙はもう、私を包み込んでいた。 私は最後にフルートを一回だけ吹いた。 そして自分でも聞こえないくらいの声でつぶやく。 「情花、ありがとう」 耳に情花のフルートの音を残すことができたから、私は笑顔だった。 透き通ったフルートの音が私の耳に届く。 情花だ。 情花が吹いているんだな。 なんで、そんなに悲しそうな音を出すの? 情花ならもっときれいな音が出せるでしょ? もう一度フルートをふこうと口に当てる。 もう、音は出なかった。 この女の子の死体はあまり焼けておらず、フルートを口に当てたまま笑顔で死んでいたという。 完
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