セルフコントロール

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セルフコントロール

 倫美さんと朱莉が暮らし始めた家の中には、色が増えた。玄関では、ビタミンカラーの切り花が家族を出迎え、モノトーンが基調の殺風景な居間では、南国産の観葉植物が活き活きと育ち、砂糖菓子みたいなレースのクッションがソファーで増殖した。 「本当に、私達に遠慮している訳じゃないのね?」  中3の秋、僕が志望する高校名を聞くと、両親は顔を見合わせてから、揃って眉間を曇らせた。進学率の高さを誇る、隣県の男子校。両親が訝しむのは、全寮制だという点だ。この家を出て行く理由が自分達にあるのでは――そう懸念しているのだ。 「違うよ。僕、K大に進みたいんだ。ここは内部進学者の推薦枠があるから、外部受験するより楽できるだろ」 「お前、楽って……」  肩透かしを食らったようにポカンと呆れ顔になった親父の横で、倫美さんの表情は一層引き締まった。 「隼人くん、朱莉の受験のこと、気にしてる?」 「ええ? そこまで考えてないよ、義母(かあ)さん」  全く、女の勘ってヤツは。一瞬ヒヤリとしながら、涼しい顔でシラを切る。確かに受験生が連続する状況は、我が家の家計に負担をかける。シワ寄せが年少者に行くのは必然で。だけど、僕の真意はそこじゃない。 「とにかく、3年後を見通して考えた進路なんだ。変えるつもりはないからね」 「隼兄(はやにぃ)、休憩しない?」  ノックと同時に開かれたドアの隙間から、甘い香りが忍び込んできた。断ろうにも、朱莉の片手にはマグの乗ったトレイがある。 「あー、うん」  英語の参考書にシャーペンを挟んで、机の上にスペースを作る。 「ママと焼いたの。どう?」  リンゴの香りの紅茶の横には、チョコチップクッキーの皿。 「んー……甘い」 「もぅ。張り合いないなぁ」 「あ、ごめん」  いつものようにベッドに腰かけて、朱莉は頰を膨らませる。その無防備な態度は、まるで僕を男として認識していないからなのか。意識しているこっちは、自分の部屋なのに居心地が悪い。 「隼兄……あたしって、やっぱ迷惑?」 「え? なに、突然?」 「わざわざ寮に入んなくてもいいじゃん」 「ああ……聞いたんだ」  家族になって1年後、彼女は僕を兄として受け入れていた。互いに微妙な年頃、もう少し距離を置かれるかと思っていたんだけど。 「兄妹って、憧れだったんだけどなぁ」 「なんで過去形だよ。これからも兄妹だろ」 「そうだけど」 「寮に入っても長期休暇には帰って来るし、電車で2時間もかかんないし」 「そうだけどっ。もうっ!」 「うわ」  殊更に素っ気ない態度が気に障ったらしく、彼女は側にあった枕をボンと僕にぶつけると、部屋を出て行った。椅子の背に当たって落ちた枕を床から拾い、ベッドに放る。 「……仕方ないだろ」  彼女がなにを考えているのか分からないけれど、自分の心は分かっている。このまま一緒に過ごしたら、僕は確実に彼女を好きになってしまう。もちろん、義妹(いもうと)なんかじゃなく――。  半年後、予定通りに進学すると、僕は実家を離れた。親父と倫美さん、そして朱莉――少なくとも表面上は、家族みんなに祝われて、笑顔で送り出された。僕も笑って玄関のドアを出た。朱莉の本心は掴めなかったけれど、この判断は正しいと信じていた。そうだ、正しかった……間違っていなかった筈なんだ……。
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