崩壊のプレリュード

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崩壊のプレリュード

「授業中すみません。村瀬(むらせ)、ちょっと来い」  現代文の授業中、担任の菊地(きくち)先生がドアをガラリと開けて、僕を呼んだ。板書をノートに書き写していた僕は、周囲のざわめきを押し退けて、大人しく廊下に出る。 「今すぐ荷物をまとめるんだ」 「なんでですか」 「詳しくは職員室で話す」 「……はい」  教室に戻ると、周りからは質問の嵐。答えられないまま、私物を放り込んだ鞄を手に、再び教室を出る。担任の歩調がやや早いから、合わせて廊下を急ぐ。か細い木枯らしが窓の隙間から聞こえて、横目で見た空は鉛色の雲に塞がれていた。  神妙な雰囲気の職員室に入ると、いきなり受話器を渡された。ずっと通話が保留されていたらしい。 「あの、村瀬ですけど」 『隼人か?』 「父さん? え、どうし」 『倫美が、亡くなった……』 「――なんで」  沈痛な涙声から伝わる親父の泣き顔でもなく、冬休みが終わって帰寮するときに見た義母の笑顔でもなく、このとき僕の脳裏に浮かんだのは朱莉の姿だった。たった1人の肉親を亡くして、彼女はどんなにショックを受けているだろう。 『通勤の途中……停留所の、バス待ちの列に、車が……突っ込んで来たそうだ……』 「――ま」  ?  喉の奥から迫り上がった言葉を飲み込む。母親(ママ)の命を奪った事故の記憶が蘇る。遺品の中にあった赤い傘は、折れた骨が飛び出して……衝撃の強さを物語っていた。 「村瀬、1人で帰れるか?」  担任の手が肩に添えられ、我に返る。受話器の向こうからは、低い啜り泣きが聞こえてくる。 「あっ、はい。父さん、僕、すぐ帰るから」 『ああ……俺達は、倫美を迎えに行く。家で、待っていてくれ』  受話器を置いた後のことは、余り覚えていない。寮で必要最低限の物をリュックに詰め、副担任が駅まで送ってくれて、電車に揺られて、タクシーで帰宅した――らしい。その辺りの記憶は曖昧だ。  葬式も目まぐるしく過ぎた。僕自身が悲しむ暇もなく、親父と朱莉の世話に明け暮れた。2人は、放っておくと仏壇の前から動かず、食事もほとんど口にしなかった。学校で認められている忌引の期間が終わる頃、朱莉の合格通知が届いた。地元で1番の進学校――だけど、実家から通える高校を選んだのは、彼女なりに家計の負担を考えていたのかもしれない。 「ママも、喜んでくれているよ。俺達も、前を向かなくちゃ、な……」  初七日を済ませた夜、仏壇のある和室で親父は無理矢理笑ってみせた。それをきっかけに、朱莉も涙を拭いた。 「僕も、週末は出来るだけ帰ってくるよ」  入寮していても、週末は実家に帰省出来る。今までは「予習復習」を言い訳に、なるべく寮に残っていたが、これからはもっと帰ろう。遺された僕達は、また支え合って傷を癒していかなくちゃならないんだから。
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