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バックカントリーの罠
淡い水色の冬空が、横殴りの白い礫に掻き消された。肌が露出している顔の一部が凍えて痛い。
「父さん、こっちだ!」
リフトを降りてから500m程滑った辺りで、僕はストックを大きく振った。針葉樹の木立に沿って張られているオレンジ色の防護ネットが、そこだけ途切れている。
「そっちは……マズいぞ、隼人」
「えっ? なに?」
慎重にネットの間をすり抜けて、先へ進もうとすると、強く腕を掴まれた。
「そっちの斜面は、管理区域外だ。雪崩の危険がある」
ゴーグル越しに見える親父の眼差しが険しい。分かっている。バックカントリーは、必ずしも滑走禁止区域ではないが、スキー場で管理・整備していない区域だ。フワフワの新雪が魅力だが雪崩も起こりやすく、仮に遭難や事故が起こっても自己責任となる。
「でも、朱莉はこっちに滑って行ったんだ!」
「おい、隼人、待てっ!」
「僕は、行くよ。危険なら、尚更だ!」
腕を振り払って、ネットを超える。スキー板がズブリと深く沈み、人の足が入っていないことを否応なしに感じてゾッとした。それでも僕は、朱莉の後を追うべく新雪の斜面を慎重に降りた。雪は細かいが、引っ切りなしに吹き付けてくる。視界も悪い。何度か転びながら、針葉樹の林の中を降りていく。もはや滑るというよりは、スキーを履いて降りているという方が的確だ。
「おい、気をつけろ」
また大きく尻餅を付いたとき、すぐ後ろから親父の手が伸びて立たせてくれた。
「父さん、あそこ! 木の根元に、なにか見える!」
白く霞む視界。その中に、鮮やかなピンクのスキー板が見えた。針葉樹の根元から2本、ピンと目印のように生えている。
「まさか……ツリーホールか?」
大雪が降った後の針葉樹の根元には、丸い穴がみられることがある。枝葉に降雪が遮られ、幹の周囲だけ擂り鉢状の深い穴が出来るのだ。スキーヤーが立木にぶつかって頭から落下したり、うっかり近づきすぎて嵌まることがある。厄介なのは、この穴が時には2mを超える深さになることと、外の新雪とは対照的に穴の表面の雪は引き締まっており、蟻地獄のように容易に脱出出来ないことだ。
「朱莉っ!!」
僕は、叫んだ。そして、親父と共にスキー板を外して、膝まで埋まりながら慎重に近づいて――
「うわあっ?!」
穴を覗き込んだ背中を思い切り突き飛ばした。親父は頭から転げ落ち、振動でドサーッと枝葉の雪が降りかかった。朱莉のスキー板は、親父の身体の下敷きになり、彼と一緒に巻き込まれて落ちた。くぐもった声が、苦しげに呻く。オレンジのスキーブーツだけが穴から飛び出し、虚しく宙を蹴っている。
「シュリ! シュリー!」
少し下の斜面から、ピンクのスキーウェアが現れた。
「ハヤト……!」
駆け寄って、抱き合った。震えているのは、寒さのせいだけではない。僕らは脱ぎ捨ててあった2人分のスキー板を履き、防護ネットを目指してゆっくりと斜面を上っていった。
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