私が桜と春を嫌いな理由

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私が桜と春を嫌いな理由

 わたし、花宮さくらっていいます。  誕生日は3月。春生まれだから、さくらって安直だよねって両親も笑っていました。わたしが生まれたその日、お母さんの病室から見えたさくらがとっても綺麗だったんだって。まるで春の妖精が舞い降りたみたいだ!って感動したお父さんがつけたのがこの名前。  なんてほっこりエピソードつきの名前。  名乗ればみんな口を揃えてこういうの。 『春らしくて素敵な名前だね』  わたしはそう言われたとき、どんな顔をしたらいいのかいつも分からなくなる。だってわたしはこの名前を『素敵』なんて思ったこと一度もないから。  春生まれ、名前はさくら。ねえ、どんな女の子を想像した?  日曜の朝7時に現れる魔法少女みたいなピンク色の髪をした無邪気でみんなに好かれるような子?  それとも、黒髪ストレート、凜とした雰囲気のある生徒会長をやっていそうな近寄りがたい美女?  そのどちらでもないのかな。でもきっと、春の季節に相応しい華やかな子を想像するはず。  その想像力は、いつも鋭いトゲになってわたしに突き刺さる。  お世辞にもイケメンとは言えないお父さんそっくりの顔。  身長169センチ、体重は引いても10残らない。  骨太でよく言えば『強そう』ってやつ。でも運動は苦手。  せめてもと勉強を頑張ってみたけど、高校の第一志望には落ちたレベル。  こんな名前、大嫌い。  さくらって名前のつくお菓子も、この季節になると音楽の時間に歌わされる卒業ソングも、私が一番だって疑わず春の象徴みたいに咲き誇るピンク色の花も。全部がうっとうしい。  少なくとも、好きになれる要素なんてこの16年間どこにもなかった。  舞い散る桜吹雪のなか、同じ制服を着た子がわたしに大きく手を振りながら走ってくる。すれ違う人がみんな振り返るような笑顔で。 「さくらちゃん、おはよう! 一緒にいこっ」 「……おはよう、サクラ」  細くて長い手足、華奢な肩。柔らかそうでさらさらなストレートヘア。  SNSにアップされたモデルの加工後の顔がそのままでてきたみたいな綺麗な顔。親しみやすくて、明るい性格。  みんなこの子の名前を聞いたとき口を揃えてこういうの。 『きみにぴったりの名前だね』  篠塚サクラ。夏生まれ。わたしの幼馴染み。  ちなみに、母子家庭だったけど最近医者と再婚したとかで豪邸に引っ越したばかり。  毎朝、心底思う。春が嫌い。さくらってこの名前が嫌い。  この名前はとことん私を惨めにさせる。 「もう春だねえ、桜って幸せな気持ちになるから不思議だよね」  無邪気に笑うあなたが嫌い。  そして、そんなあなたを遠目でみている先輩。  わたしは、あの人が好きだった。 「サクラちゃん。俺と付き合ってほしい」  放課後の空き教室で告白。なんてベタな。少女漫画か。  そんなツッコミをしつつ、わたしは棚の後ろに隠れて息を殺した。この教室から見える校庭がこの学校一番綺麗に見えるのを発見して、それから毎日部活の時間はここに入り浸ってスケッチをしている。他の子は写真を撮ってそれを見ながら描いているけど、実際に見た方が情緒が伝わる気がする。なんて言うのは建前で、本当は一人で絵を描くのが好きだから。  好きな時間さえ簡単に壊されるんだ。最悪、トラウマになりそう。  好きな絵を描いている時間に、好きな人が幼馴染みに告白している現場に遭遇なんて。しかも、わたし好きな人を追いかけてこの高校に来たの。  単なる滑り止めだったわけじゃなかった。誰にも言ったことないけれど。 「ごめんなさい。私、恋愛とかよく分からなくて……ごめんなさい」  完全な拒絶。なにそれって顔してる。  たぶん、私も先輩も同じ顔をしていると思う。 「あっ……そうだよね。なんか急にごめん。忘れて」  3年胸に秘めた片想いはいまここで終わったわけで。  へらへら笑った先輩はひとり教室を出て行った。 「いるんでしょ。さくらちゃん」  名前を呼ばれて、びくっと大袈裟に反応してしまい、隠れていた棚にぶつかって存在感を主張してしまった。  もうやけくそだと、一呼吸置いてから冷静を装って顔をだす。 「いるの知ってるならこんなところで告白されないでよ」 「他のところにしようって言っても聞いてくれなかったし、なんか焦ってて無理矢理押し込まれちゃったんだもん」 「なにそれ自慢?」 「自慢になるの? 怖かったし、さくらちゃんがここにいるの分かってたから嫌だったよ。私、先輩のこと好きじゃないもん」  私が先輩のことを好きなんて、この子は知らない。  でも、もう止められなかった。 「アンタはいいよね。名前通りの見た目で」  目は合わせられない。でも視界の隅であの子が固まったのが分かった。 「私さあ、先輩のこと好きだったの。中学のときに私の名前綺麗だねって言ってくれた初めての男の人だったから。でも結局は顔と名前がいいほうを選んでんじゃんって感じだけど」  堰を切ったようにぶつける。これ以上言っちゃいけない。もう手遅れだって分かってる。でも、心のどす黒さが口から溢れて止まらない。 「しかもお母さんの再婚で医者の娘になったんだっけ? もう持ってないものないじゃん。私、アンタが隣にいるといっつも惨めになる」  溢れた本音の汚さが胸につっかえて気持ち悪い。  しかも、ぼろぼろ涙まで溢れてきた。 『サクラちゃんって可愛いよね』  並んでいるときにそう言われて、名前が同じだからって絶対に反応しないように「そうだね」って笑うことしかできない気持ちが、アンタに分かるはずない。背伸びしたリップが同じ色だったとき、恥ずかしくてこっそり引き出しに放り込んだときの惨めさが分かるわけない。  制服の袖で涙を拭ったら擦れて痛いし。もういやだ。  目の前のサクラは黙っていたけれど、わたしの話が途切れるとふうっと息をついてひとり言みたいに話し始めた。 「私はさくらちゃんが羨ましかったけどな。傍から見ても愛されてるって分かる両親がいて……。名前が一緒でも私はお父さんが好きだったアイドルの名前そのままつけただけみたいだし、色々思い出すからってお母さんは私の名前呼んでくれないよ」  淡々とした口調にわたしの涙がぴたっと止まる。 「でも仕方ないよね。私昔のお父さんにそっくりなんだって。お母さんがいつも言うんだあ、私は美人なんだからなにがあっても笑っていなさいって。多少のことは美人税ってやつよって……友達だと思ってた子にもなにやっても顔がいいからってまとめられちゃうし」  ふと、中学時代の記憶が蘇る。  クラスのリーダー格の女子がサクラに好きな子が盗られたとか難癖つけて騒いで嫌がらせを始めた。無視、私物隠し、破壊のオンパレード。 落書きされたノートを必死に写し直す健気な姿に心打たれた他クラスのイケメン男子が公開告白してエスカレートしたり。  でもそれを、サクラは笑っていた。なにも言わず。  だから余計にムカついた。  当然のこと、そんなふうに言われても納得出来ない。  有名税みたいに言われても。滞納して当然でしょそんな謎税。  顔をあげるとサクラと目が合ってしまう。涙は完全にひっこんでいた。 「だからさくらちゃんが私の顔に触れないでいてくれるの凄く嬉しかった。中学の時クラスでいじめられたときもさくらちゃんがやめるように言ってくれたんでしょ? それに、第一志望って言ってた高校だって私の勉強に付き合わせてなければきっと……」 「別に正義感でやってたわけじゃないし。なんとなくだから」  そう、なんとなく。  同じ名前で嫌味を言われているのがムカついただけ。  勉強だって落書きだらけのノートじゃテストのときに不公平だと思ったから。第一志望に落ちたのは、単に努力不足。 「でも、私のそういうところがさくらちゃんを傷つけてたんだよね」  大きくて綺麗な目に涙を溜めて、でも泣かないように堪えている。  校庭の桜が風に舞って、それを背景にする姿は一枚の絵画のようで。 「……ムカつくくらい絵になるよね、サクラ」  恥ずかしい。顔だけだって、そう思い込みたかった。  被害者顔して、相手の苦しみを見ようともせずに何でも持っている癖にと駄々を捏ねた。  私は手に持っていたスケッチブックに大きくバツをつける。 「さくらちゃん……?」  不安げな顔をする友達に私は笑った。 「謝らないでよね。私も謝らないから」  お互いを少し知ったくらいで、自分の中の苦しみが変わるわけじゃない。  このコンプレックスはお互いにずっと付き合って行かなきゃならないのだと思う。 「私、サクラの絵が描きたい。そこ立ってて」  きょとん、としたサクラが戸惑いながら私の指示に従って左右に動く。  ポケットや持ってきていたらしいバッグのなかを漁ったりしている。 「えっと……私お返しできるようなものないよ。あっ、クラブで作ったサクラクッキー食べる?」 「モデルになってって私が言ってるんだからお返しとかいいよ……クッキーは食べるけど。あと今度おすすめのリップ教えて」  ぶっきらぼうにそう言ったら「もちろん!」って食い気味に嬉しそうに返された。数年ぶりに食べたサクラ味のお菓子は、クッキーにしては分厚くて最早スコーンかと思ったけど……おいしかった。  ピンクの花、自分の名前、友達の名前。  向き合って、折り合いをつけるのに必要な時間は嫌いになった16年の倍以上ある。大丈夫。きっと、いつか、お似合いですねって言われるようになってみせる。いつか、綺麗だねって面と向かって言えるような大人になりたい。  今はまだ、そう思うだけ。そう、嫌いなサクラに決意した。 終  
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