新田の血

1/1
15人が本棚に入れています
本棚に追加
/75ページ

新田の血

 しばらくして、武子は父俊純から大変なことを聞かされた。 「わしは、しばらく国に帰ることにした。御公儀にもそのように願い出て、お許しを得た。そなたはどうする」 「大変なこととは、どのようなことですか」 「御公儀を倒すと言う輩が、跋扈しているというのだ」 「そのようなことが、まことでございますか」 「本当のことじゃ。しかし、この事はご公儀には伏せてある」 「父上について行きとうございます」 「分かった。好きにするが良い」 「いつご出発でございますか」 「7日後じゃ。準備を怠るなよ」 「わかりました」  武子は次の日、三枝の家に向かった。 「綾ちゃん、急なことなのだけれど、父上と一緒にご領地に戻ることになったの」 「そう、上州もきっと大変なことがあるのね」 「そうらしいの。父上はどうなさるおつもりなのか、わからないのだけれど、私のできることでもあればと思ったの」 「寂しくなるのね。でも、また戻ってきてくれるのね。楽しみにしているわ」 「私も、絶対に江戸に戻ってくる。約束する」 「約束ね」  そう言って、二人は別れた。武子はすぐにでも、江戸に戻ることができると信じていた。  上州の新田の荘につくと、仙之助が出迎えていた。 「殿様、無事なお帰り、おめでとうございます。姫様も、ご帰国おめでとうございます」 「それで、勤王倒幕の者たちはどうなった」 「同志を募り、走り回っているようでございます」 「誰か、繋ぎになるものはおらんのか。会いたいのだが」 「大丈夫でございます。身近におります」 「まさか、おぬしか」 「はい、私、仙之助が、頭目となっております。これは、殿の新田の血筋を考えれば、当然おわかりだと思っておりました」 「新田の血筋か」  俊純は暫く考え込んでいた。そのためらいをおわらせようと、仙之助は畳み掛けるように言った。 「帝をお守りするのは、我らに課せられた使命と考えます」  俊純はうっと声を出すと、仙之助を睨んでいた。 「分かった。家をあげて協力しよう」  そうやって、武子の父岩松俊純が新田勤王党の盟主となっていた。  しかし、この事は公儀、代官に知られていた。そして、党員の幹部が捕縛されてしまった。 「父上、このような事態になるとは、お考えにならなかったのですか。仙之助を始め、名主の息子といった者たちが捕縛されてしまいました」  武子は父にこの事態をどう治めるのか、確認しておく必要があると思っていた。 「皆に気をつけように申し付けておいたのだが、少し動きが派手になったかもしれん」 「父上、そのように気楽に申されることではありません」 「ひとまず、仙之助の母御は、この屋敷にて使用人となって身を隠しております。捕縛されていない者たちには、集会を持たぬよう申し付けました。他にやることはございますか」 「わしにもわからん。だが、武子の言う通りで良かろう」  岩松の家のものは大人しく、公儀に従うふりをして、やり過ごそうとしていた。そんな岩松家に不思議な客がやってきた。 「失礼仕る。わたしは、鮫島雲城と申すものでございます。岩松様、お久しぶりでございます」 「鮫島雲城、久しいの。いかが致した」 「この度、東山道 鎮撫総督 岩倉具定率いる官軍が参ります。新田勤王党としても、加勢していただきたい」 「それは、本当か。こちらとしても、手助け頂きたいのだ」 「どうかなさいましたか」 「実は新田勤王党の幹部が代官所に捕縛されてしまった。そう遠くない時期に討たれてしまう」 「わかりました。お助けできるよう取り計らいます。まずは、岩倉様に従いいただく文をお送りください。私の手のものがお届けいたします」 「早速、書こう。待っていてくれるか」 「はい、大丈夫でございます」  そうして、俊純は奥にこもって文をしたためていた。その様子をうかがっていた武子は、鮫島に茶と菓子を出していた。 「このようなもので申し訳ございませんが、どうぞお召し上がりください」 「これは、うまい饅頭ですね。こちらの地のものですか」 「はい、そうでございます。嬉しいことでございます」  鮫島は武子を見つめていた。その目線に武子は見つめ返すようになっていた。 「麗しい方だ。しかも賢明な方だとお見受けしました」 「そのようなこと、申されても」  少し頬に赤みが差して、武子ははにかんでいた。 「そうでした。お父上の文遅いですな」 「父も、かなり悩んでいるようでございます。いままで、お仕えした御公儀を背くことになろうとは。私もまだ実感がないのです」 「時世は新しいことに変わっていきます。武士も男子もおなごも」 「おなごの生き方もですか」  武子はこの人の言っていることに、何か新しいものを感じていた。。もっと話を聞きたいと思ってしまっていた。好奇心がただひたすらに胸をときめかせていた。 「あっ殿様」 「書けた。これがその文だ。よろしく頼む」 「分かりました。必ずお届けいたします」  そう言うと、鮫島はこの家を出ていった。武子は見送りながら、少し安堵していた。しかし、胸がドキドキしていたことは確かだった。  事態は数日後大きく変わっていった。 「殿、岩倉様の使者という方が見えています」 「分かった、会おう」  そう言うと、小姓の一人が岩倉の使者というものを連れてきていた。 「岩松様でございますな。こちらが主、岩倉具定からの文でございます。お納めください」 「ありがたいことだ。お預かりいたします」  そう言って、その場で開けて返事をした。岩倉様にはこちらの屋敷を使っていただいてもかまいませぬ。お世話をさせていただきたい。そのようにお伝え下さい」 「ありがとうございます。主にそのように伝えます」  そう言って、戻っていった。すると又数日経って、岩倉の軍が捕縛された者たちを開放した。仙之助も屋敷に戻ってきていた。 「殿、ご迷惑をおかけしました。この上はこの一身を持ってご奉公いたします」 「そのようなところまでは良いであろう。今まで通りやってくれ」 「姫様も、お気遣いいただき申し訳なく」 「母御をこの屋敷においただけです。逆にこちらがお世話になった」  武子は事態が収まりつつあることに、安心していた。
/75ページ

最初のコメントを投稿しよう!