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第5話:推しを守る呪文
「──氷の剣よ!!」
そんな言葉が響くと共に、スライムの粘液から解放される。
ディアはそれに気づくと思いきり酸素を吸い込んだ。目を開けると、リオンが冷たい目でディアを見下ろしている。
スライムの粘液で少々溶けた皮膚が痛みと痒みを伴って真っ赤になっているディアを見て、リオンは──
「冗談を真に受けるんじゃない! ──馬鹿が!」
もの凄い形相で、怒鳴った。
あまりの理不尽さにディアは呆然とする。そのうち怒りが湧いてきて、勢いよく立ち上がった。
「馬鹿とはなんですか、馬鹿とは! ネアンの森で魔花を採ってこいとおっしゃったのはお兄様自身ではありませんか!! 冗談には到底思えませんわ!」
「だとしても、馬鹿なお前でも無謀だって事は分かるだろう馬鹿!! もし俺が助けなかったら、今頃どうなっていたか分かっているのか馬鹿娘っ!」
「馬鹿馬鹿言い過ぎですわよ!! それに分かってますわよそれくらい!! お兄様が、来てくださらなかったら、私は……私は──スライムに、喰い殺されてましたわ……っ」
「!」
身体が震える。気づけば、泣いてしまっていた。前世でも今世でもディアは一度も命の危機など感じたことはなかった。
心のどこかで思っていたのだろう。この世界は所詮ゲームなのだからなんとかなる、と。
……でも違う。それは今、はっきりと思い知らされた。がしがしと恐怖を紛らわせるように両腕を掻きむしる。頭が真っ白になって、余計な事まで吐き出してしまう。
「……お兄様は、どうせ私なんか死ねばいいと思ったのでしょう……」
「っ、」
「それもそうですわよね。傲慢で、我儘な私なんて、自分の両親と同じように魔物に喰い殺されればいい……!! むしろ邪魔者がいなくてスッキリするでしょうね……!!」
「そ、それは……」
リオンは言い返せなかった。自分の気持ちには正直な人だ。きっと実際にそう思ったのだろうとディアは理解した。
(まぁ、当然よね。愛される役はいつだって主人公のものですもの。クリス様さえ愛されれば私的にはどうでもいいわ。私は悪役。むしろリオンがこうして助けに来てくれただけで泣いて喜ぶほどの奇跡なのよ。それは、分かってるの。ちゃんと理解している。だけど……)
──どうして、こんなに寂しいのだろうか。
前世を思い出して、前世の両親や友人にはもう会えないと分かったからだろうか。
今世の両親もディアを愛してくれるのは愛してくれるが、それは自分がディア・ムーン・ヴィエルジュだからだ。
異世界転生なんて簡単に言えるが、今までの人生を捨てて次に行くなんて事をあっさりとやってのけるほどディアは単純な性格ではなかった。
(私が、最初のターゲットにリオンを選んだのは本来のディアの感情が移ったからだって思ったけど……。それはきっと違う。私自身が、理由は違うといえど同じく両親を失って孤独だった彼に同情したからだ……)
ディアは感情を押し込めて、リオンの横を通り過ぎる。
「魔花を探してきます。まだ今日が終わるには時間がありますわ。自分の力で、というのが条件ではありましたが、私がお兄様に助けてと言ったわけではないので見逃してください」
「おいっ! ま、待て! ディ──」
──その瞬間。
森の奥から、化け物の咆哮が轟いた。明らかにスライムやゴブリンのものではない。逃げる間もなく、木々や巨大きのこ達がなぎ倒され、目の前に巨大な影が現れた。
ディアは唖然とする。
「なに!? この、怪物は……!? まさか……ウッドサーペント……!?」
濃厚な魔力が満ちる魔界の森に生息する巨大蛇──ウッドサーペント。
全長八メートル、新緑色の太い体、頭には真っ赤なトサカ、見た者を恐怖させる黄金の瞳。目の前の化け物は間違いなくそれに該当していた。
ウッドサーペントは主人公達が魔族との最終決戦のために魔族の領地──魔界へ向かう途中で出くわした怪物である。
「なんで、ここにウッドサーペントが!! 経験値ボーナスモンスターでもなかったはず! この周回ステージに現れるような魔物では決してないはずなのに!!」
とにかく逃げなければ。しかし足が竦んで動けない。
(仕方ない。ここはリオンを頼るしかない! 作戦よりまず命が最優先よ!! リオンにどうにかしてもらって、運送屋の魔法陣まで逃げ切れば……!)
だが、横を見てもリオンの姿はなかった。まさかと思い、目線を下げるとすっかり腰を抜かしてしまっている情けない青年の姿がそこにはあった。その瞳には涙が溢れている。
「あ、あ、あ、母上……父上……喰わ、喰われて……俺は、僕、は……ああ、あああああ……!!」
(しまった! ウッドサーペントは確かにドラゴンに似ている! ドラゴンに両親を食べられたリオンがトラウマと重ねてしまうのも無理はない!!)
ディアは拳を握りしめた。少しの間だけ目を瞑ったが、すぐに現実と向き合う。
涎を垂らし今にもこちらを丸のみしようとする巨大蛇と睨み合ったのだ。
(なんて絶望的な状況。……でも、諦めたくない。自分が愛した作品を、キャラを、目の前で死なせるもんか! 最推しがクリス様ってだけで、リオンだって大好きなキャラの一人だ! どんなに彼に嫌われたって、私は、私は──推しを、守る!!)
「オタク魂を、なめるなぁ───!!」
手を掲げる。そうして、全力をこめて叫ぶ。
この森に来る前に予習していた、推しを守るための魔法の呪文を。
「──護れ!!」
同時に放たれた白く輝く光がその場を包んだ。突然の光に思わず目を瞑ってしまったディア。
恐る恐る目を開けてみると──
「これが、守護魔法……」
「黎明のリュミエール」では、魔法とは発動者の強い想いに応えてくれるものだという。
ならば今、ディアとリオンをすっぽりと覆うようにそびえ立つこの立派な盾も、ディアの想いに応えてくれたものなのだろうか。
白く輝くディアの盾にはヴィエルジュ家の家紋がはっきりと浮かび上がっている。ディアはそんな盾に、どういうわけか鼻の奥がじんわりと痛むのが分かった……。
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