(依頼人に)だまされる

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(依頼人に)だまされる

「…………あっ! えっ? ちょ、なにっ」 「あ、千聖さん、起きましたね。おはようございます」 「おは、ちがっ、そ、じゃないっ」  おはようなんて挨拶している場合じゃない。なぜこうなった、なぜこの人と、なぜ……なぜ、俺が。  千聖のなかの「なぜ」は考えるそばから貫き灼かれ、解決には至りそうにない。  顔を背ければ脱いだシャツが雑に散らばっている。どこだ、ここは。見たことのない部屋。ベッド上、全裸の自分。裸というか……これは真っ最中だろう。否定したい推測を、田辺の体温が肯定する。嘘だろ、こんなとこに突っ込むのかよ。その手の依頼人もいるため知識自体はあったが、自分がまさかソッチ側だとは。こんなガチムチの男を抱きたいやつ、いるのかよ。いや、むしろ男相手なことも考えられないわけで。 (待て、何より、問題は……)  相手が悪い。自分がこの状況だというのは百歩譲ってあとで考えるとして、クライアントに手を出すのはまずい。いや、出されているのか? 記憶がない。メールで夕食に誘ってきた田辺を無下にできずOKしたところまでは覚えている。そこからレストランで、出てから……? だめだ、そこから先が一切わからない。思い出せないというより、そもそも目にしていないのかもしれない。泥酔したって、おぼろげでも記憶はある方なのに。  上で腰を振り続ける田辺の、太腿を押さえつける力の強さに驚愕する。不本意ながら何度かジムで見る羽目になった新山の体よりも数段細身なのに、一体どうして、どこにこんな力があるんだ。 (違う、だからそこでもなくて)  どうして田辺なんだ。薄幸の美青年だと思っていた男が、今は大きな目を爛々と輝かせながら自分を組み敷いている。幸が薄そうには感じない。儚さも頼りなさも感じない。存在感あふれる、圧倒的な雄がそこにいた。 「千聖さん」  舌をねじ込まれる。触れる唇はやわらかく、割って入ってくる舌は長い。口蓋をすべて舐めあげられる。気持ちがいい……違う、そうじゃない。 「田辺、さんっ……」  止まらない突き上げに快感を拾っていたと気づいて寒気がした。こんなところで、気持ちがいい? まさか。嘘だろ。 「やだな、名前で呼んでくださいよ」  そこでようやく、田辺がさっきから「千聖」と呼んでいたことに気づいた。新山がしょっちゅう呼んでくるせいで麻痺していた。 (恨むぞ、新山)  そうだ、こんなところで感じるのも、全部あいつのせいだ。あいつが変態だから……は、さすがに違う。考えなくてもわかる。それでも、新山のせいにしたかった。聞きたくもない自分の喘ぎ声に耳を塞ぐこともできない現実。そしてそれが、苦しくない。痛くない。気持ちがいいから、問題だ。つきそうになった溜め息は、全身を揺さぶられて霧散した。
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