(依頼人に)だまされる

2/2
前へ
/19ページ
次へ
 やめてくれと言えない。それが悔しい。 「ずっと、いいなと思ってて」  亜麻色の細い髪は汗に濡れている。 「ぱっと見強面だけど、タレ目で、口も小さくて、かわいいなって」  捨てられた子犬のように見えていたのに。 「刑、法……」 「あははっ、さすが弁護士さん。でもね、合意ですよ、これは」  懸命に冷まそうとしている頭を、またかき混ぜられる。中も一緒くたに。 「どう、いう……」  どういうことだ。合意? これが? 自分はいつ? そもそも酒すら、今日は飲んでいないはずなのに。普段も飲まないし、何より、クライアントの前だ。 「僕、離婚成立したんです。昨日」  じゃあ、もうクライアントじゃない? ……だからって安心できないだろ。 「ちょっと、話すのあとでいいですか。もう出したい」 「いやっ」  出すな、と言いかけたところで、ペニスに手をかけられる。だらだらと涎を垂らしていることに気づいた。自分の体にもやめてくれと言いたい。言っても、どっちも聞いてくれない。 「千聖さん、かわいい」  昔に言われ慣れた言葉がかけられる。中と……腹の上にも。こっちは、言うことを聞いてくれなかった自分の体が出した分か。  思えばご無沙汰していた。前の彼女と別れて以来の性の快感。そりゃ我慢してくれないわけだ、と納得する一方で、男の、しかも依頼人相手に、とも思う。嫌悪感やら罪悪感やらを判別できない。快感も混じっているだけに厄介だった。全部嫌悪感で済めば良かったのに……いや、それも良くないのか。混乱する。 「……現状説明、お願いしても?」  生半可な筋トレでは音を上げなくなった体で息を切らしながら、短く問うだけで精一杯だった。そんな千聖に抱きついた田辺は額の汗を拭い、どこからどう見ても無害そうな笑顔を浮かべて言った。 「また名前で呼んでくれたら、いいですよ」 (「また」……?)  ということは、自分はすでに田辺を名前で呼んだことがあるということか。まったく記憶にないのは、どういうことだ? 「貴之、さん?」 「あ、覚えててくれたんですね! 嬉しいです」  無邪気に喜ばれても、こっちはクライアントの名前として覚えていただけなのにな。喜べる状況でもないし。通報されるとは考えないのだろうか。 「って言っても、僕がとっても、千聖さんのこと好きだってだけなんですけどね」  喜色満面の笑みでようやくすべて思い出した。田辺――貴之とのことを、三年前から。 「君……貴之くんか」  今度こそ思い出してもらえたと喜ぶ貴之の腕に抱かれて、再会して喜べる相手ではないな、と千聖は溜め息をついた。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

62人が本棚に入れています
本棚に追加