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やめてくれと言えない。それが悔しい。
「ずっと、いいなと思ってて」
亜麻色の細い髪は汗に濡れている。
「ぱっと見強面だけど、タレ目で、口も小さくて、かわいいなって」
捨てられた子犬のように見えていたのに。
「刑、法……」
「あははっ、さすが弁護士さん。でもね、合意ですよ、これは」
懸命に冷まそうとしている頭を、またかき混ぜられる。中も一緒くたに。
「どう、いう……」
どういうことだ。合意? これが? 自分はいつ? そもそも酒すら、今日は飲んでいないはずなのに。普段も飲まないし、何より、クライアントの前だ。
「僕、離婚成立したんです。昨日」
じゃあ、もうクライアントじゃない? ……だからって安心できないだろ。
「ちょっと、話すのあとでいいですか。もう出したい」
「いやっ」
出すな、と言いかけたところで、ペニスに手をかけられる。だらだらと涎を垂らしていることに気づいた。自分の体にもやめてくれと言いたい。言っても、どっちも聞いてくれない。
「千聖さん、かわいい」
昔に言われ慣れた言葉がかけられる。中と……腹の上にも。こっちは、言うことを聞いてくれなかった自分の体が出した分か。
思えばご無沙汰していた。前の彼女と別れて以来の性の快感。そりゃ我慢してくれないわけだ、と納得する一方で、男の、しかも依頼人相手に、とも思う。嫌悪感やら罪悪感やらを判別できない。快感も混じっているだけに厄介だった。全部嫌悪感で済めば良かったのに……いや、それも良くないのか。混乱する。
「……現状説明、お願いしても?」
生半可な筋トレでは音を上げなくなった体で息を切らしながら、短く問うだけで精一杯だった。そんな千聖に抱きついた田辺は額の汗を拭い、どこからどう見ても無害そうな笑顔を浮かべて言った。
「また名前で呼んでくれたら、いいですよ」
(「また」……?)
ということは、自分はすでに田辺を名前で呼んだことがあるということか。まったく記憶にないのは、どういうことだ?
「貴之、さん?」
「あ、覚えててくれたんですね! 嬉しいです」
無邪気に喜ばれても、こっちはクライアントの名前として覚えていただけなのにな。喜べる状況でもないし。通報されるとは考えないのだろうか。
「って言っても、僕がとっても、千聖さんのこと好きだってだけなんですけどね」
喜色満面の笑みでようやくすべて思い出した。田辺――貴之とのことを、三年前から。
「君……貴之くんか」
今度こそ思い出してもらえたと喜ぶ貴之の腕に抱かれて、再会して喜べる相手ではないな、と千聖は溜め息をついた。
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