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久しぶりの対面会議は時間がかなり押していて、解散と共に廊下にに溢れ出た社員達は、皆一様に時計を気にしながらそれぞれの持ち場に戻っていく。
「田村、ロンドン支社行き決まりそう、って本当か?」
ドタドタと荒っぽくフロアタイルを蹴る音に振り返ると、同期の橋本がハリネズミのような髪を揺らしながら近づいてくるところだった。
「まだ正式な辞令はおりてないけどね」
私は落ち着いた声でそう返す。
「マジか、すげーな『同期の星』ってヤツか」
一重瞼の奥からは黒い瞳がキラキラとこちらに向けられている。
「まだこれからだよ。あっちでどれだけ成果を残せるか、だから」
「そういう謙虚で貪欲なところが大事なのかね」
「どうだろ」
「にしても、あっち長くなりそうなんだろ? 彼氏とかは大丈夫なのか?」
「うん。自分の思うようにやってこいって」
「うわっ、やっぱ彼氏いたんだ」
橋本はワックスで固めたツンツン頭を大袈裟に抱えてみせる。
「橋本だって彼女いるでしょ?」
「それとこれとは別だよ。きっと社内中の田村ファンが泣くな」
「どうだか……。私って、可愛げないでしょ?」
「そこが良いってヤツもいんだよ」
「否定はしないんだ」
私が呆れたようにそう言うと、橋本はツンツンと尖った頭をポリポリと掻いてみせた。
「あー。とりあえず、お前、自分が思っている以上にモテるぞ」
後ろから佐藤君が「橋本先輩」と頼りない声をかけてくる。
橋本は「じゃ」と手をあげると、再びドタドタと大きな音を立てて走り去っていってしまった。
私も軽く手をあげてそれに応える。
本当は彼とは数日前に別れたばかりだった。
私自身が遠距離に自信がなかったから、自分から切り出した。
彼の事は好きだったけれど、目の前にある仕事よりも彼の事を大切にする自信がなかったから。
彼は少し寂しそうな顔をしてから、「自分の思うようにやってこい」と言った。
やっぱり、私って可愛げがないのかな……。
私は両腕を上げて思いっきり伸びをしてから、気合を入れなおした。
この後は14時から藤本産業と打ち合わせの予定だ。
正式な引き継ぎはこれからだけど、自分が本社にいる間にできる事は全部やっておきたい。
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