「彼は男性です」

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「彼は男性です」

 光にあふれたサンルーム。  天井からさし込む陽の輝きは、再度まぶたを閉じたくなるほどだった。  エヴァンはゆっくりと吐息を漏らした。眠気をふり払うように、長い金色のまつげにふちどられた瞳を、数回またたかせる。  まだ眠気にぼやけているが、ガラス越しに庭園の様子が見える。そこかしこにで花が咲き誇り、幻想的な美しさを誇っていた。  そんな庭園の、ハーブが植えられた花壇の前に、一人のメイドの姿がある。  くるぶしのあたりまでを覆う、長いスカートの黒のワンピースに、白のエプロンドレスをつけた、由緒正しきメイド服。  頭には見慣れた白のヘッドドレスをつけているが、エヴァンはその者の髪が、男のように短いことが気になった。  この世界では、女は慣習的に髪を伸ばすものであり、髪の短い女を見かけることは、そうそうないからである。  ここは、エヴァンが統治する荘園にある領主邸。当然、目の前に広がるのはエヴァンの庭園である。つまり、そこにいるメイドもエヴァンが召し抱えている使用人のはずだ。しかし、その後ろ姿に見覚えがない。  エヴァンはラタンのカウチから、ゆっくりと上体を起こした。また数回またたきながら、メイドの姿を見つめ、つぶさに観察する。  その者は庭で何かをつんでいるのか、片手に籠を、もう片方の手に剪定鋏を持って、作業をしている。その者の所作は優雅であり、ふるまいにおかしなところはないが、エヴァンの心の中で、何かが引っかかっていた。  そうだ……と思う。  あのメイドは妙に背が高い。スタイルが良いとかいう限度を超えている。そして体格も良いようだ。髪型も相まって、まるで男のように見える。というか、あれは男ではないのか。  思考がそこまで至ったが、「いや、まさかな」という思いと同時に、まだ寝ぼけているのかと己を疑う気持ちが重なり、両手で目を擦った、そのとき。  「お目覚めになられましたか、エヴァン様」  まろやかな壮年の男の声がして、エヴァンはそちらへと視線を向ける。彼の執事であるギルバートが、サンルームの入り口に立っていた。  脇にはフットマンのネイサンが控えている。彼は銀の水差しを手にしていた。ネイサンはギルバートの甥だ。今年で二四歳になる。 「少しは遠征で溜まったお疲れが、取れましたかな」  ギルバートに問いかけられ、エヴァンは曖昧に頷く。メイドに意識が向いていたためであるが、いつも凛とした態度を示すエヴァンにしては反応が悪い。  そんな主の様子を見て、ネイサンは水を注いだコップを差し出した。  エヴァンは受け取ったコップの淵に口をつける。すると、ミントの爽やかな香りがついた、キンと冷えた水が喉を潤した。心地よい清涼感を感じ、おかげで眠気が冴えた気がした。  改めて、窓の外の庭園と、そこで作業をしているメイドを見る。 「ギルバート、ここだけの話にしてくれ」  とエヴァンが前置きをしたのは、いくら自分が召し抱えている使用人とはいえ、ご婦人の性別を疑うことの無礼さをわきまえていたからだ。 「あそこに見えるメイドなのだが、どうも俺には、彼女が男に見える」  どう問おうか逡巡したのは一瞬のこと。結局は、ド直球の質問を投げかけていた。一瞬の沈黙がサンルームに落ちた。  その沈黙を破り、ブフッと吹き出す笑い声を立てたのはネイサンだが、ギルバートに睨めつけられて、なんとかまた平静を取り戻す。  ギルバートは咳払いを一つした後に穏やかな微笑みを浮かべ、鷹揚に頷いた。 「はい、おっしゃるとおり、彼は男性です。マリアンヌの代わりに新しいメイドを探しますというお話はさせていただいておりましたが、覚えておいでですか? 急を要したために、エヴァン様が遠征中に採用を決めてしまったのですが。結局、彼をメイドとして雇うことになりました」 「『彼をメイドとして雇うことになりました』という言葉のおかしさに、気がつかないか?」  エヴァンは思わず突っ込んだ。  マリアンヌとは、エヴァンが領主になる前から、長年この邸宅を管理していたメイドだった。しかし、加齢と急な病で思うように体が動かなくなり、本人の希望もあって、つい先日メイドの職を辞することになったのだ。  エヴァンが統治するユレイト領は小さい上に、いまだ開拓が満足に進んでおらず、土地自体も痩せている。そのため領主であっても、贅沢な暮らしをしているわけではない。  使用人は執事のギルバート、フットマンのネイサンに、メイドのマリアンヌと、もう一人、リリーという娘の、わずか四人だけであった。加えて、ギルバートはエヴァンの内政の補佐としての仕事が主である。邸宅の中での実作業に、基本的には参加しない。  他にはコックと守衛も一人ずついるが、家の中の雑務を行う三人の中の一人が欠ければ、仕事の手が回らなくなることは明白だ。  そのため、エヴァンもマリアンヌが辞めたときに、新しいメイドを召し抱えることは、ごく当然のこととして認識していた。  家中のとりしきりは全てギルバートがおこなっているため、自身が不在の間に採用を決定されたことにも不満はない。  ただ、不思議でならないのだ。  なぜメイドの募集をしたはずなのに、男を雇うことになったのか、と。よい人材に出会ったために予定を変更し、フットマンとして雇うのであれば理解はできる。しかし、男を純然たるメイドとして雇い入れるなど、前代未聞だ。  ギルバートは頷き、軽く手を振ることでネイサンを下げさせると、 「エヴァン様がご不在の間のことを、お話させていただいてもよろしいですかな?」  と語り始めた。
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