いつもと変わらない日和さんの話

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いつもと変わらない日和さんの話

高輪の記憶では大場日和はありがたいタイプのお客だった。 姉上はここの常連だし、義兄にあたる大場氏はほがらかでよくお客様も紹介してくれる。 大場日和本人も、うまく薦めればそれなりに買い物をしてくれる人物だった。 お金に関してはまあまあしっかりしていたかな。 しかし問題が出来た。大場日和は1年ほど前に結婚したのだ。もちろん本来ならめでたい話だ。 ただ相手が問題なのだ。 どうやらお見合い結婚らしいとか、同性婚とかそういうことは問題ではない。 相手が黒澤稔ということだ。 黒澤稔自身は以前も店に来たことがある。なんならちょっとした常連だった。彼自身アパレル関係の仕事をしていたし服が好きだった。時には友達も連れてきてくれるありがたい客の一人。 しかし彼の最初の妻が、この服飾業界では知らない人がいないという有名人なのだ。そしてこの店の常連でもあった。 高輪も彼女のことはよく知っていた。知りすぎるほどに。 どういう経緯で離婚したか世間には知られていないが、それ以来黒澤稔はこの店にも同じようなセレクトショップにも現れなくなったし、アパレル関係の仕事もやめたらしい。しばらく海外に行っていたという話だ。 つまりこの業界から締め出されたということだ。 離婚は怖い。 大場日和は結婚相手の前妻がこの店の常連だと知っているのだろうか? 姉上夫婦は情報通だから、もちろん知っているだろうがあえて黙っているのか、あるいは別に関係ないと思っているのか? いやいや、こんなこと考え出したらキリがない。 「今日は何をお探しですか?」 「こちらなどいかがですか?」 「この色味がすごくお似合いですね」 「大場様の雰囲気にぴったりです」 「こういうタイプを一つお持ちになるとなにかと便利です」 あれよあれよと言う間にシャツとパンツ。そして自分では絶対に選ばないであろうブルーのダウンジャケットなどを買うことになっていた。 まあ、これで着ていくものが決まったのだからありがたいのだけど。 「お持ち帰りになられますか?それともご自宅にお送りしましょうか?もちろん今日中にお届けできます」 「持ち帰ります」 明日着るのだから、なるべく早く持ち帰りたい。 「すぐ着られるように、タグを切ってもらえますか?」 「はい。お包みはどうしましょう?」 「なるべく小さくなるように詰めて下さい」 沢山洋服を買い込んだところを、稔君や家の人たちに見られたら恥ずかしい。隠れるように持ち込まなければ。 高輪は微笑んだ。高級ブランドを買う客の多くはブランドロゴが入った商品が大好きだ。そして派手な包装と馬鹿でかい紙袋を望むのに『なるべく小さく』だなんて、やはりお金持ちは違う。 皺にならないように細心の注意を払いつつも出来る限りコンパクトに包んだ商品を受け取ると大場日和はささっと帰っていった。 面倒のないありがたい客だな。旦那の件以外は。 週末の旅行と言っても所詮一泊である。 みんなでなんとなく浜辺を散歩してから両親と漣君は水族館に行ったが、稔自身は部屋で昼寝をしながらネットで映画を見る位だった。それからみんなで鉄板焼きの夕食を食べたあとは解散する。稔は景色がいい静かなバーで少しお酒を飲む。それがいつもの流れだったが、約半年ほど前から少し変わった。 今日もラウンジの隅にある海が見えるソファでウイスキーを飲んでいると、案の定日和が現れた。 気配を察知されないように、なるべく静かに近づいてくる様子は返って目立つ。研修一日目の探偵みたいだ。 「こんばんは」 楽しくなさそうな顔をしてもぞもぞと呟く。変わった人だ。 「どうかしましたか?」 日和さんの目的には気づいているけど、意地悪してそう聞いてやる。 居心地が悪そうな顔でしばらく逡巡したあと、やっと言った。 「部屋に来ない?来てほしい」 「シャワーは?」 「浴びたよ」 つまりこの人はベッドに行こうと誘ってるのだ。 最初に「部屋に来ないか」と声をかけられた時は意味が良くわからなかった。 部屋に行ってやっとその意味を理解した時はビックリした。 大人しそうな外見に似合わず、酒が入ると誰かれ構わず誘うタイプの人なのだろうか?結婚する前にうちの親も日和さんの身辺調査をしたけど、好色家という噂はなかった。あるいは隠していたのかもしれない。 断った方がいいのか? そう思いつつなんとなく流れにまかせてしまった。 結論から言うと、日和さんはそんなに『手慣れている』感じではなかった。 演技なのかもしれないけど、場数を踏んでるようでは無い。 じゃあなんで俺に声をかけたんだろう?稔はとても不思議だった。 ひょっとして手軽に遊ぶ相手が欲しかったけど、家柄的になかなか適任者が見つからなかったのかもしれない。俺は結婚相手だし、問題を起こさないと判断して声をかけたのだろうか? 大場家は名門の金持ちである。 日和さんの祖父は一代で不動産業のトップにのしあがった、いわゆる『成り上がり』なのだが、その奥様である日和さんの祖母は華族の血を引く名家の出身。色々な業界に幅が効くらしい。 お陰で今では不動産だけでなく、IT分野まで幅広く裾野を広げている。 「家よりワンランク上、むしろツーランクもスリーランクも上のお金持ちよ」 結婚が決まった時に母さんに釘を刺された。 「最初の結婚の時みたいに問題を起こさないようにね」 最初の結婚のことは思い出したくなかった。忘れたい。 何しろあの結婚のせいで(正しくは離婚のせいで)稔はアパレル業界から干されたのだ。 父親のコネで勤めた地味な事務の仕事(それだって正社員になれたのは本当に有難いことなのだが)をこなしながら自分はもうファッション関連の仕事は出来ないのかなと諦めていたところに、この結婚話が浮上した。 まさに渡に船。 日和と結婚すれば、もっとちゃんとした仕事にありつける(コネで雇ってくれていた会社に重ね重ね失礼な話だが) 会ってみたら日和本人も大人しいし、清潔感のある普通の男の人だった。 相手もどうやら嫌ではなかったようなので、2人はいわゆる「政略結婚」をしたのだ。 一応結婚したものの、必要以上に関わる事はないだろうと思っていた。 思っていたのに、いつの間にか週末の休暇ではベッドを共にする仲になっていたのだ。 「じゃあ部屋で待ってて下さい。僕もシャワーを浴びたらすぐに行きます」 そう言って微笑むと、日和はこくこくと頷いた。 わざと魅惑的に見つめると居心地悪そうに右手のカウンターの方へ去っていった。 稔がソファから立ち上がると、なんと三メートルほど後ろに蓮くんがいた。 『げっ』 今の会話を聞かれていたのだろうか? 「どうしたの?」 「いえ、明日の朝ご飯は何時くらいに行けばいいかと思って」 「それなら父さんか母さんから連絡が来ると。俺は朝寝坊するから食べないと思う」 蓮くんはハイと返事して「おやすみなさい」と部屋に戻って言った。 どうやら聞かれてなかったようだ。 ホッとしつつ、早くシャワーを浴びなきゃと稔も自室に戻って行った。 シャワーを浴びて日和さんの部屋に行くと、彼はソワソワしていた。 ソワソワしているところを悟られまいと頑張ってるんだろけど、どう考えてもソワソワしている。 「眺めがいいですね」 窓の外の海を見ながら稔がそういうと、日和は「そうだね」と同意した。 「海は好きですか?」 「そうだね」 「冬の海は、夏とは違いますね」 「そうだね」 「どちらが好きですか?」 「どっちかな」 どうしよう。会話がちっとも弾まない。 日和が焦っていると、稔が近づいてきた。 そっと日和の首筋に手を触れて、顔を傾けとても自然にキスをされた。 そのままもう片方の手を握りしめられる。いつの間にか抱きしめられ胸がぴったりとくっつく。 ダンスしてるみたいだ。 日和はそんなロマンチックな事を考えた。 『やっぱり日和さんと稔さんは恋人同士なんだ』 蓮は先ほどの会話をばっちりと聞いていた。そもそも以前から2人の関係を知っていた。 蓮が養子になる時に『あの2人は愛情以外の絆で結ばれてるんだよ』と日和の義兄、つまり蓮の伯父にあたるハヤトさんがそう教えてくれた。 蓮は子供だったが、世の中にはいろんな人がいて、いろんな愛があって絆があって、いろんな形の結婚があることは理解できた。 そうして日和と稔の養子になった。 実際、日和と稔は隣とは言え別の家に住んで別の生活だった。 蓮を小学校まで送り迎えする時や、親戚の集まりとか学校の行事とか、たまに一緒にご飯を食べる時以外は全く別の生活だった。 物静かな日和と、社交的だけど1人の時間も大切にしている稔は形式的な結婚相手として相性がいいようだ。 半年ほど前だろうか。その日は日和の姉である玲那さんとハヤトさん夫妻と、日和と稔と自分の5人で仙台へ一泊旅行に来ていた。 今まで来たことのない土地だったから、少し不安だった。 美味しい牛タンをたくさん食べて、各々ホテルの部屋に帰った。けれど眠れなかった。 牛タンはお母さんの好物で両親が生きてる時に一緒に食べた思い出がある。その事を考えているうちに眠れなかくなってしまった。 誰かに話したいな、そういう時はいつもハヤトさんに聞いてもらう。 明るくて気配りが上手で、周りにいる人を和ませてくれるハヤトさんは蓮のこともいつも気にかけてくれていた。 でもハヤトさんばかりに頼るのは申し訳ない。 勇気を出して『父さん達』のどちらかに話してみようかなと思ったのだ。 話しやすいのは稔さんだろうな。 メッセージを送ろうか、それとも部屋に直接行ってみようか2人の部屋の前をうろうろしていると、稔さんが部屋から出てきた。 とっさに蓮は曲がり角の柱に隠れてしまった。 恐る恐る柱の奥から廊下を覗くと、部屋から出てきた稔はシャワーを浴びたばかりなのか、髪の毛が濡れていた。手に部屋のカードキーを握っている。 服装もTシャツにジャージ素材の大きめなシルエットのパンツだった。いつもの姿よりかなりラフで、違和感がある。 何より今出てきた部屋は稔さんの部屋じゃない、日和さんの部屋だ。 稔は向かいの自分の部屋に戻った。 何かあったのかな?喧嘩とかじゃないといいけど。 しばらく待っていると、2、3分で稔はまた部屋から出てきた。 ベージュのシャツと部屋にサービスで置いてあるミネラルウォーターのボトルを2本持っていた。 そしてそのまま日和の部屋に入る。 蓮はその場でじっとしていたが、30分近く経っても稔は部屋に戻って来なかった。 翌朝、荷物を持ってハヤトさんと玲那さんと一緒に廊下で待っていると、いつもとかわらぬ稔さんがやってきた。しばらくすると、ものすごく眠そうな日和さんが合流してきた。 「どうしたの?二日酔い?」 「いや、ただ寝過ぎただけ」 日和さんは稔さんが持っていたベージュのシャツを着ていた。 これはつまり、どういうことなんだろう。 蓮はドキドキしながら稔さんの方を見ると、知らん顔でスマホをいじっていた。 それ以来、2人は恋人なのではないかと睨んでいたのだ。 今日の旅行のためなのか、日和は昨日珍しくたくさんの洋服を買ってきた。バレないようにしていたが、いつも見かけない紙袋だからわかった。 おしゃれしてきたのかな? 死んだ両親も2人きりでデートする時はいつもよりお洒落をしていた。 日和さんと稔さんが仲がいいなら、嬉しいな。 2人が別れたらまた僕は行き場を無くすかも知れない。あとシンプルに2人はお似合いだとも思う。 お洒落で大人だなと思う稔さんと、少し不思議だけど穏やかな日和さんはやっぱり相性がいいんじゃないかな。蓮の両親も二人の様な雰囲気だった。だから余計にそう思うのかもしれない。 海から帰ってきて、月曜からはまた日常が戻ってくる。 会社のデスクの前で伸びをすると背中がピキっと鳴った。 歳をとったなあ。稔は悲しくなった。 以前は金曜の夜から土日までぶっ続けで遊んで、ほとんど寝ないまま月曜に出勤することもあったのに。 今では土曜日に海でのんびりして、日曜の昼に帰ってくるだけでクタクタである。しかも運転は父がしてくれたのに。 まあ土曜はのんびりと言っても、夜は日和さんの部屋で過ごしたので少しは疲れていても仕方ないか。 自分に対して妙ないいわけをしてみる。 日和さんなんて死んでるもんな。 初めて日和さんとベッドに入ったあと、シャワーを浴びて出てきたら日和さんは死んでいた。 本当に死んでいたわけではないけど、ぐったりとベッドに沈み込んでいる。 『日和さん大丈夫ですか?具合が悪いんですか?』 声をかけても返事はない。 首元に触れると脈はあるし暖かいが、何か発作を起こしているのかもしれない。 このシチュエーションで死んだら、色々ややこしいことになる。いや、そもそも人に死なれては困る。 『しっかりして下さい。すぐ救急車を呼びますから』 スマホを握りしめた時、日和さんの身体がぴくりっと反応した。 『やめて下さい』 だいぶ低い声だったが、ろれつはしっかりしていた。 『でも…』 『ものすごく眠いだけです』 『え、そうなんですか?』 つい馬鹿みたいな反応をしてしまった。『え、そうなんですか』?って我ながら馬鹿っぽいな。 『電池が切れるとこうなるんです』 『電池が切れたんですか?』 稔がまたオウム返しをしても日和さんはもう返事をしなかった。 やはり救急車を呼んだ方がいいのか?それともハヤトさんを呼ぶか。おろおろしていると日和さんはまた低い声をだした。 『ほっといてくれれば大丈夫だから』 いつもと同じように楽しくなさそうな顔でそう言い残すと眠ってしまった。 結局部屋にある水を飲ませて、ぐーぐー寝ている姿を観察していたら朝になった。 眠そうだったものの日和さんは次の日には何事もなかったようにしていた。 なんだったんだ。 本当に電池が切れると、ぐーぐー寝てしまうだけだったのかな。 そして日和さんは一緒に夜を過ごしたこともすっかり忘れたかのようにしていた。 なんだったんだ一体。 あれから何ヶ月かたっても、相変わらず日和さんは終わった後には寝てしまう。 ほっとけないので、とりあえず水を飲ませてしばらく観察すると自分も隣のベッドで普通に寝るようになった。 変なの。 日和さんに比べたら自分はまだ若いな。と妙な安心感を持つがそもそも7つも違うのだ。 日和さんはアクティブには見えないし、お金持ちの令息だから体力はないのかもしれない。インドアなのか、わりと色白だし30代にしては肌が綺麗だ。 ぴちぴちでツヤツヤというほどではないが、しっとりしてなめらかではある。水分量が高い。 以前服飾系の仕事をしていたので、モデルや芸能人と接する機会は多かった。水分量だけで言えば、同世代の芸能人より上級レベルだ。 いいスキンケアを使ってるのかな。 「黒澤さん、お先に失礼します」 「お疲れ様です」 ダラダラと考えていたら、もう終業時間だ。俺も帰ろう。 日和さんと結婚して、正直良いことばかりだ。 まずは仕事。 稔は現在、丸の内のお洒落なオフィスで、IT関連のコンテンツ事業をさせてもらっている。 好きな服飾とは遠ざかったが、充分居心地がいい。 カフェやワークスペースもあるスタイリッシュな社内はテレビ取材を何度も受けたことがあるらしい。 駅近だし。ランチを取れるお店が近くにたくさんあるし、テンションが上がる。 会社の方針として『ワークライフバランス』を大切にしているので、ノー残業デーには本当に残業なしで帰れる。ホワイト過ぎる。 そして家。 都内の閑静な住宅街の一戸建てである。まさか自分があの立地で一戸建てに住むとは思わなかったな。 以前は有名な建築家が住んでいたというその家は2つの建物に分かれている。 母屋だった東側に日和と蓮君が、アトリエだった西側で稔が生活している。 アトリエと言っても母屋と同じくらい広いし、わざわざ入居前に改装してくれたので水回りも冷暖房もしっかりしている。 本当にありがたい。 そして生活もだ。居住スペースが全く別だからマイペースで過ごせる。稔は社交的に見えて、実は一人の時間もしっかり確保したいタイプなのでまさしく理想の生活である。 小学校に通う蓮くんは基本的にスクールバスで、塾や外出があるときはどちらかが迎えに行く。 家事は自分の分は自分でやる。 日和さんは果たして洗濯や料理なんて出来るのかな?とひそかに心配していたのだが、それは杞憂だった。 『ネットスーパーで何か頼むものはありますか?』 スマホにメッセージが入った。相手はきよこさん。この人はなんと日和さんの家のハウスキーパーだ。 先ほどの疑問の答えがこれである。 「日和さんは家事とか大丈夫なんですかね?」 本人がいない時にハヤトさんにやんわりと聞いてみたことがあったのだ。 「ハウスキーパーさんがいるから」 「ハウスキーパー?」 「ほぼ毎日来てくれるよ。掃除とか炊事とか、洗濯もかな。稔君の分も頼んでおけばきっとやってくれるよ」 「いや、僕は大丈夫です」 ハウスキーパー自体は稔の家でもお世話になったことはある。兄と姉と自分がまだ小さい時は子守や家事をしてもらった。年末年始や人が集まるときは今でも頼んでいる。 でも成人男子が毎日ハウスキーパーを雇う? まあ、日和さんは一般的な家庭より金持ちだけど。蓮君という子供もいるけど。家だってそれなりに広いけどそれでも毎日ハウスキーパーさんを頼むなんて、やはり財力が違うな。 「大場のおじいさんの家は3人いたよ」 「3人?」 大場のおじいさんとは日和さんと礼奈さんのお母さんの父親である。 日和さんの祖父でハヤトさんにとっては義祖父にあたる。 確かにおじいさんは一代で財をなしたような大物だし、10部屋以上あると思われる二階建てのごつい家に住んではいるけど、3人も必要かな。 「おじいさんというか、おばあさんがお嬢様育ちだからね」 「華族出身でしたね」 「大昔のことはわからないけど、育ちが良いんでしょうね」 なんにせよ世界が違う。 なぜ日和さんが僕と結婚する気になったのかはわからないけど、とりあえずありがたい。稔は感謝した。
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