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(5)色々な意味で前途多難
「ところでシェーラ。この前、精霊王様はシェーラの周囲の出来事を殆どご存知だと言っていたが、そうなると今もこの場の様子を通常の人間が感知しえない、どこからかご覧になっておられるのだろうか?」
唐突にバナンが真顔で尋ねてきた。それに多少困惑しつつ、シェーラが答える。
「え? それはまあ……、見ているのではないかと思いますけど……」
「それなら精霊王様を称える詩を作ってみたから、ここでそれを読み上げたら、精霊王様のお耳に入るよな!?」
「バナン義兄様が、詩作を得意とされていたのは知りませんでした……」
(アスランは絶対にこのやり取りを耳にしていると思うけど、実際に聞いたらお腹を抱えて笑うような気がする……。もう既に笑っているかも)
嬉々として確認を入れてきた義兄を見て、シェーラは彼から微妙に視線を逸らした。するとここで、リオナの冷め切った声が割り込む。
「止めておきなさい、バナン。はっきり言って、あなたに文学的才能はないわ。精霊王様がお腹を抱えて爆笑するだけよ。我が家の恥を晒さないで」
その言い草に、さすがにバナンが憤慨しながら言い返した。
「随分な言いようですね。どうしてそこまで断言できるんですか!?」
「仮にも婚約者に送る手紙なら、もっと情緒に溢れた文面になさい。毎回、陰でフォローする私の身にもなって欲しいわ」
溜め息まじりの姉の台詞に、バナンが顔色を変えて問い質す。
「ちょっと待ってください!? どうしてラリーサに送った手紙の内容を把握しているんですか!?」
「彼女とは以前からの友人同士、かつ将来の義姉妹なのだから当然でしょう? しかもこんな面倒な家との縁組を了承してくださった、奇特な女性で家なのよ? 万が一にも失礼があったらいけないじゃない」
「……私への配慮は?」
「それって必要なの?」
「もう良いです……」
(リオナ義姉様が結婚してこの家を離れたら、その後、本当に大丈夫なのかしら?)
姉に淡々と問い返されて、バナンは項垂れて口を閉ざした。シェーラが義兄に同情すると同時に、リオナが嫁した後の状況を憂いていると、使用人がやって来て来客を告げる。
「失礼します。旦那様、奥様。サルファー殿下がお見えになりました」
「ああ、こちらにお通ししてくれ」
「畏まりました」
その報告に当主夫妻は平然と応じたが、子供達は動揺も露わに両親に仔細を尋ねた。
「はぁ!? どうして殿下がいらっしゃるの!?」
「そんな予定、聞いていませんが!?」
「ああ、なんだか昼前に連絡があって。承諾の返事をしたんだが、お前達に伝えるのを忘れていたな」
「そうね。シェーラが来る予定になっていたからお断りしようと思ったけど、『今回正式に婚約者になった彼女と、改めて顔を合わせたい』と書かれてあって助かったわ」
そこで引っ掛かりを覚えたリオナが、慎重に確認を入れる。
「ちょっと待ってください。どうして殿下が、今日シェーラがこの屋敷に来るのをご存じなのですか? お父様やお母様がお知らせしたのですか?」
「いや? そんな事を一々王宮に知らせたりしていない」
「サルファー殿下は、幼少期から色々と聡い子だったから。勘が働いたのではないかしら」
相も変わらずおっとりとした受け答えの両親からシェーラに向き直ったリオナは、義妹に囁いた。
「シェーラ。言いたくないけど、我が家か神殿にサルファー殿下の手の者がいるみたいだわ」
それにシェーラが、嫌そうな表情になりながら断言する。
「安心してください、義姉様。この屋敷ではなくて、神殿です。あの腹黒王子の乳兄弟とやらが、神殿内で勤務していまして。そもそもその乳兄弟を訪ねて来た折に、殿下に予想外に出くわしたと言うか、ちょっとしたことで目を付けられた経緯がありましたので……」
「そんな事があったのね……。まあ、色々頑張って。私からは、これしか言えないわ」
「ええ、分かっています」
義姉からなんとも言えない表情で慰められ、シェーラは色々諦めて腹を括った。そうこうしているうちに、第三王子であるサルファーが応接室に案内されてくる。
「失礼します叔父上、叔母上。ご家族の団欒中に押しかけてしまって、誠に申し訳ありません」
「いや、サルファー殿下。そんなに畏まらなくても結構ですよ?」
「そうですとも。殿下の方がお忙しいでしょうし、お気遣いなく」
(本当に申し訳ないと思うなら、遠慮しなさいよね!?)
まず当主夫妻に歩み寄ったサルファーは、立ち上がった夫妻と親しげな挨拶を交わした。それを眺めながら、シェーラが内心で腹立たしく思っていると、今度はソファーを回り込んで反対側にやって来る。
「やあ、リオナ。久しぶりだね。結婚式は相手の領地で国外だから、さすがに気軽に行けないからね。出席できない代わりに結婚祝いはなるべく豪勢にさせて貰うよ」
「ありがとうございます」
「バナン。最近、詩作に凝っているそうだが、上達したかい?」
「あの……、殿下。なぜそれを……」
「君の婚約者のラリーサは、兄の妻の妹だから。兄夫婦とのお茶の席に彼女も同席した時、『自分の添削の力量が、めきめき上がっているのが分かる』と言っていた」
「…………」
(バナン義兄様、しっかり! この腹黒王子がぁあぁぁぁっ!!)
三人とも立ち上がってサルファーに一礼してから言葉を交わしていたが、リオナの顔が微妙に引き攣り、バナンの顔が沈鬱なものに変化する。それを見て、シェーラは内心でサルファーに対して罵声を浴びせた。すると今度は、彼が愛想の良過ぎる笑顔を浮かべながら、シェーラに歩み寄る。
「シェーラ、久しぶりだね。あの時、神殿で顔を合わせて以来だ。あの後、コンサータ公爵夫妻と養子縁組したと聞いて、すごく驚いたよ」
その嘘くさい笑みに、シェーラは顔が引き攣りそうになるのをなんとか堪えつつ、精一杯の笑顔で応じた。
「……ご無沙汰しております、サルファー殿下。ええ、もう私も、まさか公爵家の養女になるとは思いもよりませんでした」
「でもそれを知って、運命だと思ったな。出会うべくして、私達は出会ったのだと」
「確かに運命的な出会いでしたね。それは否定しません」
(これ以上はないってくらい、最低最悪な運命的な出会いだったしね!!)
少々芝居がかった台詞にも全く感銘を受けず、シェーラは淡々と答えた。するとそこでサルファーが、声を潜めて問いを発する。
「ところで……。君が実は精霊王と直接コンタクトが取れる、今現在神殿内最上位の上級巫女など足元にも及ばないくらいの霊力保持者だと、未だに神殿にも公爵家にも露見していないのかい?」
その問いかけにシェーラは舌打ちを堪えながら、相手だけに聞こえる声で言い返した。
「神殿でバレたら大騒ぎですよ。でもこちらのご家族には、アスランが自らあっさりバラしてます。『シェーラが世話になるからには、挨拶の一つもしておいた方が良いだろう』と言って、この前あっさり姿を見せてますから」
「でも公爵も夫人も、特に動揺はしなかっただろう?」
「ええ。さすがに驚いてはいましたけど、高貴なお姿を拝する事ができて光栄って、喜んだだけです」
「自分の養女が、精霊王の加護持ちだと自慢して吹聴する人達ではないからな。噂が広がる筈もない」
「平然と私を陰で脅すような腹黒野郎を、『品行方正で優しい子』なんて本気で言っているくらいですからね」
当主夫妻の善良さと見識を認めているサルファーは苦笑いし、シェーラは呆れ気味に感想を述べた。
「まあ、そういうことだ。こちらは王太子派に目の敵にされていて、下手すると命が危ない。間違っても王妃に担ぎ上げられない平民上がりの公爵令嬢を婚約者にしておけば、王位継承の野心は少ないと考えて貰える。それに加えて、変に野心を持っている家や女性を拒む理由になるからな。精霊王の加護付きなのを神殿内でバラされたくなかったら、二・三年の間で良いから私の婚約者として頑張ってくれ」
どこまで自分を都合の良い駒扱いするつもりなのかと、シェーラは腹立たしく思いながら低い声で唸るように告げた。
「この腹黒野郎……。言っておくけど、あんたが私の加護付きを周囲に吹聴しても、誰一人聞く耳持たないわよ?」
「そうかな? あの時みたいに、お前に危害が加えられそうな時は、無条件に精霊王がその力を発揮して保護するだろう? それが衆人環視の中で起きたら、反論できないよな?」
「あのね……。アスランに言って、あなたをどうにかして貰う事もできるのよ?」
「うん? それで脅しているつもりか? お前は基本、善良な人間だからな。多少脅されているからといって、大して実害が出ていないのに、他人を殺したり傷つけたりするのを容認できないと思うが?」
精一杯の反抗をあっさりとあしらわれた挙句、全く反論できなかったシェーラは、小さく歯軋りしながら呻いた。
「この、陰険腹黒野郎……」
「それは滅多に耳にできない、最高の褒め言葉だな」
本気で面白がっているようにしか見えない笑顔を振り撒くサルファーに殴りかかりたい衝動に駆られたシェーラだったが、なんとかそれを堪えることに成功した。
「婚約者同士、仲が良くて結構な事だな」
「本当にお似合いよね」
「二人の笑顔が、気のせいか微笑ましいものに見えないのだけど……」
「どこまで私の詩の内容が広まっているんだ……」
そしてコンサータ公爵家の面々は、その間婚約者同士の交流を邪魔しないようにと二人から少し離れた所に集まり、それぞれ考えを巡らせながら彼らの様子を窺っていたのだった。
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