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名に秘められた澪珠
泰極王は、武尊の方へ向き直した。
「泰極王。澪珠の名は誰が付けられたのですか? その名の意をご存じでしたか?」
驚いて唖然としている泰極王は、言葉が出るまでに少し時間がかかった。
「澪珠の名は・・・ あれは確か・・・ そうだ。澪珠の産まれた日は、雨が降っていたのです。冬だというのに夏のような雷鳴が轟き、雨が降ったのです。夜になって稲妻が光り大粒の雨がざっと降り、すぐに止んだ。あれは、一瞬の出来事でした。だから水にちなんだ名をと、大粒の雨から名を付けたのです。」
「そうでしたか。やはり水と関係があったのですね。
あの水鏡の試練の頃に、私の父が砂漠の王から聞いた話によると、澪珠の名は、雨そのものなのだと。澪の珠。滴そのものだと云われたそうです。
その澪珠が白鹿に嫁いでくれた日、ちょうど白鹿の門の手前まで来た時に、太陽と月の婚礼が起こり五色の霧雨が降りました。その五色の霧雨を都の民も見たようで、都中の民が瑞兆だと喜び、私たち二人を歓迎してくれました。私は喜びと誇りに満ち澪珠を自分の馬に乗せ、二人で都の門から王府までを進みました。民は口々に〈蒼天から天女様が参られた〉と澪珠を歓迎し、それは大変な喜びようでした。
その翌日から白鹿は、二十一日間の雨が降り続き、毎年その時季に決まって二十一日間の雨季が訪れるようになったのです。それは澪珠が嫁いでくれたあの日、太陽と月の婚礼の時に、砂漠の王が約束してくれた白鹿にもたらされたわずかな雨季なのです。その時の砂漠の王の約束の声を都の民も聞きました。
後で分かったのですが、あの時の砂漠の王の声は、白鹿の国中に響き渡っていたのです。雨季の約束を、この国の皆が聞いたのです。
それ以来、治水の池に雨季の雨水が貯えられ、このように美しい風景の国となったのです。今では、少しばかりの農作が出来るほどに豊かになり民の暮らしも変わりました。」
白鹿の国土を見つめながら話していた武尊が振り返ると、泰極王の目には涙が溢れていた。
「澪珠の名に、そのような力があったとは・・・ あの娘に名を付けた時から、そなた達二人の縁は決まっていたのだな。情絲は結ばれていたのだな。」
「えぇ、そうかもしれません。白鹿国も私も、この上なき良縁を頂きました。今では二人の世継ぎにも恵まれ、明日の即位式を迎えられる事となりました。改めて蒼天国と泰極王、七杏妃に感謝致します。そして、澪珠と巡り合わせてくれた砂漠の王にも感謝しております。」
「あぁ、武尊殿。本当に立派になられた。私はもう、何も心配していません。澪珠を白鹿に嫁がせてよかった。尊仁王もさぞ、安心なされた事でしょう。これから、ご挨拶に伺ってもよろしいかな?」
「えぇ、ぜひ。父も喜ぶと思います。泰極王の御心遣いに感謝致します。」
二人は櫓を下り、尊仁王の元へ向かった。
翌日、鮮やかに煌めく太陽が白鹿の国中を照らし、晴れやかな気が広がった。いよいよ武尊の白鹿王への即位式である。王府の大広間には多くの賓客と重臣が集まり、厳粛な気が張りつめるなか即位式は進められた。
大広間を見渡せる高い場所には祭壇が設けられ、酒や香、水、地の恵みが捧げられている。その祭壇に向かい、金色の衣を纏った尊仁王と真っ白な衣に金糸で雄獅子が刺繍された王衣を纏った武尊皇太子が揃って祈りを捧げる。そして、尊仁王から国玉、国宝目録、継承の剣と扇が武尊に手渡され、尊仁王は冠を外し祭壇を下りた。その姿を見送った武尊が即位の誓いを述べ、戴冠を受けると王位は無事に武尊へと引き継がれた。
泰極王と七杏妃は、武尊の立派な姿とそこに寄り添う白絹の衣に金糸の雌獅子の王妃衣を纏った澪珠の姿を、目頭を押さえつつ見守っていた。
一連の即位式が終わり客間へ戻った泰極王と七杏妃は、茶を飲み一息ついた。すると泰極王が、ぽつりぽつりと話し始めた。
「澪珠が産まれれた日、冬なのに夏のような雷鳴と大粒の雨が降った。何かの知らせのようにざっと降って止んだ。だから澪珠と名付けた事を覚えているかい?」
「えぇ、泰様。はっきりと覚えていますわ。澪珠の産声をかき消す程の雨粒の音が聞こえました。」
「その澪珠という名に、すでに白鹿へ嫁ぐ縁が結ばれていたようだ・・・」
「えぇ。私も昨日、澪珠から白鹿へ嫁いだ日の事と砂漠の王が明かした名についての話を聞きましたわ。」
「そうだったか・・・ 私も武尊殿から聞いたよ。この世の縁、情絲というものは、どうにも不思議なものだなぁ。澪珠は白鹿に嫁ぐ巡り合わせだったのだな。今日の武尊殿は、実に頼もしく立派だった。もう安心だ。尊仁王もすっかり安心しきった様子だった。」
「えぇ、本当に。澪珠は、よき情絲を得たと安堵いたしました。白鹿の国も想像よりずっと水があり豊かな国でした。」
「あぁ。治水の技術と雨の恵み、十年の歳月が今の白鹿国を造ったと、武尊殿は話していたよ。実に見事に治水をやり遂げたと感服した。私もそろそろ退位して、獅火に譲ることを考え始める頃かもしれないなぁ。」
「まぁ、泰様。まだ早いわ。獅火はまだ若い。泰様は少しずつ、辰斗王が退位されたお歳に近付いてはいますが・・・」
「うん。だが、獅火も善き伴侶を得て立派な皇太子となった。これからは、少しずつ公務を任せ、徐々に退位へと進めていこうと思う。」
「分かりました。国政については、泰様と獅火で十分に考えて進めてください。私は、泰様に寄り添いお側に居るだけですから。安心してお考えのままに。」
「ありがとう、杏。君が側に居てくれる事が何より心強い。私も澪珠に負けず善き情絲を得た。感謝だ。」
「まぁ、泰様。私もこの幸せに感謝しております。」
二人は手を取り合い微笑んだ。
こうして無事に武尊の即位を見届けた泰極王と七杏妃は、翌日、伴修将軍らと蒼天へ戻って行った。
「ねぇ、泰様。蒼天への帰り道に紅號村はあるのよね。」
「あぁ、そうだ。来る時も通って来たよ。」
「紅號村に寄りませんか? 剣芯が生まれ育った村よね。風砂の時には、天民や武尊様と澪珠がお世話になったわ。村が今どんな様子か見てみたいの。」
「あぁ、分かった。では、そうしよう。少し村に寄って行こう。」
二人は伴修に頼み、紅號村に立ち寄ることにした。
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