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身を切る別れ
こうして、瑞兆の蠍と鷲の出現と龍鳳の言葉が贈られ、無事に瑞和の治世を照らす鏡が玉座の上に掲げられると即位の儀は終わった。その後に行われた重陽節の式典は、獅火王が取り仕切る初めての大きな式典となった。
駆けつけた白鹿王となった武尊と王妃となった澪珠も、立派に即位した獅火の姿を見て安心し、祝いの宴はとても賑やかなものとなった。また、宝葉姫が身重となった漆烏国からも祝いの品が届いた。
「獅火、見違えたわ。立派になった。即位おめでとう。」
「姉上、お久しぶりです。お元気そうで何より。今日は遠い所より駆けつけてくださり、ありがとうございます。」
「まぁ、獅火。立派なご挨拶だこと。」
久しぶりに対面した姉弟は、少ない言葉の中にも互いを想う絆を感じた。
「獅火王。おめでとうございます。誠に立派になられて。私も負けられませんな。」
「白鹿王。いえ、義兄上。これからも、蒼天との友好を末永くよろしくお願い致します。」
「あぁ、もちろんだ。今、世は新しい世代に替わりつつある。これからは、漆烏国も含め隣り合う三国が友好を深め、共に発展してゆこう。」
「えぇ、義兄上。そう致しましょう。」
互いに王となった義兄弟は、これからも続く友好を約束し合った。
そんな若者たちの力強い絆に、泰極王と七杏妃も嬉しく幸せな気持ちでいっぱいになった。空心は、自分の孫たちが成長してゆくのを見ているようで胸が熱くなり、涙を滲ませながら見つめていた。
夕陽が長く伸びるようになり、日毎に日暮れが早くなった。穏やかな秋の夕暮れに、過ぎ行く一日を惜しむように寂しさが漂う。月の出は遅くなり下弦の月を過ぎた頃、日々をゆるりと楽しむ泰極王の元に、平穏を破る急な知らせが届いた。
「杏、大変だ。空心様が倒れられた。今、天民様からの知らせで空心様が倒れたと。」
「えっ・・・ どうしましょう。泰様、早く行かなければ・・・」
「あぁ、今すぐ行こう。さぁ、すぐに。」
二人はすぐに王府を出て、空心の庵へ向かった。
七杏は怯え顔は血の気を失い青白く、泰極王に支えられながら歩く。二人が庵に入ると、空心は横になって天をうつろに仰ぎ側で天民が祈っていた。医者は診察を終え、帰るところだった。
「医生、どうなのです? 空心様は・・・」
泰極王が医者の腕を掴んで聞くと、医者は難しい顔をしてうつむいた。
「泰様・・・ 泰様。こちらへ。どうか空心の側へ寄ってはもらえませんか・・・」
空心がか細い声で泰極王を呼ぶ。医者に一礼すると泰極王は空心の側に寄り、七杏妃の隣に膝を付いた。
「泰様。私もそろそろ蓮華の舟が迎えに来たようです。黄陽国と蒼天を行き来し・・・ 稀有な人生を過ごしました。誠に恵まれた良縁の色濃い生涯でした。愛する者達と蒼天で・・・ 最期を迎えられ幸せでございます。私の我がままを聞いてくださり、天民と共に・・・ 蒼天で学ばせて頂きました事・・・ 感謝致しております。
どうか、どうか、七杏のことを・・・ 頼みます。最期の時まで寄り添ってやってください。それから・・・ 天民のことも頼みます。」
途切れては息を継ぎ、空心は言葉を繋ぎ最期の想いを絞り出した。
「はい、空心様。もちろんです。七杏のことも、天民様のことも、私が必ずお守り致します。どうぞご安心ください。さぁ、空心様。お心を確かにお持ちください。まだまだ、蓮華の舟に乗るには早すぎます。」
「はっはっはっ。泰様、私はもう・・・ とうに傘寿を過ぎております。早すぎる事はありません。そろそろよい頃合いかと・・・ あちらで辰斗王も暇を持て余しておられる事でしょう。話し相手に参らねば。七杏・・・ ありがとう。仏門にあり家族や婚姻と縁のなかった私が、そなたの親代わりとなり吉紫山の五光峯寺で過ごした日々は、私の生涯の宝だ。ありがとう。七杏よ・・・」
空心の言葉が途絶えた。
「空心様、空心様。逝かないで。嫌です。空心様―」
七杏が、目を閉じ力の無くなった空心に取りすがり名を呼んだ。だが、しばらく待っても空心は動かず、目を開ける事もなかった。
「空心様が今朝、採っていた朝顔の種だよ。もう、これが今夏の最後だと云って丁寧に採っておられた。七杏、これをそなたにやろう。」
空心に泣きすがっている七杏に、天民が優しく手を差し出した。
天民の声に顔を上げた七杏は、差し出された手の上に数粒の朝顔の種を見た。しわが浮かぶ天民の手に白い布に置かれた、まだ黒々と瑞々しい朝顔の種。七杏は、その白い布ごと手に取った。
「空心様は、その種を採られた後に庭先で倒れられたのだ。」
天民はそっと、空心の最期の姿を語った。七杏は、朝顔の種を胸に押し当て抱きしめると、空心の眠る寝台に顔を埋めた。
空心の側を離れぬ七杏を天民に託し、泰極王は王府に戻り獅火王に空心の死を知らせ、その葬儀を王府が取り仕切るよう頼んだ。獅火は父の意を汲み、空心の葬儀を国に尽力した高僧を悼む国葬とし厚く執り行った。
葬儀を終えた夜。
どうにも眠れぬ七杏は、朝方に内庭へ出て空を見上げていた。そこには愛染の月が薄墨のような空に、まだ浮かんでいる。その細い月を眺めながら尚も頬を伝う涙を拭っていると、いつの間にか庭に出て来た泰極王がそっと寄り添ってくれた。
「あぁ、泰様。起こしてしまいましたか?」
「いや。私も眠れず、ぼんやりとしていたのだ。今頃は父上と、辰斗王と合えたであろうか・・・」
「そうですね。きっともう、お会いになられたでしょう。」
七杏妃も少し微笑んで泰極王に寄り添った。
泰極王は黙って頷き、二人で愛染の月をしばらく見つめていた。
「今年もまた、木蓮の種を蒔く時季となった。また季が巡ったなぁ。漆烏国から贈られた苗木も随分と大きく育った。」
「えぇ、そうですわね。春先にはまた、我が国生まれの苗木たちを青星川沿いに植えましょう。」
「あぁ、そうだな。そうして木蓮の花が咲いた頃には、空心様が残した朝顔の種を、私たちの屋敷の庭に蒔こう。忘悲節を過ぎても忘れたくないものもある。この胸にずっと残しておきたいものがあるのだ。空心様のことをずっと。」
「えぇ、そう致しましょう。そして水をやり育て花を楽しみ、秋にはまた種を採り・・・ 想いも育ちますわ。」
七杏妃は涙声になった。
「あぁ。そうして自然と共に季を巡り、私たちも歩んで行こう。種を蒔き次の季へ継いでゆく助けをする。そしてまた、残された種を大事に採り守ってやる事しか、もう私たちには出来ないのだなぁ・・・」
泰極王の言葉に七杏妃も頷き、しっかりと腕に抱きついた。
「あぁ、杏。この数年、間近で木蓮を見て来て思ったのだが・・・
寒空の下、凛と上を向いて育つあの蕾は、銀糸の鎧を着ているようだと。寒空に耐え春の初めに花開くために、銀糸の暖かな鎧をまとい、あの白く美しい花弁を守っているのだと。」
「そうね。泰様。あの蕾は、とても頑なで強そうに見える。ふわふわとした銀糸の下は、本当に厚い鎧のようですわ。」
「うん。木蓮は悲しみを忘れる為の花・・・ 冬の痛みと苦しみから人々を春へと誘う花だと漆烏国の李君王女は云っていたね。幸福へと導く花だと。花弁がはらりと落ちる度に、人々の胸に在った悲しみが一つ手放され忘れられてゆくのだな・・・」
「えぇ。そう思うと、長く漆烏国で愛されて来た事が分かるような気が致しますね。」
「うん。」
泰極王は微笑んで頷いた。
「杏。悲しみは、悲しみ尽くしたら手放してよいのだ。後に温かい想い出だけが残る。」
泰極王は薄墨の空を仰いだ。愛染の月は、西の端で白く細くうつむいている。
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