最後のバーさん ハ××ヤ

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 都会の喧騒から遠く離れた夜空には満天の星が広がっていた。  アスファルトの熱が、夜風にさらわれて散っていく田舎町の一本道。  田んぼと畑しかない二車線の、ごくたまに大型トラックが通るだけの道のど真ん中に、派手なピンク色の改造単車が複数台停まっていた。  それぞれ、ピンクのヘルメットをかぶって顔は見えないがピンク色のライダースーツで、単車の後部には『bad・GIRLS(バッド・ガールズ)』という血のように赤い文字を掲げる旗が月明かりに踊っている。  エンジンを吹かす彼女たちの中で唯一、ヘルメットを小脇に抱えて顔面をさらし、立ちすくむ女がいた。  小じわの浮いた顔は全盛期のハリはなく、ストレートの黒髪も、白髪交じりで痛んでいる。  ピンクのライダースーツもよくみるときつきつで、やっと着こなしているような状態だった。  言ってしまえば老女だ。  彼女の名前は篠崎喜代(しのざききよ)・65歳。  子育ても仕事も引退し、現在は年金で生活している元レディースの頭領(ドン)。  しかし、その瞳は決して耄碌している様子はなくむしろ鋭く光り、単車のヘッドライトを背に彼女は果てしなく続く田舎道の先の闇を睨んでいる。 「きたかい……」  彼女が呟くと、エンジンを吹かしていた隊員たちがザワつく。 「お頭。来たって、あいつが本当にきたんですかい?」 「お頭、もう40年も前ですぜ? あたしらが若い頃にあっちは既にババアだったわけで…」 「果たし状なんて悪戯ですよ、いたずら。もうとっくにくたばってますって……」 「いや、でも、あのババアは徒歩でわたしらbad・GIRLSに――」  ヘルメットのカバーを上げて言い合う目元にしわの浮いた喜代と同じか、少し若いくらいの隊員たち。 「だまりなあんた達。奴だよ」  喜代の静かなドスの効いた声音で闇を指さす。  ヘッドライトの光が届くぎりぎりのところに、一歩、二歩。  腰の曲がったもじゃもじゃの白髪と、しわくちゃな顔で笑みを浮かべる不気味な老婆が現れた。 「へっへっへ……私からのラブレターは届いたかい?」  老婆は弱弱しい外見と裏腹にはっきりと告げた。 「本当に、きた……」 「全然年をとってない?」 「ひっひっひ、おびえているねぇお前たち」  もじゃもじゃ髪の老婆は、瞬間移動でもしたのか、メンバーの一人の傍でにやりと笑う。 「う、うわああああ!!」 「ひい!  ひいいい!」 「ば、バケモノだ!!」  うろたえるメンバーたちと対照的に、喜代はライダースーツのポケットから『果たし状』と書かれた手紙を取り出す。  そしてメンバーたちの前でびりびりに破った。 「バケモノだからなんだい? 尻込みしてるやつは帰んな。bad・GIRLSのメンバーとしてそんな腑抜けに育てた覚えはないよあたしは」  静かな、それでいてよく通る喜代の叱咤に、隊員たちは冷静さを取り戻す。 「お頭の言うとおりだ! あたしたちbad・GIRLSはどんな相手も恐れない!」 「どんなに齢をとろうがその魂は不老不滅!!」 「相手もババアだ! 囲っちまえ!」  彼女たちは単車をブオオオン!と操り、老婆を囲んだ。  全方位からヘッドライトに照らされているというのに老婆は目を細めもせず不敵に笑った。 「ひっひっひっひ……さっきまで怯えていたのにねぇ。衰えてもさすがの統率力だ篠崎喜代」 「私の名前を憶えていたか」  喜代は光の中へ足を踏み入れ不気味な老婆と相対する。 「ああ、覚えているさね。あの頃、道の上で戦った走り屋の名前はちゃーんと憶えてるよ。まあ、そのほとんどが走り屋をやめるか、くたばっちまったがね」 「時代か……」 「そうさねぇ……」  しみじみと呟いた二人は、互いを認め合うように笑った。 「あの時聞けなかった名を、聞いてもいいか?」  喜代が尋ねると、老婆はくるりと背を向け、囲むピンクの単車の一段の外へ向かう。 「そうさね、あたしゃ巷ではジェットババアとか、ターボババアとか呼ばれていたらしいね。ヒヒ、聞き覚えあるだろう?」  再びメンバーの中からどよめきが起こる。 「ターボババアって昔流行った都市伝説の…」 「実在したってのか?」 「だから齢をとってないんだ、バケモノだから」 「あたしらとんでもないやつに喧嘩を」  喜代はメンバーたちを一喝する。 「黙りなあんたたち。相手が人間だろうがそうじゃなかろうが、道の上では対等。速い奴が正義。あたしらのルールだろ?」  どよめきが収まり、メンバーたちは互いに頷き合う。  どうやら覚悟が決まったようだ。  察したのか、ターボババアは微かに笑う。 「そうだよ。あたしたちは種族は違えど同じ走り屋さ。今の時代の走り屋は根性が足りないからねぇ……あたしゃ最後に戦える相手を探してあんた達にたどり着いたってわけさ」  悲し気に呟く老婆に、喜代は背中を向け自分の単車に向かう。 「あたしらももう齢だ。今回連絡のついたメンバーで集まれたのもこんだけで、多分次はねえ」 「そうさね……」  メンバーたちもババアを照らすのをやめて喜代の後ろに並ぶように単車を操る。  ぶおおおん! ぶおおおおおん!! とエンジンをふかす大合唱が、田畑一面に響く。  隊列の先頭で、ピンク色に赤い線が混じった大型のバイクにまたがって、喜代はうつむくババアへ不敵に笑った。 「でも、運がよかったなターボババアさんよ? あんたのラブレターが届いたからあたしらはここにきた」  ヘルメットをかぶった喜代は、バイクにまたがったままグローブをはめた拳をターボババアに突き出す。 「最後に勝たせてもらうよ」  喜代の宣言にターボババアは曲がった腰をまっすぐにぐきぐきのばしてため息をつくと、しわくちゃの拳を喜代の拳に突き合わせた。 「言うじゃないか? あたしゃの最後の走りについてこれると思っているのかい小娘共?」  にやりと笑ったターボババアは呼び動作なしに走り出す。  足音も、摩擦も抵抗もないように、一気に時速70キロ近くまで加速し、感覚の長い遠くの外灯の下に。 「くっ!? お前たち! bad・GIRLSの引退レースだ! ついてきな! あのババアに後れを取るんじゃないよ!!」 「お頭! 引退って!?」 「待ってください!!」  ぶうぅううおぉおおおおん!! おんおん!!  フルスロットル。  喜代たちの操るバイクは田舎のアスファルトを削るようにして走り出し、テールランプの紅い軌跡をいくつも残しながら、ターボババアの背を追った。
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