佐倉先輩

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 半月後。菜々緒に連れて来られたのは、有名外資系企業の自社ビルが立ち並ぶオフィス街。モノトーンのブロックで整備された広場があり、街路樹の桜木は葉桜になりかけていた。 「ここ?」 「うん。受付で手続きしてくるからね」  ガラス張りのエレベーターを26階で降りると、黒い大理石の壁に「Kirsch(キルシュ)」と金色の文字が書かれていた。会員制のアクセショップと聞いていたものの、エントランスだけでは店かどうかも分からない。 「北嶋さん! よく来てくれたね!」  現れたのは、高級ブランドの黒スーツに身を包んだホストみたいな男だ。髪はアッシュグレーのソフトモヒカンで顎髭を蓄えており、変わらないのは小麦色に日焼けした肌だけだ。 「佐倉……先輩?」 「さぁ、入って入って!」 「あの……?」  肩を抱かれて案内された。店内も黒が基調で薄暗く、さほど広くはないフロアの中央には大きな壺があり、桜の枝が生けられている。壁に沿ってガラスのショーケースがグルリと設置され、黒スーツの男性スタッフが数人立っていた。 「綺麗になったね、北嶋さん。見違えたよ」  ショーケースの前でストールを勧められ腰かけると、彼も隣に座ってピタリと身を寄せてきた。フワリ、清涼な匂いが香る。 「懐かしいなぁ。今は雑誌記者なんだって?」 「ええ、まぁ」  取材を依頼するでもなく、彼はペラペラとあたしを褒めまくる。圧倒されつつ聞き流していると、いつの間にか――。 「じゃあ、36回払いってことで」 「はああっ?!」  あたしをイメージしたオーダーメイドのアクセを、購入する話になっていた。 「ち、ちょっと! あたし買わないですから!」 「え? 今更なに言ってるの」  気づくと男性スタッフに囲まれていた。それから延々と、褒められ脅され宥め賺された。段々と頭がボウッとして、判断力が鈍っていく。これは、契約するまで帰さないつもりだ。 「佐倉先輩、これを買えば、本当にあたしと……結婚を前提にお付き合いしてくれるんですね?」 「ああ、もちろんだよ! これは、柚ちゃんと俺が恋人になる記念品だ」 「分かりました。買います……」  わあっとスタッフ達が歓声を上げ、拍手が起こる。あたしは、書類にサインした。クレカで、50万円を36回払いで購入する。 「また夜に連絡するよ」  エレベーターの前まで見送りに出てきた彼は、耳元で囁くと、そのまま唇を近付けてきた。 「それは、夜に取っておきましょ」  あたしは笑顔でキスを躱すと、到着したエレベーターに乗り込んだ。やや呆気に取られた彼を残して、ドアが閉じる。  ――カチッ  バッグの中に手を入れて、ボイスレコーダーのスイッチを切る。ビルを出てすぐ、スマホを取り出した。 「あ、杉田課長。潜入調査、終わりました。これからクーリングオフの手続きをします。え? はい、音声はばっちり取れてます」  菜々緒との通話後、あたしは佐倉拓海を調べた。そして、大学で膝を壊して陸上を辞めた彼が「デート商法」といわれる違法販売で何人もの女性を騙して大金を稼いでいる、という「噂」に行き当たった。潜入調査の企画案は、課長のお気に召したらしく、特集記事を丸ごと任せてくれた。 「サクラの季節は終わったのよ」  葉桜越しにビルを見上げる。あたしは不敵に微笑んだ。 【了】
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