今年ばかりは 墨染(すみぞめ)に咲け

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午後二時。私は今、自分の部屋にいて、パソコンに向かってこの文章を書いている。デスクの上に置かれている温度計を見ると室内の気温は二十二度であることが分かる。換気のために窓を開けているのにこれだけ温かい。三月も半ばを過ぎて、永遠に続くかのように思われた冬が終わり、また春が来たのだ。 開け放してある窓からは庭の桜の木が見える。桜の花は咲き始めたばかりでまだ散ってはいない。ピンクの花弁が力いっぱい開いていて、その美しさを惜しみなく存分に振りまいている。 しばらくぼんやりと桜を見た後で、視線を左にやるとベッドの上に置かれている新品のスーツが目に入った。午前中に近所のロードサイドにある紳士服量販店に行って、親に買ってもらったものだ。一週間後に大学の入学式がある。 今年、私は大学を受験した。第一志望の大学には落ちた。これはなんとか自分の中で納得できた。受験は一発勝負だ。どうしても運が絡む。受かるか落ちるかは時の運。しょうがないよねと自分をなぐさめることはできた。 でも、本命だった第二志望の大学にまで落ちた。ショックだった。どうしても納得できなかった。今でも納得できていない。事前の模試ではちゃんと合格できるって言われていたはずなのに。 結局、私が合格できたのは準備として慣れておこうと気軽に受けた第三志望の大学だけだった。 自分の実力ってこんなものだったんだとこの歳で思い知らされた。 希望通り、順風満帆に生きている人の上にも、思い通りには行かない人の上にも桜は平等に美しく咲く。桜を眺める人の気持ちなどまるで意に介していないように無邪気なピンク色をこの世界にこぼしている。それってすごい残酷なことだと思う。 私の努力はいったいどこへ消えたのだろう。何事も長続きしない私にしては根暗にコツコツと勉強を頑張った。これほど物事に一生懸命になったのは人生で初めてだった。勉強に集中したいからという理由で初めてできたボーイフレンドとも別れた。そこまでしたはずなのに。 頑張りが足りなかったとは思えないし、思いたくない。そこまで自分を卑下したくない。そう考えだしたら私の思考はもっと暗いものになっていくだろう。そんな感じがする。 私が大学受験に失敗したことを知った親や学校の先生は腫れ物を触るように私と接した。お母さんは私に「大丈夫だよ。きっと大学生活は楽しいよ」と言ってくれた。でも今は全然そう思えない。一週間後に迫っている入学式も今は苦痛でしかない。 受験の結果が分かった後で、友達からは何回か、ラインをもらっていたけど、返信することができずにたまっている。「既読」がついてしまっているのだから私から何か言わなくちゃいけないんだけど、何を言えばいいのか分からない。何か言おうとすると「ひがみ」や「ねたみ」と受け取られるんじゃないか、そんな気がしてしまう。返信できないまま申し訳ない気持ちだけがひたすらにたまっていく。 気分転換に遊びに行こうと誘ってくれた友達もいた。だけど、私はそういう誘いを全部、無視した。同情されるのは嫌だった。友達の優しさを素直に受け取ることができない。自分の人としての器の小ささを知った。私は私が思っていた以上に嫌な人間だった。自分が嫌な奴で、そして毎日どんどん嫌なヤツになっていくのが分かって、私はさらに落ち込んだ。 最近は友達からのラインも来なくなった。もしかしたら私は友達を全部失ってしまうのかもしれない。 世の中は思い通りに生きている人間とそうでない人間がいる。地上に生きている人がみんな思い通りに自分の人生をエンジョイしているわけじゃない。でも、思い通りに行かない人生でもやっぱり続いていくし、新しい目的を見つけて、新しい人生を生きていかなければならない。果たして私にそんなことができるのだろうか。分からない。もしかしたら、私はこの先の人生でも第一志望の大学に行った人を妬みながら人生を送ってしまうのかもしれない。そんな自分の弱さが怖い こんなに悲しいのに、こんなに孤独なのに、こんなに心細いのに、窓から見える桜はそんな私と関係なく美しく咲いている。来年の私は桜の美しさを素直に認めることができる人間であってほしい。切実にそう思う。でも桜よ、もしあなたに人の気持ちを理解できる心があって、私の今の気持ちが少しでも分かるんだったら、お願い、せめて今年だけは黒く咲いて。
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