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「あいつ、断るらしいよ」
珍しく一人で来店すると、柏木さんは開口一番そう言った。
なんでも、真人先輩が、支店長の娘との縁談を断るつもりでいるとのことだ。
「退職願まで用意してるってことは、相当な覚悟なんだろうな」
「退職……」
「うん。茜ちゃん、なんか聞いてる?」
初めて会った日のように、柏木さんが意味ありげな目で私を見つめる。
「いえ」
掠れた声で、私は答えた。
受付を済ませると同時に、開式を告げるアナウンスが流れた。その声に促され、私たちは会場へと足を運んだ。
扉の向こうに、沢山の花が見える。私は、手の中に咲く一輪のオレンジ色のカーネーションを、ぎゅっと強く握りしめた。
「真人が死んだ」
開店準備中の店内に、青白い顔をした柏木さんが飛び込んできたのは、一昨日のこと。
「えっ?」
一瞬、言葉の意味を理解できず、私はキョトンとした顔で柏木さんを凝視した。
三日前、真人先輩は、支店長に縁談を断る旨を伝えたという。同時に退職願も提出したが、それは受理されなかったようだ。「そんなつもりじゃないんだ」と笑い飛ばされたらしい。
「あいつ、気になる人がいるって」
「気になる人?」
「それって、茜ちゃんのことなんじゃ……」
柏木さんの言葉が詰まる。
「そんなわけ……」
立っていられず、私はその場に崩れ落ちた。
支店長に話をしたその日の帰宅途中、真人先輩は、交差点を猛スピードで左折してきたスポーツカーに撥ねられた。
すぐに病院に担ぎ込まれたが、二度と目を覚ますことはなかった。
「あいつさ、言ってたんだ。『やっと自分の気持ちに気づいた』って」
スポットライトを浴びた真人先輩が、私たちを会場へと誘う。
「『今更何だ、って怒られそうだけどな』って」
祭壇の上で笑うその顔は、出会った頃と同じく、アイドルみたいに輝いていた。
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