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「お邪魔しましたっ」
捨て台詞のように、そんな言葉が口をついて出た。一気に後ずさる。情けないことに足が震えていた。まだ雨は降り続いていた。小雨になったかどうかも分からない。僕はもつれる足をひきずるようにして、そのまま一目散に自分の家を目指した。
結局ノートは濡れてしまったけれど、きのうあったことをそのまま明日香に伝える気にはならなかった。高校生にもなって、幽霊を見て怯えて家に逃げ帰ったなんて、どう考えても言えることじゃない。翌朝の教室で、僕はノートをダメにしたことを正直に告白した。
「仕方ないなぁ、透流は」
明日香は幼馴染みの気安さで、僕を透流と呼ぶ。高校に入ってからはなるべく名字で呼ぼうと心がけているものの、長年の習慣というのは恐ろしく、僕も気づけば名前で呼んでしまうのだが、教室や人の目があるところでは「遠井さん」と言うように心がけていた。
そういうことを明日香は気にしない性分らしく分け隔てなく名前で呼ぶため、彼女の前で僕は「透流」のままだ。その響きには家族に似た親密さがあり、外で呼ばれると気恥ずかしい。一方で、変わらない明日香に安心もしていた。本人には言えないけど。
「急な雨だったんだよ」
「もー!次からは気をつけてよ。あと忘れ物しないこと!おばさんだって苦労してるんだ
から」
明日香は勝手知ったる口ぶりで僕は頭が上がらない。幼馴染みの宿命なのか、明日香は母親とも仲が良い。ライン交換も済ませているらしく、ひそかに委託しているようで恐ろしくもある。父親が死んでから、余計気にかけられているなと思う。ひとり親家庭というのは決して珍しくないが、うちの場合は理由が理由なだけに、表むきには言えないところがあった。
「なあ、幽霊が出たって噂知ってるか?」
おもむろに後ろから祐希がそう言って、僕は飲みかけた水筒のお茶を吹きだすところだった。途端に明日香が怪訝な顔をする。
「ユウレイ?」
「夏休み中、学校で見たってやつがいるんだって」
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