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「名前あるの?」そう聞くと、
「もちろん」と彼女は言う。
「私を何だと思っているの?」
廃屋の幽霊とは言えない。
押し黙ったままでいると、
「君に頼みたいことがあるの」
「何?」と僕が言うのと、
「私の友達になってくれない?」
と尋ねる声が同時だった。
「友達?」
予想外のことを言われて、反応するのが少し遅れる。そう、と彼女のつぶやく声。
「ほら、私こんなだから全然友達いないんだ。人と話したこともないし。少しのあいだだけ
でいいの」
その声があまりにも切実に聞こえて、僕は「いいよ」とうなずいていた。
「やった」と彼女の笑う声。
なぜか胸の奥が軋む。僕の何気ない一言で、目の前の幽霊が喜んでいる。
その事実がとても奇妙で、でもそれは不思議な心地良さをもたらした。アンナは悪い幽霊じ
ゃない。きっと成仏しそこねただけで、たまたま僕と繋がった女の子にすぎないんだ。そんな思いが湧きあがる。
「ずっとここで何してたの?」
「べつに何も」
応える声が少し沈んだ。ほとんど声しか聞こえないから、トーンが変わると分かりやすい。
「君が来たときビックリした。だっていきなり入ってくるから」
ごめん、と口のなかで謝る。
あの日、あの瞬間、もし雨に降られなければ、ここでアンナと言葉を交わすこともなかっただろう。
「謝らなくてもいいけど」
アンナが苦笑する気配。初日の様子を思いだして、僕は少し恥ずかしくなる。相当取り乱して見えただろう。
「なんでまた会いに来てくれたの?」
いきなり核心を衝かれて、ふたたび言葉につまる。母親の言葉を思いだす。ずっと頭から離れない声。もし、もう一度ここで幽霊を見つけることができたら父親にも会えるかもしれない、なんてそんなこと起こるはずもないの
に。
言えなかった言葉。ずっと聞きたかったこと。それが全部ぐるぐると、ずっと頭のなか
をめぐって希釈されないまま、ゆっくり首を絞め始める。その呪縛から逃れたくて、もう一度会いたかったなんて口が裂けても言えないだろう。それでも、もしもう一度会えたら触れられなくても殴りたかった。
「ふざけんな」って言えたら、どれだけスッキリするだろう。それはずっと変わらない。
僕の心の奥の願いは全然きれいじゃなくて、まだ憎しみにまみれている。死んだやつに復讐したいなんて、自分でもどうかと思うけど。
「まだいるかな、と思って」
結局何ひとつ明確な言葉にならないまま、僕はただそう言った。理由にならないような言葉だ。稚拙で言い訳じみた声に自分で嫌気がさしたけど、彼女は特に気にせず、
「そっか」とつぶやいた。
「ねえ、君とふたりで行きたい場所があるんだけど」
彼女がそう切りだして、僕はふたりで夜の底にとびだすことになる。
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