薄氷を踏みしめるように

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 どこにも居場所を作れないまま、ここまで生きてしまった。  人にとっての喜びや生きがいは、俺にはとんと縁のないものだった。幸せそうな人間を目にするたびに、自分が世界に嫌われているような気がした。  幸福とは何なのだろう。考え込む俺の隣を、手を繋いだ親子が通り過ぎていく。あまりにも自分とは違う、その満ち足りた笑顔。幸福とは、きっと誰かに愛されることなのだろうと思った。それなら、これからも俺の人生は、ずっと満たされないままだ。  そうして生きていたある日、何だか心から馬鹿らしくなったのだ。誰からも必要とされていないのに、どうして俺は今も生きているんだろうかと。  もう、いいんじゃないか。そう思った。  そして死に場所を求め、俺はこの森に辿り着いた。  あらゆる音を雪が吸い取るそこは、骨身に染みるような寒さで満ちていた。口から漏れる吐息の色だけが、俺に温度というものを感じさせた。どんな人間にも平等な、自然の厳しさだけがただそこにあった。  振り向くと、白い絨毯に俺の足跡だけが残っている。これは紛れもない、俺という人間が生きた証だ。それでも、じきに降り積もる雪が、すべてをなかったことにしまうだろう。人の生きた証なんて、いつかただの情報に成り下がってしまう。俺が死んだって、誰の記憶にも残りはしないのだ。  囚人のように俯きながら、一歩一歩足を進めていく。露出した肌に容赦なく冷気が刺さる。耳が痛い。指が痛い。戻るつもりなんてなかったから、当然手袋やマフラーなどない。  森の奥に進むほど、自分が死に近付いている実感があった。悪くない、雪の中なら綺麗な姿で終われるだろう。この凍てついた世界ならば、しばらくは肉も腐らないはずだ。どうせなら美しい死に様で終わりたい。終わりよければすべてよし、という言葉があるように。何かが完成するのは、いつだって終わる瞬間だ。  死を決意した人間は、並大抵のことでは動揺しなくなる。もし突然誰かがナイフで襲ってきたとしても、おそらく俺は驚かないだろう。そこらの野良犬が言葉を発したとしても、ぎりぎり困惑せずに受け止める自信がある。  だから、それは並大抵のことではなかったのだ。  氷の精霊がいるとしたら、きっとこんな姿なのだろう。 「ねえ、あなたも死にに来たの?」  薄氷の身体を持つ彼女が、そこに立っていた。
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