第十二話

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第十二話

 ――あぁ。さっきまで、ここに居たのにな。  そう思いながらカイエに手を握られ、半ば強引に第二階層にやってきた。まるで子供の頃に戻ったみたい。  お互いが父親であり母親であり兄弟だったから。  今は母親役と、その子供だ。  一日中、昼間の第七階層と違い、第二階層には正しく夜がある。  昼と夜を短時間で行き来したら体内時計が狂いそうだ。明日は朝起きられるだろうか、なんて考えている。おそらく「そんな些細なこと」を気にしているのは、西花で自分くらい。現に自分の隣を足速に歩くカイエは、少し目を細めたくらいで気にしていない。 「でもさ、ティエさん、もう帰っているかもしれないし」 「そのときは、明日出直すよ」 「別に、そこまでしなくていいんじゃね」 「これは、家族の問題だから」 「……家族の問題ねぇ」  だから、もう家族じゃ無いだろ! って言葉が喉元まで上がってくる。でも唇を震わせただけで言葉にはならなかった。 「着いたけど」 「あぁ」  レイは慣れた手順でティエの所属しているラボの入館手続きをしようとした。その手が止まる。  自分の腕には、いつもみたいな花束がない。  ――ゴヨウケンヲドウゾ。  頭上にあるセンサーがレイとカイエに反応して機械的なアナウンスを流した。  夜は閉まっていると思っていた受付は、夜間人員として人型のロボットが配置されていた。「そうだよな。普通に考えればオートか」と小声でつぶやく。  花屋は普段こんな時間にラボには立ち入らないので知らなかった。 「どうした?」  カイエは隣のレイを見て不思議そうな顔をした。 「なんて申請すんの? 俺、いま花持ってない」  花屋の仕事外の入館申請なんて分からない。ティエとは知り合いだけど友達でもないので個人的な連絡先も知らなかった。  隣に立っているカイエは、左腕の端末をロボットにかざす。 「普通にすればいいよ」 「普通ねぇ」 「中央研究所所属のカイエです。ティエ博士にお繋ぎいただけますか」  カイエは慣れたふうにティエの所属ラボの部屋に通話を繋げた。  カシコマリマシタと返事のあとロボットは声の主が、カイエ本人だと正確に判定した。  よくよく考えてみれば隣に立っている男は国で有名な人工知能の研究者だ。仕事だと言えばロボットも彼の夜間訪問を不審に思ったりしないのだろう。数秒でティエのラボにつながり目の前にホログラムの映像が映った。  レイの予想通りティエはバタバタと慌てていた。  今夜は泊まりで仕事をするつもりだったらしい。ラフなよれよれのTシャツを着ている。その上に慌てて白衣を羽織ったのが分かった。 「初めまして。中央研究所所属のカイエと申します。いつも、うちのレイがお世話になっております」  ――うちの、レイ。  以前は引っ掛からなかった「うちの」って響きに違和感を覚えた。  前は、もっと腹立たしく感じたのに、今は面はゆいというか、お願いだからやめてくださいって顔が勝手に赤くなってしまう。むず痒い。 「え、ほ、本当にカイエ博士ですか!」 「はい」 「いい、今そこの入口開けますので! 応接室へどうぞ。あー、案内、今の時間誰もいないな」 「大丈夫ですよ。部屋は何番ですか」 「だ、第七ルームで」 「分かりました。ありがとうございます」  通話が切れる寸前ガタガタガタと大きな物音がした。そのあと近くで硬質なものが落ちた音が響く。多分いつもティエのラボで目にする金属トレーだ。今日泊まり込みでする実験に影響がなければいいけどって思った。  目の前で自動ドアが開く。 「じゃあ行こうか」 「ここの応接室なんて、俺、場所知らないけど」 「どこでも研究所なんて作りは同じだから。迷っても研究所のサイトを見れば分かる」 「はぁ、そう」  カイエが見れば分かると言っているサイトは恐らくクローズド。部外者はアクセス出来ない。ラボの機密情報に関係するし部屋の位置なんてオープンで載せているはずがない。西花の国民は、この男に隠しごとなんて絶対に出来ないと思う。不正アクセスし放題だ。常識で考えれば犯罪だが残念ながら、この男に常識は通用しない。  今日まで捕まっていないのは、カイエだから見逃されているのか、本当に誰も気づいていないのか。多分後者の気がする。怖い。  レイの手を握ったままカイエは前を歩いている。ここまで離すタイミングが分からなかったから。 (あー、そろそろ、手、離さないとな)  口火を切ったのはレイだった。出来るだけ変に思われないように冗談めかして言った。 「別にさぁ、逃げないけど。俺」 「ん?」 「手、繋いだままだから。俺はいいんだけどね」 「あぁ。つい、昔の癖で。ごめんね」 「いいよ。癖って、簡単に抜けないんだな。――家族だったから」 「あぁ。そうだな」  家族だったって、自分で言って何度も傷ついている。  そっと離された手を名残惜しく感じて視線で追っていた。自分から離そうって言い出したのに、いざカイエから手を離されるとつらい。かといって家族でなくなった二人で、しかも大人が手を繋いで歩くなんてティエに変だと思われる。  そんな他人の目なんて気にするような人間じゃなかった。自分も、きっとカイエもそうだ。 (意気地なしだなぁ、俺)  ずっと二人だったから、一人じゃ何も選べない。答えの出ない問題をずっと一人で解いている。  この先、どうしたらいいか。  どんな気持ちで、カイエと一緒にいたらいいんだろう。  変わってしまった気持ちは、もう一生、元通りにはならないんだろうか。  綺麗で純粋で温かかった。偽りの家族愛。失った感情をずっと心の中で探している。  この答えだけは宿題を手伝ってもらうみたいに、カイエに出してもらうわけにはいかないから。レイが一人で決めることだ。  長い廊下の一番先に第七応接室はあった。鍵は開いていて中には立派な革のソファーが向かい合わせで配置している。  奥にレイが座って、その隣にカイエが座る。なんだか学校に通っていた頃を思い出した。さっき冗談みたいに思い浮かべていた通りの状況。悪いことをした子供が親と学校の指導室に呼び出されるシチュエーション。  カイエと再会してから気分の浮き沈みが激しい。些細なことを思い出して過去の幸せに思いを馳せてばかりだ。自然と笑みが漏れる。 「何を一人で笑っているんだ。レイ」 「なんか、さ。こういうの、懐かしいなって思って」 「懐かしい?」 「昔、俺がクラスメイトと喧嘩したときにカイエさん迎えに来たじゃん」 「あぁ。そうだな」 「そんな感じ。このあと、先生と相手の親が入ってくんの」 「レイは、それが面白いのか?」 「まぁね、昔は良かったなって、カイエさんは思わないの、学生してたときは楽しかったなーとか」 「どうかな。今も学生みたいなものだし」  カイエは顎に指を当てて考える仕草をした。 「未来に興味が持てなくなったら、研究者は終わりだろう。過去に興味がないとは言わないが」 「あぁ、そう」  予想通り過ぎて訊くまでもなかった。 「まぁ、でも楽しかったよ。今も十分楽しいけど」 「そう、なの?」 「もちろん。僕は、それほど将来は悲観していないから」 「ふーん、ちょっと意外だな」 「レイに、そう思われていることが、僕は意外だよ」  カイエは苦笑する。  それから数分後に応接室へティエが現れた。スーツを着てネクタイを締め、無精髭まで綺麗に剃られていた。国賓でも迎えるつもりだろうか。  確かに昔、隣の男は国賓級の扱いをされていた。事件以降は、ニュースで話題にも上がらないが有名人ではある。  国を救った英雄には違いない。でも、ことがことだけに腫れ物扱いにするしかないのだろう。  ティエは目を丸くしたままカイエを熱い視線で見つめ、少しの間その場で固まっていた。会わせて欲しいと言った、その日にレイが連れてくるとは思っていなかっただろうし、自分だって連れてくるつもりはなかった。 「は、初めまして。ティエ・ヨウリンです」  カイエはソファーから立ち上がってティエの前に立つ。お互い自己紹介して握手を交わしていた。 「あの、どうして今日はこちらへ? いえ、私がレイくんにあなたに会いたいと言ったのは、そうなんですが」  ティエは照れもあるのか後半は口籠る。レイは、カイエが何を言い出すのか内心戦々恐々としていた。 「レイが、今日ティエさんにご迷惑をおかけしたと聞きました」  カイエは何の意外性もなく、件の猫のことを切り出した。 「めい、わく?」 「えぇ、ですから謝罪に」  全然心当たりがないらしくティエは首を傾げた。別に物忘れが極端にひどいわけじゃなく、ティエは本気でなんの謝罪にカイエが来たのか分かっていないのだろう。  ちらちらと訳を知りたそうにレイの方を見るティエに助け舟を出した。 「猫ですよ。今日の、アレルギーだって俺知らなくて迷惑かけたからです」 「あ……あぁ、猫、猫ね。いえ、そんなカイエ博士が、直接謝罪にくるほどのことでは」  ほら言った通りじゃん、みたいにカイエを見たら、特に表情を変えることなく受け流された。 「その後、お加減はいかがですか?」  その後といっても、あれから二時間経っているかどうかの時間だった。 「いや、ホント、アレルギーといっても、アナフィキラシー起こすほどじゃなくて」 「僕たちは外から西花に来た人間ですので、人よりその辺が無関心で……ご迷惑をお掛けして申し訳ないです」 「そんな、め、滅相もない。大丈夫ですから!」  言った通りカイエは本当に頭を下げた。実際その姿を見るまで本当にカイエが謝罪なんてするとは思っていなかった。  丁寧に頭を下げるカイエにティエは恐縮しっぱなしだ。何だか悪態をつくより、よっぽど嫌がらせになっている気がした。  だんだんとティエが気の毒になってくる。 「とにかく、どうぞ。おかけになってください」 「はい」  カイエは目的を達して満足したらしくティエに促されるまま再びソファーに座った。  ティエはカイエがソファーに座ったのを見計らって、部屋のなかに常備している応接セットでお茶を用意して戻ってくる。 「どうぞ」 「すみません。いただきます」  ティエは、ソファーの間にあるローテーブルに人数分のお茶と茶菓子を置いた。ティエの手が心なし震えているように見えた。 (緊張してるなぁ)  ティエは、さっきカイエに会いたいと言っていた。けれど、実際対面して話したいことなんて実はなかったのだろうか。席についても天気の話しかしていない。  地下都市の人間だし天気なんて興味ないだろうに。  話題を広げたのはカイエだった。 「レイは、普段どんな仕事ぶりですか」 「え、仕事ですか」 「いえ、家族といっても僕は普段研究ばかりで。レイが、いつもどんな仕事をしているのか、あまり知らなくて」  いや全部知ってるだろうと思ったが、ただの雑談だ。聞き流した。早くこの無意味な時間が終わらないかなと出されたお茶を飲みながらティエとカイエの姿を見ている。 「れ、レイくんは、三年ほど前からこのラボに通っていて。私は生物学が専門なので」 「はい」 「配達の時間は守ってくれますし、こちらも助かってます」 「そうですか」  二人の会話を聞いている間にだんだんと面白くなってくる。レイは、ついに吹き出してしまった。 「あー、もう無理、面白過ぎるよ、カイエさん」 「何がだ」 「だって、しゃべってる内容、初等部の家庭訪問みたいじゃん。ティエさんが先生でカイエが母親。ティエさんも普通に話せばいいのに。何でそんな緊張してるんですか。一回り以上年上なのに」 「だ、だってなぁ。カイエ博士は雲の上の人だって言っただろ。私なんかが会える人じゃないし」 「母親って」  レイの「母親」って言葉が気に入らなかったらしく、カイエは少し眉間に皺を寄せた。 「僕に会いたかったとレイから訊いていますが」 「え……あぁ、はい。その……」  ティエは少し迷ったあと口を開いた。 「あの、失礼ですが、レイくんから、二人は鎖関係だと」 「えぇ」  カイエはティエの問いに頷いた。 「私は、その……昔、研究者として、鎖システムに反対をしてました。中央に楯突くとか、今考えると、まぁ若かったな、とは思います」 「そうですか」 「あの頃、それほど発言権はありませんでしたので、覆せるほどの権力はなく。結局、実験は進められて」 「何故反対だったか、伺っても?」 「人間をモルモットにするなど許されることじゃない。もし自分に子供がいたら、絶対に同じことはせんでしょう。理由なんてそれだけです」 「なるほど倫理観ですか。研究者としては致命的ですが。人間としては貴方のことを尊敬します」 「そんな……いや……私など」  ナギが鎖のことを聞いてきたとき、カイエはとても不機嫌になっていた。  だからレイは、ティエに対しても同じだろうなと思っていた。けれどカイエの返事は何故かとても穏やかなものだった。 「自分にもっと力があれば、二人が被験者になることもなかったでしょう」  ティエは膝の上で拳を握った。その姿から見えるのは懺悔と後悔だった。 「西花が安全で安心な国を作ろうとしているのは分かっています。シェルター化計画も悪いことばかりじゃない。ただ人間をおもちゃにすることだけは、研究者の一人として納得出来んかった」  カイエはティエの持論について否定も肯定もしなかった。 「鎖は人間が人間らしく生きる権利を剥奪するものだ」 「どうして、それを僕に?」 「その……以前、噂であなたが鎖の被験者らしいことを耳にしました。そのときから、どうして貴方ほどの天才が鎖を受け入れたのか気になっていて」 「確かにそうですね。別に強制はされませんでしたから。再び外スラムに出されるだけで」  その疑問はレイも持っていた。研究者に対する少しの皮肉。あとは、――レイくんが可愛かったからと、その時は、はぐらかされた。  十歳のレイには正しく判断することが出来なかった。でもカイエなら選べたはずだった。  同じ十歳だとしても彼の知能指数ならティエと同じように、鎖について、もっと懐疑的な立場でいられたはずだ。 「私は研究者として自分が正しい判断をしていると信じている。ただ私のような人間が考えつかないようなメリットが鎖にあるなら、と、一度、カイエ博士の考えを訊いてみたかった。不躾なのは承知していますが」  レイはティエがカイエに会いたかった理由を知って驚いた。  普段は口が悪くあまり研究熱心にも見えなかった。それでも曲がりなりにも学者として、さまざまなことを考えていた。失礼ながらティエのことを見直していた。 「カイエ博士ほどの方なら、鎖を拒否する選択もあったのではないですか」 「――確かに、そうですね。ですが……」 「え、なんだよ?」  カイエは一度隣に座っているレイの目を見た。それだけで分かった。カイエは今から本当のことを言うんだって。 「僕は西花にくるまで、衣食住に苦労していましたから。楽できるなら、それにこしたことはないと感じていた。くだらないですが一番の理由です。いくら頭を使って生きる術を知っていると言っても、十歳の子供が楽に生きられるほどじゃない。レイだってきっと同じだと思いますよ」  皮肉がないし、多分カイエは本当のことを言っている気がした。 「なる、ほど。外では人間として最低限の欲求が満たされなかったから、と。そう、ですよね。当然だ」  人間としての当たり前の欲求だと言われてティエは、それで納得したようだった。  レイはカイエは何でも一人で出来て、外でも楽に生きていたんだと思っていた。考えてみればカイエだけ特別のはずはなかった。  同じくらい空腹を感じただろうし、同じくらい寒く惨めな思いだってしたのだろう。同じ年頃のレイの前では強がっていただけ。 「あとは、そうですね。レイくんが可愛かったからですね」 「はぁ、なるほど?」  カイエの告白に少し切ない気持ちになっていたが、急に雰囲気が変わった。レイからすれば、いつも見慣れた人を小馬鹿にしたような笑顔のカイエだ。  それを見てティエはポカンとしていた。 「おい、まて、カイエさん」 「何だ?」 「あのなぁ、ティエさんは真面目な答えを聞いてんの! 研究者としての質問を茶化すなよ。真剣に聞いているのに失礼だろ」 「僕は、いつも真面目だが?」 「もっと何かあるだろ!」 「無いな。お前だったから鎖を契約した。多分相手がレイじゃなかったら、断ってスラムに戻ったよ」 「え、な? はい?」  カイエの目は真剣だった。嘘を言っているようにも思えない。 「拾って欲しそうにこっちを見ていた人間を置いて帰れるほど、僕は非道じゃないよ」  プチンと頭の中で何かが切れた。 「は、じゃあ何か? カイエさんは、人を捨て犬みたいに思ってたのかよ!」 「――多分、そうだな、その感情が近い気がする。レイは僕が思っているより頭がいいんだな」  もう一度、切れた。 「ば、バカにすんな! 人がどんな気持ちで今日まで」  怒りに任せて、その場に立ち上がりカイエを見下ろした。 「あー、もう、いいから、私が悪かった。とにかく、な? お前ら、喧嘩をするな」 「だって、ティエさん! こいつ」 「レイ、うるさい。ティエさんが、困っているだろう」  突然、目の前で子供みたいに喧嘩を始めた二人を見て、ティエが慌てて止めに入る。多分ティエがいなかったら、一発殴っていたと思う。  とにかく一旦落ち着こうと息を吸って吐いた。それでもムカつきが治らなくてカイエの方を見ないようにしてソファーに座り直した。 「いやぁ、本当、君たち、鎖同士なんだよな。――なんか、喧嘩してても君たちからは家族の匂いが全然しないから」  そう言って、ティエは苦笑いする。確かに今は鎖は消えているのでティエが言う通り家族じゃなかった。 「――ずっと鎖システムの被験者たちのその後は心配していたんだ。君たちが人間らしく成長していて、少しだけ安心した」 「安心していただけて良かったです」 「あの、もしかしてカイエ博士は、私が鎖システムと関わっていたことをご存知でしたか」 「はい」  カイエはそう言って小さく笑う。 「レイが、貴方が僕がのファンだと言っていました。こんな人間で、がっかりしましたか?」 「いや。こちらが勝手に神聖視していただけですよ。もちろん、貴方がすごいことには変わりない。カイエ博士の研究も学者としてのキャリアも。応援しています」 「ありがとうございます」  一人だけ怒っているレイをおいてけぼりにして、二人は話をまとめてしまった。
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