第十三話

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第十三話

 レイたちの歩く道々に、ふわり、ふわりと足元を照らす光が灯る。自動制御された照明システムだ。手にランプを持って歩いているみたい。  普段、夜にラボ周辺をうろうろしないから、この機能を見るのは初めてだった。  結局レイはエレベーター前まで無言だった。ティエのラボを出てから、ずっと隣にいるカイエの顔は見ていない。  怒ったままは嫌だけど、自分では、どうしようもなかった。 (人のこと、犬みたいに言いやがって)  別に犬は可愛いし犬に罪はない。自分だって出会ったときは、カイエを色眼鏡で見ていた。王侯貴族のようだ、とか思っていた気がする。ただ、それに対して自分が犬だったから怒っているわけじゃない。  反射的に怒ってしまったが、歩いているうちに自分の怒りの根っこが分からなくなってきた。怒ることにエネルギーを使うのが得意じゃない。非生産的だし、笑っている方がいいに決まっている。 (あー、嫌だ嫌だ)  カイエの目にはレイが捨て犬に見えてたんだとしても、言い方ってモノがある。  頭上でポンポンとエレベーターの階数を知らせる掲示板が光っている。三台とも最下層を示していた。タイミングが悪い。夜間にエレベーターを使う人間が少ないので、間引いて運行されていた。  そのまま黙っていたら突然カイエに手を掴まれた。 「レイ」 「な、何だよ」  つい刺々しい声で返事をした。 「何を怒っているのか、説明して欲しい」  ちらりと隣を見ると、カイエらしからぬ表情をしていた。  全然分からない、お手上げだ。そんな顔。  いつも世界のことなんて何でも分かっている、みたいな顔をしている。難しい問題だと余計に嬉しくなるような男だから。そんなカイエにも分からないことがあるんだなって思った。そもそもレイだって分からない。聞かれると逆に困った。 「じ、人工知能の天才博士でも分からないことあるんだな」 「今の状況と研究は関係ないな」 「考えろよ、それくらい」  自分のことは棚に上げて、随分な物言いだとは思う。 「考えて分からないから訊いているんだが」  今のレイの気持ちを平たく言葉にすると、ムカつくだ。それ以上でも以下でもない。  捨て犬だったとしても捨て犬の矜持がある?  ――あぁー違うな。  ぐしゃぐしゃと頭の後ろをかいた。 「レーイ」  カイエは首を傾げてレイを見下ろしてくる。  心底困っている様子のカイエを見ていると、怒っているのはレイなのに、こっちが悪いことをしている気分になってきた。 「俺は、カイエさんに拾って、欲しかった!」  うーうー犬みたいに唸って、結局、駄々っ子みたいなことを言ってしまった。 「だから拾っただろ」 「……そうじゃなくて」  レイの顔が、だんだんと赤くなる。  カイエはレイの脈絡のない言葉に、ますます分からないみたいな顔した。さらに先を促された。 「お、俺はカイエさんが良かったんだ」 「そう」  長いまつ毛がぱちぱちと瞬きする。灰緑の瞳が好奇心に揺れる。 「だから、怒ってる」 「……レイ、もう少し分かりやすく言葉にして欲しい」  もう恥ずかしいから勘弁してくださいと思っていた。口に出せば口に出すほど、自分の思考回路が幼稚だと気づく。ただ一度口に出せば、レイの口は勝手に言葉を紡いでいく。 「カ、カイエさんは、誰でも良かったんだな!」 「――なるほど、水平思考問題か」 「ゲームじゃねーよ!」 「理由もなく感情を爆発させるのは、小さな子供によくあることらしいけど」  カイエは大きくため息を吐いた。 「はぁ? 子供じゃねー!」 「とりあえず分かったよ。行こうか」 「行くってどこへ」 「たまには外食しよう」  これは、もしかして機嫌を取られているのだろうか。 「が、外食? って、え、外? そんな行ける訳ないだろ」 「夜だから大丈夫」 「えぇ!」  ちょうど隣の上昇用のエレベーターがフロアに着いた。自分達の自宅マンションがあるのは一つ下、第三階層だ。本気で外へ行くのだろうか。 「西花を出るくらい簡単。僕なら」 「カイエさんは、そう、かもしれねぇけど! ねぇ! 待てって!」 「待たない。僕にとって急を要するから」 「外食が?」 「違う。僕は、レイが怒ってるのが嫌なんだ」 「え、ええ?」  カイエの支離滅裂な言葉にレイは戸惑いの声を上げる。  カイエに手を引かれ、レイは強引に上昇エレベーターに連れ込まれた。転びそうになってエレベータの中に入ると下層から上がってきたエレベーターには誰もいなかった。  気づけば再びカイエと手を繋いでいる。 (い、いいのか?)  悩んだけど、誰もいないから大丈夫と自分を納得させ何も言わないでいた。  仕事で毎日、第一階層には来ているけれど夜間は初めてだった。予想通り展望室の全ての明かりは落ちている。前方の強化ガラスの窓一面は星の見える夜景。遠くには、ぼんやりと光るスラム街が見えた。言うまでもなく植物園はライトアップなんかしないから、右奥にあるガラス面は暗いままだ。 「行くぞ」  カイエに手を引かれて外へ繋がるゲート前に向かう。 「どうやってだよ」 「鍵を開ける」  電気の消えている展望室を進み奥までたどり着く。普段は花屋のIDで通っているが、この時間だと不審な記録が残ってしまうだろうし、出入りできる時間外だから開くはずがない。  でも、そんなレイの心配は一瞬だった。カイエが自身の左腕の端末をゲートにかざすと、扉は一番外まで開く。  数秒後には二人揃って外にいた。異常を知らせる警報アラームも鳴っていない。  静かな夜だった。  まるで世界に二人きりになったみたいだ。 「――レイ」  カイエの呼び声にハッとして現実に戻ってきた。 「え、これ記録、残らないのか?」  後ろ髪を引かれるように展望室を振り返りながらカイエに連れられ歩いた。 「偽造してるから、大丈夫。カメラのデータもすり替えた」 「……それは全然大丈夫じゃないな。凄腕スパイかよ、古い漫画みたいな……」 「別に悪いことはしていないよ」  ゲートを解除する間は離していた手が再び握られた。あ、繋いで、いいんだってカイエの手に安心している。その手の温かさだけがレイを現実に繋ぎ止めている。それくらい虚構みたいに美しい星空。その下を二人で歩いていた。 「悪いことはしているよな。勝手にゲートの鍵開けてさ?」 「僕たちは、西花の人間だけど、元スラムの人間。だから行き来は自由だ。西花の都合で西花に来ただけ、それも、もう終わってるだろ」  「まぁ……それは、そうなのか?」  カイエに、さも当たり前みたいに言われた。 「あぁ。鎖の研究用モルモットとして、もう僕たちは飽きられている」 「うん」  いつの間にか鳥籠の鳥みたいに自由に外へ出てはいけないと思い込んでいた。羽を切られたわけじゃないのに。 「じゃあ何で偽造IDなんか使うんだよ」 「あとの取り調べが面倒だから。お互い、余計な仕事が増えないし非難されることもないだろう。どうせ捕まったところで解放される。拘束する理由がないから」 「そうかもしれないけど」  前へ進むカイエの足取りは迷いがなかった。 「なぁ、なんで、急に外食なの?」 「レイが怒ってるのは、ストレスだと思ったから」 「ストレス?」 「空腹だと人は怒りっぽくなる」 「カイエさんらしくねー結論だな。非科学的」  結局レイの癇癪を、夕食の時間が遅くなって起こった腹減りで片付けることにしたらしい。 「血糖値が下がると怒りっぽくなるのは、大昔から証明されてる」 「それなら、あのまま家に帰っても良かったのに」 「どうせなら、普段と違うところへ行った方が気が紛れる」  空腹なのに、さらに外食するために外を歩いている状況ってどうなんだろう。解の求め方がスマートじゃない気がした。それだけカイエを困らせているのだと思うと、馬鹿馬鹿しくなって溜飲が下がる。 「なぁ、カイエさん。自分で言いながら、絶対違うなって思ってるだろ」  にやっと笑って隣のカイエを見る。 「まぁね」  カイエは隣で小さく笑っていた。もう、お互いどうでも良くなってきたのは同じらしい。  満点の星空が綺麗だったから。手を繋いで歩けたから。今からカイエと二人で夜遊びするのが楽しみだから。どうでもいい。
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