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第十五話
着替え終わると再び東葵花の往来に戻ってきた。夜なのに、この辺りだけ昼間のような賑やかさだ。人の話し声よりも電子音の方が多い。周囲には飲食店が立ち並んでいて、店の前には案内の人が立っている。けれど客引きなどはない。一見さんお断りの店ばかりだ。西花の人間にとっては完全にアウェーの場所だった。
一体どこに連れて行ってくれるのやら、と横目でカイエを観察すると、カイエの周囲の空気が柔らかくなっている気がした。
さっきまで人の顔色を伺って終始落ち着かない様子だった。そのレイの機嫌一つ、みたいなカイエを知って、こっちまで嬉しくなってしまう。自分の独占欲は底なしだ。
足元は割れたガラスの破片や大昔の工場廃棄物の部品が散乱していて、気をつけないと怪我をするし、真っ直ぐ歩くのが難しい。
西花で生まれて西花で育った人間たちは、こんな汚染地域なんて歩いたら数分で死んでしまうと考えている。ここで出てくる食べ物を口に入れるなんて論外だろう。酒やタバコが体に悪いのは旧時代から分かりきっている。けれどレイは、そういった嗜好品を積極的に嗜んでいる外の人間の方が、はるかに健康的に思えた。
「カイエさんさ、なんか浮かれてる?」
夜遊びでワクワクしているのが、レイだけだったら寂しいと思って茶化して言ってみた。
「まぁね。悪いことしてるときって、楽しいだろ」
「悪いことって自覚はあるんだな」
「誰にも迷惑をかけてないなら何をしてもいい、とまでは思っていないな」
「そんなこと思ってたら、怒るわ」
「それは人として、家族として?」
「両方。お前だって、俺が悪いことしたら怒……らないな。お前は」
カイエはいつだって「僕に迷惑をかけないなら、お好きにどうぞ」ってスタンスだった。年相応にまともなことを言うようになったのは、ラボで働き出してからだった。周囲の人間に矯正されたのか、人と働く上での協調性と効率の重要性を学んだのか。多分両方だ。
見た目に反して中身は、本当ただのチンピラだった。
「怒るのは無駄なエネルギーだと思う」
「無駄なことしていて、すみませんね!」
「レイは怒りながらでも前に進めるんだから良いんじゃないか」
「皮肉かよ」
「なんでだろう。レイは僕の言うことは素直に受け取らないよね」
「カイエさんの言葉には、絶対裏があるからだよ!」
「そんなことないのに」
小さな生物(ロボット)を避けながら通りを歩いていると、カイエは黒服姿の男が二人立っている場所で立ち止まった。
さっき冗談でカジノでも行く気かと思っていたが、本当にカジノだった。しかも明らかに裏カジノ。賭場に見えた。後ろ暗い人間しか来ないような店構えをしていた。
「ここに入る」
「マジかよ、正気?」
「正気。別に、普通の店だろ」
「普通ねぇ。飯食べるんじゃなかったのかよ」
「もちろん食事のつもりだよ。これ以上レイを怒らせたくないからね」
「人のこと食いしん坊みたいに言うなよな」
明らかに人身売買をやっていそうな屈強な男が、じろりとレイとカイエを見下ろす。
「二人、奥の部屋使っていい」
カイエが男に左腕の端末でIDらしきものを掲げると、特に咎められることなくあっさりと奥に通された。青白い光で満たされた暗い通路を進むと、予想通りカジノフロアにたどり着いた。
確かに自分たちが今身についているような服でなければ入れない場所だった。古びたアンティークのスロットマシンが壁側に並んでいる。客はディーラーのいる中央のポーカーテーブルの前に集まっていた。羽振りの良さそうな人たちに見えた。多分、子どもだったレイやカイエたちを西花へ売った人間たちかもしれない。
この辺りは人身売買が一番金になるから。
「カイエさん、行きつけのカジノとかあるんだな。ここで悪いことでもしてた?」
近くにはバーカウンターもあって、そこに行くのかと思ったら、そこを通り抜けカイエは奥の扉を開けた。
「僕の基準で道理に反することをしたのは、一度だけだな」
「――そう」
カイエが『魔王さま』になった日のことを言っているのは容易に想像出来た。口に出来ているところを見るに、過去は乗り越えているのかもしれない。
扉を開けると赤絨毯の廊下に白い大理石の花台があった。花瓶に生けられた花に見覚えがある。
それは間違いなくレイが庭で育てている花だ。
「え、なにここ」
「そこの部屋だから」
「あ、あぁ、うん」
カイエに促されてレイは先へ進む。
花瓶に入っていたのはササユリだった。清楚で可憐な花姿をしている。それはレイが何度も枯らせて、やっと今年咲かせることが出来た花だった。
植物園から花が時々盗まれているのは気付いていた。それはレイだけじゃない。他の職員の庭も同じだ。
西花の人間が外の植物を無闇矢鱈と持ち込むはずはない。盗んでいるのは外の人間だと会社から言われていた。どう対策するかも各自に任されていた。
犯人が分かったところで西花の人間じゃない以上捕まえることは出来ない。
レイ自身、少しずつ植物が誰かに盗まれているのは見て見ぬふりをしていた。
花泥棒は罪にはならない、とまでは思っていないが、こんな荒廃した土地でも花の美しさが分かる人間がいるんだなと感心していた。
――で、なんで。中華料理屋に俺の花があるんだよ。
カイエが表の人間に、奥の部屋を使うと言っていたので目的地はここで合っている。
カジノの奥の部屋には中華テーブルが設置された個室があった。
接待で使っている部屋かもしれない。
広い円卓に向かい合って座るのは遠いし、上座下座を気にする間柄でもないので、カイエの左斜め前に座った。二人が座った瞬間、店員の生き物(ロボット)が注文を取りに来た。戸惑っているレイを置いてけぼりにして、カイエは慣れたふうに適当に注文を済ませてしまう。
「なぁ、もしかして、ここで出てくる料理って」
「多分、すごく美味しいんじゃないかな。そして、どこよりも安全」
「それは、俺たち花屋が庭で作ってるもんだからだな」
レイは呆れて大きく息を吐いた。
「当たり」
「当たりってなぁ。まさかカイエさんが盗ませてるとかじゃねーよな」
「それは誓って、違う。普段食事してた店の野菜がやけに新鮮だなと思って調べたら、盗品だった。道理で美味しいわけだよ」
「お褒めに預かり光栄だ」
「で、黙ってる代わりにオーナーからこの場所に出入りを許可された」
「あぁ、そうかよ」
「怒ってる?」
「別に、どうせ実験で使われて、捨てられるモノだし。誰かが食べた方がいいんじゃねーの」
「根が善人だよね。レイは」
「なんだよ」
「金儲けに使ってるって言わないところが」
「金儲けって考えが、そもそもないからな。――西花にいる限り」
「それはまぁね」
全員が平等に利益を分配しているような国にいるから、金儲けしようって思考が端からない。生きるのに苦労しなくなった結果、自己実現の欲求に「お金」が絡まなくなった。
しばらく待っていると、中華風の炒め物や、点心などが運ばれてくる。全てオートなので店員に気を使う必要もなかった。
「瓶酒まであるし、カイエさん。紹興酒とか飲むの?」
「たまには良いかなって」
「たまにはねぇ」
「何?」
「別にぃ」
再会した晩も飲んでいたし実は呑助なんじゃないかと疑いの目を向けた。カイエは小さなグラスに酒を注いでレイの前に置いてくれた。
「あ、ありがと。いただきます」
言いながら全部盗品なんだよなぁと思う。当たり前だけどレイたちが作っている野菜は最高に美味かった。流石に肉は手に入らないから、ほとんど代替品だ。それでも味気ないって感じはしなかった。
いつもより遅い時間の夕食だが普段より豪華だし何より、二人で秘密の夜遊びをしているみたいで楽しかった。
西花でラボの実験動物だったときは、そこにいるのが幸せだった。カイエと二人で家族だった、あの空間の他に欲しいものなんてなかった。
けれど今、こうして外でカイエと食事して、こんな楽しい遊びがあったんだなって知った。
知らないことを知るたびに欲が生まれる。
「レイの方がが浮かれてるよね」
「酒のせいだよ」
普段飲まない種類のアルコールは、簡単にレイの思考を蕩かせる。
「カイエさんと、デート楽しいなぁって、思ってるよ」
「ほら、浮かれてる」
「浮かれてねーもん」
自分でも何言ってるんだよって思ってるけれど、今ならなんでも言ってしまいそうだった。再会してから、あれもこれも、言っちゃダメだって自制していた。その反動でストッパーがゆるゆるになっている。
「――酔っ払いめ。飲ますんじゃなかった。帰れなくなる」
「カイエさんの家、外にあったじゃん。泊めてよ」
「……レーイ。夜遊びは、バレないようにするから楽しいんだ」
「帰るまでが遠足みたいなこと言うし。幼稚舎みてぇ。カイエさんがね、帰ってきてくれた日に、植物園に遠足に来ている子たちがいてさ――」
「あぁ」
酔っ払いの会話にカイエは、ちゃんと相槌をうってくれる。それが嬉しくて、ついニコニコと小さな子どもみたいにへらへらと笑ってしまう。
「カイエさん。美味しい? 俺の作った飯」
カイエの顔を覗き込んだ。
「食材を、作ったの間違いだな」
「おんなじじゃん」
「……美味しいよ。レイのご飯じゃないけど、あの植物園のものを食べると、レイがそばにいるような気がしていたから」
――そこまで、欲しいなら。
会いにくればよかったのにと、喉元まで言葉が上がってくるのに。
その言葉はなけなしの理性で止めることが出来た。
どうしても言葉にならなかった。
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