第十七話

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第十七話

 * * *  白く透き通った朝日の色はニセモノ。レイとカイエの関係もこの光と同じ。西花に来たときから全部が嘘で塗り固められたものだった。 「ぇ、朝」  声が酒のせいで掠れている。昨晩の酒がまだ残っていて頭がぼんやりした。  三年間、毎日ひとりでこの朝日を見て寂しさと孤独を感じていた。外スラムにいたときは寂しいのも孤独なのも当たり前だったのに。  レイは眩しさに目を擦る。  同じ時間に起き、カーテンを開け朝日を見る。決まった手順で出かける支度をして仕事に向かう。それがロボットのように動いていたときのルーティーンだ。 「なんでカーテン開いてんだよ」  ベッドから上体を起こす。  ベランダのカーテンが開けっぱなしだった。いつもより部屋の中が明るい。昨日、自分より後に仕事へ行ったカイエが閉めなかったのだろう。  夜遊びした記憶が途中からない。どうやって部屋の鍵を開けたのか、どうやって服を着替えたのか、風呂には入ったのか。 「全然、覚えてねぇわ」  カイエが帰ってきてから自分のルーティーンは崩れてしまった。ロボットから生身の人間に戻った気がする。  レイは、それを良いことだと思っている。  部屋に差し込む朝日の眩しさに、全く起きる気配がない隣の男。 (うっ)  同じベッドで眠っているカイエの寝姿が目に入る。運動をしているわけでもないのに心臓が勝手に心拍数を上げた。白いシーツの上に広がる艶やかな黒髪。長いまつ毛、薄いピンク色をした形の良い唇。無防備な首筋を見ていると喉の渇きを覚えた。  家族だったときは、この頭の先から足の先まで全部自分のものだって無邪気に言えた。寂しいから抱きしめて欲しいって簡単に言えた。  けれど今は正しく機能している理性が邪魔をする。 (はぁ、早くベッド買わないとな)  カイエは起きるつもりがないのか、ごろりと寝返りをうつ。隣で無防備に寝てくれるのを嬉しく思うのに同時に腹立たしい。  レイ一人だけが恋心に振り回されている。  昨晩はとてもいい気分で夜遊びをした。何も覚えていないけれど、ちゃんと着替えてベッドで寝ているところを見るに、カイエがレイの世話をしてくれたのだろう。先日と立場が逆だ。  お互いがお互いの世話をやいている状況は、以前と変わっていなかった。 「なー、おい。仕事行くけど、カイエさんは」 「んー、今日も昼くらい」 「あっそ。出かけるならカーテンくらい閉めろよな」 「目覚まし要らずでいいだろ」 「屁理屈言うなー」  ベッドから出て床に足をつけたとき、肘から手首にかけて、するりとカイエの手が触れた。背にぞくりと欲が渦巻いた。 「な、何だよ」  レイは振り返ってベッドを見下ろした。 「行ってらっしゃい」  じっ、と灰がかった緑の瞳が細められる。 「ばーか!」 「なに、朝から機嫌悪いな。本当、レイは隣にいるだけで賑やか。外の光じゃなくて、お前が隣にいるだけで目が覚める」 「悪かったな! うるさくて」 「別に、悪くないよ。もっとうるさくてもいい、お前だけなら」  背に向かって聞こえたカイエの声を無視してバタバタと仕事に向かった。後ろ髪を引かれようが、植物はレイのことを待ってくれない。  世話をしないと繊細な花はすぐに枯れてしまう。  朝、花の世話が終わったあと、会社に戻ると社長に客先周りを命じられた。  第二階層のラボは昨日も来た。しかも日に、二回も顔を出している。 「で、何でお前は、私のラボに昼間っから来てるんだよ」  呆れ声でティエが話しかけてきた。声が少し眠そうだ。 「昨日、外の庭で一日遊んでたのが社長にバレたから。営業です」 「たまには、しっかり働けってことだろ、普段から適当な会社だから」 「よくご存知ですね。その通りだから、別に反抗もしてないですよ」  普段は夕方にまとめてラボに花の配達へ行く。けれど朝、会社へ顔を出したときに営業用の資料を託された。資料なんてデータで送っておけばいいのに、時々変にアナログなことをする。 「ティエさんは、もう少し休んだ方がいいですよ。昨日の服と同じ、やっぱり泊まりだったんですね」 「研究者は泊まりばっかりだよ。中央以外全部ブラックだねぇ」  ティエに言われて、昨日今日と昼まで寝ているカイエの姿が頭に浮かんだ。 「会社の資料どこへ置いておいたらいいですか、紙ですけど」 「そこのボックス。ゴミになるけど、それでいいなら」 「でしょうね。入れておきます。花の受注増やしてくださいってラボに言っても使う量なんて、毎日決まってますからね」  会社のパンフレットをティエのレターボックスに入れた。資源の無駄だなと改めて思う。 「観賞用にでもなればねぇ、お前のところの花もお金になるだろうけど」 「西花では無理でしょう。外は、まだまだ鑑賞用の需要はあるみたいですけど。最近花泥棒が多くて」 「難儀なことだな。新規顧客見つかればいいね」  昨晩、東葵花の飲食店で花が飾られていたのは外だからだ。もし観賞用に生花なんて持ち込んだら西花の人間は大騒ぎするだろう。それが人間に害がない植物だとデータで証明したところで信じる人間の方が少ない。 「営業なんて形だけですよ。社長は、ただ仕事をしているって報告が欲しいだけなんですから」 「研究者みたいに実績が求められない分、楽だろうよ。面倒な学会もないしな」  元々それほどフレンドリーな相手ではないが、いつもに増して当たりが強い気がした。 「なんか、もしかしてティエさん怒ってます。研究大変とか」  ティエはマシンの前に椅子を置いて、ずっとディスプレイと睨めっこをしていた。レイが隣に立つと顔を上げる。目の下にはうっすらと隈が浮いている。昨日と同じスーツに白衣。カイエの前では年齢より遥かにイキイキして若く見えたのに、一晩で年相応の姿に、よく言えばいつも通りの姿に逆戻りしていた。 「あのなぁ、私は寝不足なの! 原因分かってんの?」 「もしかして、昨日、カイエさん呼んだから」 「来るなら事前に連絡くらいしろよな。こっちは心の準備もなんもしてなかったんだから」 「すみません。俺は嫌だって言ったんですけど、カイエさんが、どうしても行くってきかなくて。言い出したらテコでも動かないから」 「ほぉ」  ティエに半目で疑うような眼差しを向けられる。 「な、なんですか」  その視線にレイはたじろぐ。 「おうおう身内感出してヨォ。いいよなぁ、あのカイエ博士と家族って。毎日いつでも話せるんだろ」 「い、一緒に居たからって俺は研究のことなんて喋らないですけど」  そんなに憧れるようなものだろうか。レイはカイエと家族で良かったと思っているが、その知識や肩書きなんてどうでもいいと思っている。  彼の頭の良さでレイにメリットがあるとしたら、家電を直せる程度のことだ。  もしティエがそんなことを知ったら才能の無駄遣いだと怒り狂うだろう。 「ま、普通会えないような有名人に会わせてもらえたんだから、私はお前に感謝すべきなんだが、そのおかげで仕事が遅れてるんだよねぇ」 「それは、どうもすみません」  別にカイエの暴走は自分のせいではないと言いたい。けれど元家族としては謝っておくべきだと思った。 「まぁ、礼は言っておくよ」 「喜んでもらえて良かったです」 「ところでさ――」  急にティエの声のトーンが変わった。 「お前ら、本当は鎖同士じゃないだろ」  ティエに突然言われた言葉にレイは目を見張った。 「え、な、どうして」 「だって、お前が博士見ているときの目、家族を見る目じゃねーんだもん」  ティエが昨日言っていた「家族の匂いがしない」という言葉を思い出す。実際、自分達は鎖関係じゃない。三年前、カイエが壊してしまったから。 「昨日の家族の匂いがしないってやつですか?」 「まぁね」 「じゃあ、どう感じたんですか」 「そりゃあ、もちろん痴話喧嘩だろ?」 「ち、ちわ、げっ」  レイは顔を赤くする。その顔をティエにまじまじと覗き込まれた。 「あ、やっぱりそうなの? お前さん、カイエ博士のことが好きなのか」 「……な、なんで、そんなこと、分かるんですか」  レイは自分の赤くなった顔をティエから隠すように覆って横を向く。 「見てれば普通分かるだろ。嫉妬丸出し。好き好きオーラ出まくり。……つか、家族同士で恋愛ってまー、どういう経緯でそうなったの?」 「お、男同士が不毛とは言わないんですね」 「別に、近親相姦がどうって文化的タブーの問題はあるけど、お前らは元々血が繋がってない。十数人集まれば一人はマイノリティー。性的指向の正常異常を論じるのは前時代的っていうのが今ですよ」  ティエは淀みなく滔々と自説を語った。 「それは……」 「けどさ、どうして博士のこと好きになったんだ? いくら考えても、それがどーしても分からんのよ」  いきなり恋バナを求められるとは思っていなかった。そもそも興味を持たれた理由が分からない。それほど親しい間柄でもない。 「どうしてって、い、一緒にいた年数とか、自然にとか、色々あるじゃないですか。恋って」 「違う違う、私が知りたいのは、そういう馴れ初めじゃない」  ティエは首を横に振った。  ティエに隠した顔をマジマジと覗き込まれる。別にバレたところで失うものはない。けれど恋をしたのも初めてなら、誰かに色恋の話をふられたのも初めてだった。受け流し方が分からない。 「じゃあ、どういう話ですか」 「あのな。鎖同士は絶対恋愛関係にならない。それが前提なんだよ」 「それは、知っていますけど」  レイだって、ラボに隔離されていたときにそれは研究者から聞かされていた。 「私が昨日眠れなかった理由、知りたいか?」 「え……」  にやり、とティエは笑った。 「いいか鎖システムは、絶対的支配で成り立っている。人間の欲求の最上位に来る感情だ。家族関係が互いに打ち込まれているなら、家族の規範から外れるものは、感情として表に出てこない。内的にあったとしても、だ」  ティエはさっきまでレイを揶揄うような話しぶりだった。それが鳴りを潜めている。実は食えない男なのかもしれない。 「鎖関係にあって恋愛感情が生まれる。その理由は、鎖に問題があった場合だ」  ティエは切れ者の研究者の顔をしていた。机の上に頬杖をつき、人差し指を先生みたいに動かしながら、空中に線を引く。自分で話しながら考えをまとめているようだった。 「私は、三つ可能性を考えた。一つは人的バグの混入。人間が作ったプログラムである以上、一定のバグは混入する。ただし、可能性としては低いな。ゼロではないが」 「何故、ですか」  なんだか高等部の授業を受けている気分だった。こんな学校の先生が西花にはたくさんいる。あとレイはこの手のディスカッションの授業が苦手だった。相手に思うままに丸め込まれて点数が伸びないし、迷いからすぐにひよってしまう。 「考えてみろ。恋愛感情なんて家族の絆が崩壊する最たるエラーだ。もしそんな重要なバグがあったなら、もっと短期間で報告が上がっているはず。被験者が巧妙に隠していたらなら、まぁなくもないが、その場合の理由がなぁ、一旦外そうか」 「はぁ……」 「二つ目は環境の変化による鎖の弱体化。鎖システムの運用を始めた当初、被験者はラボに隔離されていた。何故だか分かるか?」 「それは……近くで研究するのが楽だから、とかモルモットの監視目的?」 「それもある。けれど、一番の理由はプログラムの補強に環境が必要だったから、だ」 「補強?」 「人間っていうOSに、鎖ってソフトを載せる。この場合のOSに当たるのは人間だけじゃない。家庭っていう鳥籠が必要だった」 「とり、かご」 「その環境が良くなかった場合どうなるか。離れて暮らしていたとか、そうだなぁ、心理的安全が確保できないような状況にあった。虐待とか家族としてマイナスの要素が排除出来なかった場合だ」  確かに鎖同士になったあとレイとカイエは、まるでおままごとのような温かな暮らしをしていた。絵に描いたような幸せ家族。それが鳥籠だと言えばそうだったかもしれない。 「けれど、これも、まぁ、可能性は低いな。何故なら、もしそんなマイナスの環境で育ったら心に傷(トラウマ)が残る。鎖は相手と離れることで耐えられないほどの苦痛を感じるように出来ているんだ。昨日お前たち二人を見ていても、そんな様子はなかったしな。健康状態に問題があるようには思えない。もちろん心の中までは分からんがね」  ティエは自分の中で既に答えに辿りついているのだろう。ただ信じられないから、納得出来るように口に出しているだけだ。 「三つ目。博士が何らかの理由で鎖を破壊した」  レイは小さく息を吐いた。隠しているわけじゃなかった。ただレイは偽りでもカイエとの関係を「家族」のままにしたかったのかもしれない。別にティエにバレたところで、何も不都合はないのに精神的にはダメージを受けていた。  家族に見えないと言われて傷ついている。唯一残された繋がりまで失ったように感じた。 「――そうですよ。カイエが三年前、鎖を破壊しました」 「やっぱりか。やっとすっきりした。しかし、そんなことが出来るのか」 「出来たんだから、そうなんでしょう。ティエさんだって今、自分で言ったじゃないですか」 「それは言ったが、いや。うん。そうだな」  ティエは頭の後ろをガシガシとかいて目を泳がせている。 「何でもないことのように言ってるが、普通はできないことなんだ」  カイエは普通でないことをやってのけた。それはレイも分かっている。 「何故、壊したかと聞いてもいいか」 「分かりません。もし鎖が壊される前だったら、カイエの気持ちも分かったかもしれない。けど、事後報告でしたから。例の裁判のあと一人で」  そばにいるだけで支えになった。そう、優しいことをカイエは言ってくれた。けれど、実際レイは、あの事件のとき、必要とされていなかった。それが、ずっと心にひっかかっている。 「そうか悪いな、個人的なことを聞いて」 「別にいいですよ。疑問が解決したし、今日は安眠できますね」 「怒るなよ」 「怒っていません。俺だって、ずっと、知りたいんです。――ただ聞けない。怖いんです。もう家族じゃないですから。この三年間、ずっとカイエは外スラムでいましたよ。俺のことを一人、西花に残して」 「――三年。まぁ、確かに、鎖関係のままだったら、三年も離れて暮らすなんて、そもそも出来ないだろうな。そんなことをすれば神経衰弱して二人とも死んでしまう。もし出来たとしたら、別の鎖を打つか……あるいは。いや、そんなことは……出来るはずが」  ティエは独り言を言いながら、何か考え込んでいるふうだった。  「とりあえず、もしそれが「事実」なら黙っていた方がいい。中央では絶対言うな」  考えがまとまったのかティエは顔を上げた。 「え、どうしてですか」 「いま鎖システムの研究は凍結されているんだ」  研究者たちの興味が薄れているのは、レイも感じていた。 「元々、鎖システムが開発されたのは、この隔離された西花で人間が人間らしく生活するためだった。まぁ、心を正常にコントロールする実験って言えばいいのかな」 「俺は人が幸せになるための研究って聞いてましたけど」 「まぁ表向きはな、で、実験は、成功しなかった」 「どういうことですか」 「誰だって分かることだ。人の心はそんなに自由にじゃない。一度家族になった絆は簡単に解くことは出来ない。情が生まれるだろ? お前たちが鎖を解消しても一緒にいるのが、そうじゃないのか」 「それは」  同じことをレイも思っていた。鎖を解消して、カイエが自分のところに帰ってきたのは、長年過ごしたことで生まれた情なんだと。  それ以上でも以下でもない。 「けれど、それだと運用に耐えられない。不都合だという上の判断だよ」 「勝手なこと言う」  レイは吐き捨てるように言った。 「そうだな。そもそも健全な心を外野にプログラムされて幸せになれるなら、苦労はねーな」  人の心を自由に操れるなら苦労はしない。そんなこと出来てたまるかと思った。 「それにな、人間ってものは安全装置のないものは使いたがらないもんなんだよ」 「それは、そうですね」  永遠に、壊れないモノ。それを欲する気持ちは理解出来る。けれど、もしも、に備えたくなるのも人の心だと思う。 「君たちが、ずっと正しく家族同士でいたことが、研究の停止につながったなんて皮肉な話だよな」 「でも、俺は……」  カイエは鎖を破棄した。  心を自由にプログラム出来る術を、完璧な鎖を手に入れた。 「出来ないことが、出来た。――博士は、パンドラの箱を開けてしまったってことだ。心を自由に操作出来る鎖、それがもし実現出来たのなら」 「あの、俺、帰ります」 「そうか、悪かったな。引き止めて」 「いえ」  ティエの話を聞いているうちに、気分が悪くなってきた。 「私もこのことは忘れよう。西花の、いや人間のためだ。鎖システムの研究の再開なんて絶対にあってはならないからな」
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