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第十八話
西花へ復讐するため。
その一つの可能性に気づいたとき、レイは闇雲にどこかへ向かって走っていた。
怖い、と思った。
自分の心が。
レイはカイエのことを一番身近な存在で家族だと思っていた。なんでも知っているし、なんでも分かっていると思っていた。
けれどそんなものは、ただの思い上がりだった。
長い間家族だと思っていたのは、レイだけだったのだろうか。苦しいときも悲しいときも、お互いの気持ちを分かち合えるのが家族。レイは、そんな存在が欲しかった。
けれど、そう思うことが罪だと初めて感じた。
「俺だけが、幸せだった……のか」
家族が欲しかった。
西花に来て家族を手に入れた。偽りでも良かった。
でもカイエは家族を得たことで苦しんでいたのかもしれない。レイの存在がカイエを苦しませたのかもしれない。そう思うと悲しくて堪らなかった。
もしそうなら、気づいてあげられなかった自分が許せそうにない。
自分一人が、幸せだった過去なんて、そんなモノ悪夢でしかなかった。
一緒じゃなければ、幸せなんて意味がなかった。――家族なんて、要らなかった。
はっ、と我にかえり顔を上げた。真昼の陽光に目が眩む。
レイが立っていたのは地下第七階層の広い公園だった。人工芝が遠くまで青々と続いている。
沈む気持ちのまま進んでたどりついたのが、西花で一番明るい場所なんて、おかしな話だ。
近くにはカイエが仕事をしている中央研究所がある。
レイの周りでは子供たちが楽しそうに駆け回り、老夫婦はにこやかな表情で散歩をしている。その風景は、どこか現実味がない。
ドロドロとした暗い気持ちが次から次へと湧いて来て、さっと血の気が引いた。このままだと倒れてしまうと思い近くにあったベンチに座った。
長い間、手を固く握ったままだった。手を開くと真っ白になっていた。ベンチに力無く座り血の気のない両手をじっと見ていた。
心を自由に操れる鎖。
そんな恐ろしいものを作ってカイエがやりたかったこと。
人工知能の研究者として純粋な欲求で危険な研究に手を出した。倫理観を無視した欲求をカイエが持っていた。
褒められたことじゃないけど、それならそれでいい。
レイが、こんなにも動揺しているのは、突然カイエがレイの元へ帰ってきた理由だ。三年前、一つの国を壊したのは悪夢の序章に過ぎなかったんじゃないか。
もしカイエが、完全な鎖を使って自分たちをモルモットにした国へ復讐を考えていたら?
レイにも言えないような仄暗い感情が、長い間カイエの身の内に隠されていたとしたら? ――そして、それは今も。
レイは頭を振った。
罪は罪だ。分かっている。
過去、カイエが起こした惨劇は、レイたちを育ててくれた西花を救いたい。そんな優しい感情があったからだとレイは信じて疑っていなかった。
その前提が間違いだったら。
(違う。俺はカイエを信じてる。俺が知っているカイエが全部だ。――それ以外なんて)
何でも知っていると思っていた家族が一瞬、遠く感じた。
三年前に鎖が解けたときレイを襲ったのは底なしの孤独と恐怖だった。埋められない喪失感。痛みだった。
その痛みと傷をカイエも同じように感じていると思っていた。
今まであった確固たる地盤が崩れてなくなるような恐ろしさがあった。
「変なの、怖いのに。まだ、近くにいたいなんて」
ぽつりと違和感をこぼしていた。
カイエが怖いと感じている。
家族の繋がりはなくなった。でも、カイエが救いようのない犯罪者になったとしても、レイはカイエがいいし、そばにいたいと思っている。
――あいつがどんなやつでも好きって。どうかしてるな。
むしろカイエが、そんな仄暗い感情を持っているなら、自分も同じが良かったとまで考えている。怖いと思いながらもカイエからは離れられない。
「こんにちは。レイさん、ですよね」
不意に頭の上から陽気な声が降ってきた。レイは驚いて体をびくりと震わせる。後ろめたいことを考えていたから体が過剰に反応した。
「あ、あぁ……レイノール博士でしたか」
「ナギでいいですよ。私の方が年下ですし。博士って呼ばれるの好きじゃないなぁ」
明るい金色のくせ毛、くりくりとした人懐っこい瞳で見つめられる。この底抜けに明るい公園にぴったりの雰囲気だった。
薄水色のシャツに紺色のネクタイ。灰色のスラックスに白衣を着ている。ラボの人がよくしている姿だが人一倍清潔感があった。
まだ昼間の時間帯だ。第七階層に夜はない。けれど、この時間ラボの研究者たちは研究室に篭って仕事をしているのが普通だった。
「貧血ですか? 顔色が悪いですね」
親しいわけでもないのに声をかけられて、何を話せばいいのか分からない。そんなレイを置いてけぼりにしてナギは、ぐいぐいと距離を詰めてくる。
「中央研究所に用事ですか」
「いえ、違います」
「えっ、じゃあ散歩? 今だと、花屋さんは、お仕事の時間ですよね。サボりとか」
何だか尋問されている気分だった。その明るい声に気圧される。
「その休憩、です。ちょっと気分悪くて」
「あぁ、なるほど。やっぱり二人は鎖同士なんですね」
「え」
話の繋がりが分からなくてレイは聞き返していた。
「鎖の副作用みたいな。相手と離れていると辛いっていいますしね。レイさんは、よっぽど強いもの打たれたのかなぁ」
じっ、とガラス玉のような瞳に探るように見つめられていた。
そういった鎖の特性は研究チームか学会関係者でないと知らないことだった。今年ラボに入った部外者のナギが、どうして鎖の詳しい機能を把握しているのだろうか。
「ナギ、さんは鎖のことよくご存知ですね」
「だって、すごく面白いじゃないですかぁ。鎖って」
キラキラと好奇心の塊みたいな笑顔を向けられる。
「おも……しろい」
レイは、なんだか目の前の青年が恐ろしいと思った。
「はい。私も鎖システムって、最初はバカバカしいなぁって思っていたんですけど、例のシステムに組み込まれているって知ったら興味が湧いて」
「例、のって」
「知りませんか? カイエ博士が一晩で完成させた。兵器。魔王って呼ばれてますけど」
レイも名前は知っている。
カイエが西花の防衛システムとして開発したものだ。
――今、俺この話を聞きたくないな。
けれど知りたくない情報はどんどん耳から入ってくる。
「自律型致死兵器システム。LAWS、自動兵器ですね。鎖は元々他のラボが開発したものですけど運用に耐えられなくて研究は凍結されたんです。で、その思考操作のフレームワークだけを切り出して」
「あ、あの、えっと、俺そういう難しいの、分からなくて」
「あぁ、すみません。ラボの研究者とばかり話してるとダメですねぇ」
ナギは、きゃらきゃらと笑って話を続ける。
「じゃあ、そうだなぁ植物園で働いているなら、植物のことならわかりますかね」
「植物?」
「ハンノキって知ってます?」
「いえ」
すぐに形状は浮かばなかった。仕事柄植物は詳しい方だが、木の種類までは分からない。
「魔王って曲は知ってますか? 高熱の息子を助けようと馬で走る父親。最後に息子は魔王に連れさられて亡くなるって暗い曲。その魔王ってハンノキの妖精だったらしいですよ」
「はぁ……」
この話は一体どこに続いているんだろうか。ナギの流麗な語りに酔いを覚えた。
「カイエ博士、兵器の由来は公表していないけど、この曲じゃないかなぁって私思うんです。頭文字取って並べ替えただけとか、博士らしくないし」
「そう、ですか」
「皮肉というか洒落が効いてますよね。人を死に誘うのは同じだけど、妖精の王に連れていかれるって言われると、正しいことをしたように感じる。人を救い、人を殺す。どちらの側面も持っている兵器にぴったりだと思いませんか?」
ナギの言葉にだんだんと頭がぐらぐらしていた。座っているのに気分の悪さから倒れそうだった。
「あれ、家族のことなのにレイさんは知りませんでした?」
「はい」
「そうだ、良かったら私が全部教えてあげましょうか? 知りたいですか? カイエ博士が、あの日、何をしたか。報道規制されてましたしねぇ」
「ナギさん、なんで、そんなに鎖に興味があるんですか」
「あ、別に私は、中央にいるようなマッドサイエンティストたちとは違いますよ。人体実験にも興味がない」
「そう、ですか」
「あ、私も休憩します。お隣いいですか」
「えぇ……どうぞ」
「ところで、――二人の鎖は既に消えてるんじゃないですか」
ティエに続いて、ナギも真実に辿りついていた。そんなに分かりやすいのだろうか。だからカイエはレイのそばから離れたのだろうか。周囲に気取られないよう。
じゃあ、なぜ、今になって帰って来たのか。何も分からない。苦しい。
「私、知ってるんですよね。カイエ博士が三年間どこにいたか」
「どう、して」
「外スラムに家を借りて住んでいたんですよね」
にこりと毒のない笑顔を向けられる。だから余計に目の前の男が恐ろしかった。
「どうして二人は、三年も離れていられたのですか? 普通に考えて番同士が離れて暮らすなんて無理でしょう」
「そんなの」
「教えてください。そうしたら、私が、カイエ博士が今中央でやろうとしていること教えてあげますよ。本当の家族なら、絶対止めないとけない。そう考えるはずだ」
「なんで……そんなことを調べてるんですか」
声が掠れた。
ティエもそうだった。どうして結論ありきの話をしたがるのだろう。
――もう聞きたくない。助けて欲しい。
そう耳を塞いだときだった。
「なぜだと思います?」
「そんなの、俺には、わかり、ません」
「それはねぇ、私が博士のことを大好きだから、かな。好きな人のことは知りたくなるでしょう?」
「――ナギ、黙れ」
その声とともに、レイは手を引かれた。
「あれカイエ博士。なんで分かったんですか。私が公園にいるって」
レイはカイエの胸に抱きしめられていた。
「僕とレイは鎖だ。相手の不調くらい感じられる。レイに呼ばれたから来ただけだ」
「カイエ、さん」
カイエを呼ぶ声が掠れた。
「レイ、行くぞ。そんなやつの話聞かなくていい」
「ひどいなぁ、こんな奴って。今の私の告白聞こえてましたよね。好きだって、お返事は?」
「あいにくと。僕はレイ以外の人間に、興味がない」
そのままナギの座っているベンチから離れようとする。
「へぇ、なるほど。鎖の思考操作力は強いですね」
「分かってるなら、つまらないことを訊くな」
「あ、待ってください。あと一つ」
カイエはナギに呼び止められた。
「ねぇ、カイエ博士。これを聞いたら鎖の研究は諦めます」
ナギは、そこで一度、言葉を止めた。
「どんな方法を使ったのかは今は聞きません。けど、二人が三年間離れていたのは、事実です。なぜ、か。理由だけでも聞かせてくれませんか?」
それは、レイがずっとカイエに訊きたかったことだった。
知りたいけれど、怖くて聞けなかった。
顔を上げてカイエの顔が見られなかった。小さなため息。その後、聞き慣れた抑揚のない声が耳元から聞こえる。
「――あの状況で、僕がレイのそばにいて何かメリットがありましたか。人殺しの僕が」
胸に抱き締められている間。その言葉の全てにカイエからの深い愛を感じている。けれど苦しくて堪らなかった。
「なるほど。それがあなたの言うところの鎖の家族愛ですか。レイさんのことを思ってだった、と」
「どう思ってくれても。僕は君に興味がない。――レイを家まで送ってくるから、戻って仕事していろ。勝手にラボを抜け出してサボるな」
「はぁい、ごめんなさぁい」
レイはそのまま、カイエに支えられて公園を後にした。
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