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第二十話
前後不覚になるほど泣いて目が覚めた。四肢は脱力して指一つ動かすのも億劫。このまま泥のように眠っていたかった。まるで小さな子供のようだ。
けれど今は起きて動かなければいけない。
肩まで布団を掛けて横になっていた。意識が落ちたあとカイエが掛けてくれたのだろう。少しも眠った心地がしなかった。ベッドから上体を起こすと、こめかみの辺りが締め付けられるように痛む。
部屋の電気は消えていて夜だと分かった。
ただの二日酔いだったはずなのに、額に手を当てると少し発熱している。気のせいではなく本当に調子が悪かったらしい。いくら仕事で頻繁に外へ出ているからといってウイルスに感染したとは思えない。心因性、ストレス。原因なんて、それしかない。動けないほどでもないので、そのままベッドから降りた。
視線を手元に向けると左腕の端末が小さく点滅している。
端末にはメッセージが残っていた。カイエがレイの職場に連絡を入れたらしい。急病で帰ったことになっていた。
(夕方、花に水を、あげていない)
ふと自分がこのまま死んでしまったときのことを思った。
欠かすことなく世話をしていた庭は、すぐに朽ちてしまうだろう。カイエのために育てた美しいバラ園も。主人を一度も招くことなく。消える。
原風景の話をカイエは今も覚えているだろうか。
旋風が巻き上げた土と草の匂い。一人その場に佇んで遠くを見つめる。
地平線の彼方まで何も見えない。せっかく花を植えたのに、また寂しい場所になる。
そんなのは嫌だと思った。
眠る前に何度もカイエに口付けられた唇。レイは手の甲で触れた。ずっと近くにいたのに、自分はカイエのことを何も知らなかった。
カイエの強さも、弱さも、――狂気も。それはレイへ向けられた愛情と表裏一体だった。
自分だけが守られて、幸せな家族という箱のなかで過ごしてきた。
カイエがくれた幸せ。
他でもないレイが欲しいと望んだから。
家族を。
レイが、家族に愛されたいと願ったから。
――鎖のバグは、最初からカイエにあった。
(くそっ、一体いつからなんだよ。あの狸が)
レイは自分の後ろ頭をかく。
――ラボの人間は、鎖システムにバグが入る可能性を考えないから、いつまでたっても無能なんだ。
――キスするのがバグ?
――そう。学習データが人間である以上、想定外のバグは「想定の範囲内」なのに、あの人たちは五年経っても、それに気づかないから馬鹿なんだよ。
カイエに言われたことを思い出した。その頃から、すでに鎖のバグの可能性にカイエは気づいていた。
スキンシップと称したキスは、今まで沢山されていた。けれど、その全てがカイエにとっては家族のキスじゃなかった。
親愛のキスをするたびカイエは何を考えていたのだろうか。
いつからカイエは家族のふりをしていたんだろう。いつから、この閉じられた二人だけの楽園を壊したいと考えていたのだろう。
次々に問いただしたいことが浮かんでくる。
自分一人おいてけぼりにされていた時間があった。それが無性に腹立たしい。
レイが鎖を解かれて気づいた初めての恋心。この狂おしい感情を、何年、一人心に秘めて何度絶望していたのだろう。
レイの覚えたたった数日の欲を、カイエは、もっと長い間抱えていた。
「バカじゃねーの、あいつ。言えよ、普通に」
言ったところで、レイが、恋心を理解出来なかったのは容易に想像出来た。
それが、鎖システムだから。
横にいると言ったのに、カイエはラボに戻ったのか居なくなっていた。端末にメッセージもない。
レイは眠ったときと同じ白いシャツのまま何も持たずに外に出ていた。
もし、今もカイエが一人で何かを抱えているなら、今度は自分もカイエに関わりたいと思った。たとえ、それが人殺し以上の罪だとしても。一緒に背負いたいと思った。
西花の外でレイを待つことをやめ、カイエは帰って来た。
それには必ず理由があるはずだ。
次は、絶対に置いていかれたくない。そばにいたいと思った。
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