第二十二話

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第二十二話

 足速に前を歩くカイエの背中を穴が開くほど見つめていた。二人を繋ぐ手と手。お互いの指を絡めあって、しっかりと握りあっている。  迷惑をかけたと分かっているのに、一緒に歩いて帰る道のりに心がふわついていた。  三年、ずっと一人だったから。出かけるときも帰るときも。  心の底からカイエに会いたかったのに、探して迎えに行けなかった。  レイが臆病だったから。勇気がなかったから。カイエも同じ気持ちだった。  作り物の星空の下を二人で歩いている。カイエが西花へ帰ってくるまでは、この星空と偽物の空気が嫌いでたまらなかった。  ずっと何かが欠けていて埋まらないことが、もどかしかった。  息苦しくてたまらなかった。  空を一人で見上げるたび、カイエさえ帰ってくれば、全て元通りになるはずだって思っていた。  でもレイが願った現実は、嬉しいのに想像していたような安定や安心はなかった。バックアップから元通りになった、本物の頭で、心で、精神で、カイエと相対した瞬間。  処理しきれない感情の濁流に翻弄されっぱなしだった。  満たされたと思ったのに、それ以上の飢えを知ってしまった。全てが満たされたからこそ、欲が出た。  決して家族同士では、得られなかった感情。  一人きりでは恋にも気づけなかった。  鎖があってもなくても、同じ大きさでレイの中で育っていたのに。  再会して、やっと分かった。思い知った。カイエが欲しい。カイエじゃないとダメだ。でも気づいた自分の心を伝えるのが怖かった。伝え方が分からなかった。  家族から別の何かに変わる方法が分からなかった。僅かに残った二人の繋がりを失いたくない、そればっかりだった。  いま上気している自分の頬は、発熱が半分。抑えられない興奮が半分だった。  目が覚めてからの体調不良は未だに続いている。カイエに「寝ていろ」と言われた通り、大人しく一人で寝ていなかったから。  レイが知っている昔のカイエなら、きっと、この後仕事に戻ってしまうのだろう。レイをベッドに押し込んで。――まだ一緒にいたい。今日は、仕事に戻らないで欲しい。  どこまでレイのわがままな気持ちを受け止めてもらえるのだろうか。初めてのことだから、何も分からない。  マンションに着き、自宅のドアを開けた。刹那の不安と期待が入り混じったレイの目をカイエは見なかった。  手を繋いだまま扉を開けた瞬間、カイエに玄関先で寄り掛かられた。 「か、カイエさん、どうしたの!」  レイはカイエの体の重さで玄関脇の壁に背を預けてしまう。 「ッ、痛いな……久しぶりだ。この感覚は」  レイの肩口でカイエは苦しげな呻き声を上げた。突然、体の不調を訴えたカイエにレイは弾かれたように反応する。自分以上に、カイエの体調が悪いと気づいていなかった。 「もしかして、あのナギさんの鎖」  研究が停止したラボから鎖のデータを持ち出し、ナギがレイに「家族」の鎖を打とうした。けれど、それはレイに打たれることはなく、カイエの手のひらで発動した。  鎖は二人に打ち込まれなければ成立しない。  カイエだけ打たれた状態では、身体の半身を失ったような感覚に陥ってしまう。  レイはカイエを支えて寝室まで歩き、カイエを自身のベッドの上に横たえた。絹糸のような黒髪がシーツの上に広がる。苦悶に歪むカイエの表情に色香を感じ取ってしまう。  レイは頭を振った。 「レイ」  ベッドの上で仰向けに寝ているカイエは目を細めてレイを呼ぶ。  カイエの熱っぽい表情に一瞬我を忘れたレイは、呼び声で現実へ引き戻された。自分がなんとかしなければと思った。  伸ばされた手をレイは両手で握る。 「病院。いや、それより、今からナギさんに言って、俺にも家族の鎖を打ってもらえば」  レイが狼狽えたように、そう口にするとカイエは首を横に振った。 「……それは、嫌だな」 「い、嫌って、でもカイエさん。体、つらいんでしょう。だったら!」 「僕が、何のために、十年使ったと思っているんだ」  ぽつり、ぽつりとカイエが息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。 「でも!」  カイエが、どんな思いでレイのそばにいたのか。それは十分に伝わっている。けれど、それとこれとは話は別。今は、カイエの苦しみを取り除くのが先だった。 「……別に、初めてじゃないから。そのうち慣れるよ」 「慣れるって……どういう、こと」  レイはカイエの言っていることの意味がわからなかった。 「言っただろう。僕が解いたのはレイの鎖だけだ。僕の鎖は、三年前と変わらず、ずっと、そのまま。レイと家族のラインが残っている」  カイエは苦しみを散らすようにゆっくりと肩で息をしている。 「何……言って、そんなの」  あり得ないと思った。けれど思い当たるふしはあった。三年間も離れていたのに、カイエは戻ってきてから、少しもレイとの距離が変わっていなかった。  そんな以前と同じカイエを見て、レイは自分一人だけが、変わってしまったと感じていた。 「でも、そんなの、体が……おかしくなる、だろ」  心も体も持つはずがない。深く精神に作用する洗脳のようなものだ。自分の半身のような存在と無理やり関係を絶って離れる。  レイの鎖だけを失くした状態で三年も一人でいたなんて。心が傷だらけになってしまう。 「あぁ。ほんとにね、最初の頃は気が狂いそうだったな。何度も……何度もレイの幻影を夢に見た。あのスラムの家で、一人耐えた。何度も会いに行こうとして、何度も自分を戒めた」 「馬鹿、じゃねーの。会いに、来て欲しかった、よ」  レイはカイエの苦しさを自分のもののように感じた。想像しただけで息が出来なくなる。体をナイフで突き刺すような痛みだ。 「やっと古い傷が塞がってきたのに、さっきナギに新しい鎖を打たれたから……」 「どうして、そんな、ことしたんだよ」 「レイのそばに居られない。僕には、その資格がないと思ったから、ね」  どんな理由であれ、人を殺してしまった事実は変わらない。だから、一緒にいる資格がないと思った。それでもレイはカイエと一緒にいたかった。 「だったら、カイエさんの鎖も切ったら良かっただろ、そうすれば。苦しみなんて」 「出来なかった」  苦しげにカイエは吐き出す。 「カイエさん」 「出来なかったんだよ。僕には……」  自分は喪失感に苛まれていてもカイエと離れて過ごすことは出来た。  レイは自分でそれを口にして声が震えた。「深いつながりを持った相手との鎖を切る」果たしてレイは出来るだろうか。  カイエと同じ状況で、同じことを。 「僕は、あの日、レイの鎖さえ解けば、レイが自由になれるって分かっていた。だから鎖を解いた。お互いの鎖を解く。それは、いつか自分の手でしようと思っていた。遠い未来、二人が納得する形で。けれど、いざ必要な状況に迫られたら……怖かった」 「カイエ……さん」  レイはカイエの手をぎゅっと握り返した。 「僕はね、臆病なんだ。鎖を解けば、レイは僕のことを見なくなる。そう思ったら会えなかった。レイは家族が欲しい、その気持ちだけで僕を求めたって、知ってたから。僕とは違う」 「違うとか、言うなよ。一緒に決まってんだろ。俺はお前を責められない。だって、俺だって……」  きっと同じことをした。大切な人を大切にしたい。幸せになって欲しい。その気持ちは一緒だから。  カイエは優しい瞳で微笑んだ。 「レイと離れて暮らすことが、どんなに痛い、苦しいって分かっていても、僕は自分の鎖を消せなかった」 「カイエ、さん」 「この気持ちは自分にしかないバグだって分かっていても、僕が持つレイへの気持ちは一つも消せなかった。だから、僕の体には、レイのと鎖がまだ残っている」  静かに呼吸を繰り返すカイエを寂しい心持ちで見下ろしていた。  会いたくて、会えなくて、怖くて。  それでもナギが鎖の研究を再開したと知った途端、カイエは西花に帰ってきた。 レイに危険が及ぶかもしれない。そう、考えて。酒の力を使わないと会いにもこられなかった。  カイエは、レイのことばっかりだ。今も、昔も。  嬉しいけど、やっぱり自分だけ大事にされていたことが悔しかった。 「これで、レイに話していないことは全部話した」 「ほんと……バカ、じゃねーの。カイエさんだけ、苦しんで、そんなの」  レイはベッドサイドに膝をつき、カイエの胸の上に自分の額を押し付けた。 「レイにバカと言われるとは思わなかったな。けど、これがあの日の僕の最善だったよ」 「そんなの、俺に言えば、苦しまなくて済んだじゃん、言えよ、全部。全部言ってくれたら、そばにいた、離れなかった」  顔を上げるとカイエは目を丸くしている。  天才で、どんな難しい難問でも簡単に解いてしまうような男なのに、こんな簡単な問題も分からないのかと思った。  臆病なカイエに腹が立つ。愛しくて、たまらない。自分のことを棚に上げて、カイエの全部を責めることは出来ない。  それでも、怒ることで、大丈夫だって伝えたかった。 「カイエ、さん、俺、カイエさんのこと、好きだよ。愛してるよ」 「それは、鎖が消えたから、俺は……多分」  カイエのレイへの恋心は、バグだった。そう、カイエは思っている。けれど、レイは違うと思った。 「違う。ずっと、一緒にいたじゃん、いてくれたじゃん」  レイはカイエの手を強く握る。 「レイ……」 「寂しいとき、苦しいとき、ずっとそばにいて抱きしめてくれた。学校で悪いことしたら、迎えにきてくれた。それは家族だったからかもしれないけど、家族じゃなくても、ずっと、そばにいて欲しいって、俺は思ってたよ。カイエさんは違った? 嫌々だった」  カイエは首を横に振った。 「家族が欲しいって、俺の願い叶えてくれて、自分の気持ち押し殺してまで、そばにいてくれた。それが、本当の気持ちじゃなかったら、なんだよ」 「レイ……」 「過ごした日々は消えないだろ、たとえ鎖が消えても、また、そこから始めたらいいじゃん。俺のこと、好きになってよ、愛してよ。俺は、カイエさんのこと離さないから」  レイは、ベッドの上に上がってカイエを抱きしめる。 「大好き、出会った頃から、ずっと、そばにいて欲しいって思ってた。俺だけのカイエさんにしたいって、思ってた」  カイエは身体の上でボロボロと涙をこぼしているレイの涙を指でやさしく拭った。 「だから、カイエさんの、鎖も消して。出来るんだろ? ――出来ないとは言わせないからな、天才のくせに」 「レイ、でも」 「大丈夫だから。お前は、鎖が消えても、俺のこと、絶対大好きだよ」  レイはカイエの胸に額を擦り付ける。これ以上、顔を合わせて言うのが恥ずかしかったから。 「俺と本当の意味で、愛し合いたかったんだろ、だから、鎖を解こうなんて考えたんだろ! バグじゃないよ、カイエさんの気持ちは」  カイエの左の手首の端末を握った。三年前、鎖が解かれたとき、カイエはレイのそばにいなかった。だから、あのときは、左腕にいつもある端末を介して鎖を解いたはずだ。 「今、この瞬間の気持ちは、絶対に消えたりしない。つか、そもそも俺だけとか不公平だろ、そっちの方が許せねぇ」  カイエは何かを諦めたように、深く、深く息を吐く。 「……絶対、か。三年前、お前のそばにいれば良かったな」 「当たり前だ。痩せ我慢しやがって」  カイエは体を起こすと左腕の端末でどこかにアクセスしているようだった。  衝撃は、一瞬だった。薄暗い寝室に稲妻のようなものが走り、静かに消えた。 「カイエ、さん」  カイエの体がぐらりと揺れる。そのまま抱きしめられベッドに押し倒された。  レイの色素の薄い柔らかな髪がシーツの上に広がった。カイエの瞳が、じっとレイを見下ろしている。ぽたり、ぽたり、とカイエの瞳から涙が落ちた。  やっぱり一緒じゃんって思った。  心がじわじわと温かくなる。 「今度こそ、おかえり、だな」  カイエの頭に手を伸ばす。髪に手のひらを差し込むと指に馴染んだ。数えられないほどカイエに触れてきた。触れられて当然で、隣にいるのが当たり前だった。 「……愛しているよ。レイ」  再会したときににカイエに言われた言葉。同じ言葉を今、もう一度。同じ重さで、同じ色で、同じ空気で。 「十分、伝わったよ。カイエさんの泣き顔って、すげー、綺麗なのな」  カイエがバスルームで眠っている時に見た一筋の涙、苦しくて辛かった。けれど、起きている時のカイエの泣き顔は、世界一綺麗だと思った。
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