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番外編:秘密
※番外編
カイエ視点。 過去、子供の頃の話。
■ ■ ■
カイエが自分の鎖のバグに気付いたのは、レイが酷い熱を出した日だった。
出会った頃、カイエはレイが特別頑丈な子供だろうと考えていた。なにせ、自分から危ない人体実験に志願したのだ。きっと彼には、何があっても自分だけは生き残るって、自信があるのだろう、と。
実際のところレイは、考えなしの見た目通りの馬鹿で、その上、心と体は柔らかく繊細だった。
元々の性格も多少はあるだろうが、おそらく身体に打ち込んだ鎖(チェイン)が原因で、初めの頃は頻繁に発熱したり感情的になっていた。
一緒に過ごしているうちに、カイエは出来るだけ早く、レイを元通りの身体に戻してあげたいと願うようになった。自分には、それが出来るという自信もあった。
番になり一緒に生活を始めてからの彼は、本当にカイエが呆れるくらい、くだらないことで感情を揺らした。
子供といっても赤ちゃんじゃない。レイは、カイエと出会うまでは、外の過酷な環境で一人で生きていた。なのに、ここへ来てからは、とにかくメンタルが不安定だし、よく体調を崩した。「――なぁ。そんなで、どうやって生きてきたんだよ」ってセリフは、カイエの方がレイに言いたい言葉だった。
*
中央研究所にある『ゆりかご』鎖(チェイン)を監視する施設では、私室にカメラが取り付けられている。レイとカイエは、二十四時間、三百六十五日、行動が記録されていた。
「ねぇ、レイ……どうした」
その日の朝は、隣で眠っていたレイの様子が変だった。
いつまでも、ぐずぐずと布団の中にいるのを不思議に思い声をかけた。
「ッ……ぅ」
隣からは苦しそうなうめき声が聞こえた。レイは寝坊するような子供じゃない。どちらかといえば、いつも登校ぎりぎりまで寝ているのはカイエの方だ。
「レイ。朝だよ」
カイエがもう一度、努めて優しい声で呼ぶと、レイはうっすらと目を開ける。悪夢に魘されていたようで、額にはびっしょりと汗が浮かび、瞳はうつろだった。
昨夜はレイが、西花(シーファー)の地下について知りたがるので夜遅くまで西花のシステムについて寝物語に聴かせていた。ただ、レイはそれを聞いて、地下を怖がり眠れないと泣いてしまった。
悪夢の原因は、それだろう。
「ッ……。あつい、よ、カイエ」
額に手を当てると、レイが発熱しているのが分かった。
「本当、レイは繊細だね」
西花の中は空気が濾過されて、外のスラム街と違って病原菌など入り込まない。精神的なものだろう。
カイエはレイを残して、一人ベッドから抜け出すと、施設の管理者に薬をもらいに行った。
「あぁ、レイくんが熱出しているね。今、薬を用意するよ」
階段を降りたところにある地下のラボに入ると、研究員が十人くらい詰めていた。部屋の正面には大型の監視モニターがあり、カイエたちの部屋も映っている。流石にトイレやバスルームは映っていないが、それでもいい気分ではない。
「あの、鎖って必ず幸せになるんですよね。不思議だな、レイは僕と番になってからの方が、熱を出すし、寝込んでいるようですが」
カイエは研究員たちを非難するように報告した。
「そう……なんと、それは、いい傾向だね」
「いい傾向? どこがです? 泣いてるレイが可哀想だと思わないんですか」
自分らしくない。カイエは少しイライラした口調で返した。しかし不愉快に思っているのは、この場でカイエだけのようで、ほかの研究員たちも、揃って鎖システムの成功を確信して喜んでいた。
(あんなにレイは苦しんでいるのに。ただ、家族が欲しいって、それだけなのに)
元々好きな人たちではなかったが、ますますラボの人間に対して嫌悪感を抱いた。カイエは絶対にこんな大人にならない。
家族になってから、頻繁に熱が出る。
一人でいるより、二人でいる方が弱くなるなんて、彼らの作ったシステムの欠陥じゃなければ何なのだろう。
最後まで、納得していない顔のカイエに、帰り際、研究員はこう言った。「もう、すっかり二人は家族だね」と。
カイエは、その言葉を、ただただ気持ち悪いと感じた。
*
「レイは……僕と一緒になって『本当に』幸せなんだろうか」
初めてラボでレイに会ったとき、カイエは彼を幸せにしたいと思った。
大切な人を、誰よりも大切にしたい。レイはカイエを世界一幸せにしたいと思って、一緒になった。
――はず、だ。
「レイ、大丈夫? ほら薬飲んで。熱下げないと、辛いだろう」
カイエが水と薬を持ってベッドルームに戻ってくると、レイはいきなり、カイエに抱きついてきた。サイドテーブルに薬と水を置いていなかったら大惨事だっただろう。レイはカイエの腕の中で震えていた。
「レーイ。どうしたの」
「カイエ。もう、どこにも、行かないで、俺……怖いよ。昨日は、幸せだったんだよ。カイエさんと、一緒じゃないのが、面白くて、でも……」
カイエはレイの癇癪を静かにその場で受け止めている。
「うん。ちゃんと、聞いてるよ。落ち着くまでそばにいるから」
ベッドの中にカイエを引き摺り込んだレイは、やっと安心したのか、体を弛緩させた。高熱で自分でも何を言っているのか分かっていないのだろう。普段より言動が幼くなっていた。
「大丈夫、怖くない。昨日は、寝る前に怖い話をして悪かったね。もうしないから」
「嫌だ」
レイはカイエの来ているパジャマの胸元をぎゅっと握った。
「嫌って、何が嫌なの? 怖い話が嫌いなんだろう。ほら、ね、僕が分かるように話して」
カイエはレイの柔らかな髪を優しく撫でながら語りかける。
「ッ、俺、カイエさんのこと、一番好きなのに、好きだから。カイエさんのこと、全部、わからないのが、怖くなった」
「――そう、それは困ったね」
レイは深刻な話をしているのだろう。
けれど、それを世界一、可愛い生き物だなぁ、と思いながら聞いている、自分は、なんて人でなしだろう。
家族でも、こんな感情を抱くものなんだろうか。レイが愛しくてたまらなかった。正しく家族として愛しているのに、この暴力的な「愛している」が、ずっと消えない。――消えて欲しくない。
「カイエさんは……すごく、頭が良くて」
「うん。レイくんと比べたら……そうかもしれないね」
「分かってるよ、それは、仕方ない……ことかもしれないけどさ」
「レイくんは、勉強嫌いだろう。僕は好きだから、仕方ないね。そこが一緒じゃないのは、諦めて」
生まれ持った資質や才能、思考の偏り。育った環境の違いから生まれるもの。家族になって一緒になったからといって、全部が同じになるわけじゃない。カイエは、それを幸せだと思っている。
「昨日の、カイエさんの話、全然、分かんなくて、怖かったけど、でも違うから。好きだから」
そろそろ限界だろう。
早く薬を飲ませて休ませた方がいい。どうせ熱が下がったら忘れてしまう。幸せな記憶だけが上書きされて残っている。そういうシステムだから。
何度も繰り返すのに、カイエだけは消えない。
レイの上体を起こして、強引に薬を飲ませる。どうやら苦かったようで、レイは目に涙を浮かべていた。
「ほら、寝なよ。隣にいるから」
「俺、カイエさんと一緒じゃないと、嫌だ。全部、カイエさんと、一緒じゃないと、また一人になるから」
「安心して、一人にしないよ、レイくん。――僕は、君が一番、好きだから」
無理やり思考を捻じ曲げているせいで、時折、感情が不安定になる。これも、あと少しすれば安定していくだろう。それを少し寂しいと感じた。
レイは知らない。けどカイエは全部覚えている。変わっていく心の動きを、上書きされていく感情を。
「ねぇ、レイくんと生殖出来るよ。僕は」
絶対に、この子を守らなければいけない。
自分が、この子を幸せにしなければいけない。
この気持ちが、自分の体に打ち込まれたシステムによって生まれた感情。
この、母親のような、あるいは父親のような感情を腹立たしいと感じるようになったのは、中等部に入った頃だ。
この気持ちは、絶対に誰にも教えない。
おわり。
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