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第五話
レイは高等部を卒業後、目標通りラボお抱えの花屋になった。
二十歳のときだ。
朝、自宅から、いつもと同じく第二階層の事務所に向かった。
『西花緑化公司』
三階建ての雑居ビルだが外観はホログラム映像。建物の内側は三階建てではないし、中に部屋は一つしかない。事務所内には社長の机と椅子が一セットだけ。残りのスペースは研究所から送られてきた肥料や農作業道具に占有されている。見た目は物置だった。
会社の体裁を保つためと、一日一回、朝に社員同士顔合わせをする。けれど、その後は全員、会話もなくエレベーターで第一階層の持ち場へと向かう。毎日その繰り返し。世間では危険でつまらない仕事と思われている。
国の発展のため、研究用の植物を外で育てるのが主な仕事だ。ラボの要望に応え花を納品し、会社の取り分さえ守れば、土地は職員が自由に使えた。
多少、遅刻しても連絡が漏れてもペナルティもない緩い会社だ。
レイを含めて片手ほどしかいない職員は、何か後ろ暗いことでもあるのか必要以上にお互いを詮索してこない。あいさつと担当業務の確認だけでこと足りるので、今日まで一度も困ったことがなかった。
レイは事務所の中に入ると、普段と同じように担当しているラボからの注文を確認した。そして年中顰めっ面をしている無精髭の社長に挨拶だけして、返事も待たず外の仕事へ向かう。
十五の時、庭を見せるとカイエに約束したが、一年目は庭どころか美しい花を咲かせることも出来なかった。外の環境から隔離した場所では上手く育つ。けれど庭へ出し路地で栽培しようとすると、すぐ枯れてしまった。
花屋なのに切花に使えるような花は特に失敗が多かった。育つのは雑草ばかり。
会社から与えられた外の約1000平方メートルの土地も、二年目で半分くらいしか使えていない。
美しい庭になるのはいつのことやら。そう思いながら、レイは日々試行錯誤を続けていた。そんな植物にとって過酷な環境でも、ラボ相手の仕事で不都合はなかった。
研究所から求められているのは「美しい花」ではない。外で育った植物であれば、実験に支障はないからだ。百合がタンポポになっても誰もクレームをつけたりしはしない。
それでもレイは楽しみの一つとして、毎回ラボの注文へ応えてるのに執念を燃やしていた。「そろそろ外はコスモスとか咲いているのかな」とか言われて、届けられたときなんかは、特にやり甲斐を感じる。
ただ、どんなに綺麗な花や美味しい果実を育てても、結局実験に使われて終わってしまう。
その部分は少し寂しく感じていた。
「え……嘘、だろ」
レイは庭に着き、いつもと同じように植物の状態を確認していた。思わず歓喜の声を上げてしまう。周りには自分だけ。けれど、走り出したいくらい嬉しかった。
レイは二年目に、薔薇の花を育て始めた。初めてカイエに出会ったとき、カイエにはバラ園が似合うだろうと思ったから。
普通の花畑を作るより難しいが、どうせならカイエを喜ばせたいと思った。
バラが綺麗に咲くのは年に二度。
一度目は咲かなかった。
そして二度目のシーズン。この日、初めて一輪だけ赤いバラが咲いた。
夕方、レイがカイエの所属しているラボへ花を届けに行くと、やけに中が騒がしかった。
建物の入り口で受付に花を届けたら、カイエに会いに行こうと思っていた。けれど受付に人がいない。
仕方なくそのまま建物内に入った。長い廊下の向こうを見るとカイエの研究室に人だかりが出来ていた。
(何だろ、アイツ失敗でもしたのか?)
カイエの研究の専門は人工知能で、このラボでは動植物は取り扱っていなかった。
だから毎回注文されている花は観賞用だ。――そして、それを毎回律儀に注文しているのは、きっと、カイエなんだろうな、とレイは検討がついていた。
レイに注文すれば仕事終わりに一緒に帰れるから。普通に仕事終わったら一緒に帰ろうってメッセージを入れれば事足りるのに、カイエはそれをしない。
「……レイ」
人だかりの出来ているカイエの研究室を遠巻きに見ていると、突然後ろから呼ばれた。
驚いて振り返ると、長い白衣姿のカイエが立っていた。朝、整っていた黒髪は寝癖みたいになっているし、あいかわらずポケットに両手を突っ込んでだらしない格好をしている。ネクタイは解かれ、首にかかっているだけだ。
(タオルかよ。ネクタイは首にかけるもんじゃねー)
普通に着れば、誰よりも美しく見えるのに絶対にレイの言う通りにしない。
「どうしたんだよ、カイエさん」
「しっ、静かに。見つかる」
カイエは口元に人差し指を当てる。
「見つかるって?」
「いいから」
そのままカイエに手を引かれて、近くの部屋に連れ込まれた。
シュンと音を立てて扉は自動で閉まった。ラボの物置は気が狂いそうなほど整然と整っていた。
全てデータ化してクラウドで保管しているいま、紙に出力された物の価値なんてほとんどない。それなのに正しくファイリングされてアルファベット順に並べられている。
見ていて狂気を感じた。こんなことを指示するなんて、このラボで一番えらい人間の顔が見てみたいと思った。
――あぁ、目の前に居た。
カイエ博士だった。
「お前のラボの部屋、人あふれてたけど。なんかやらかしたのか」
カイエは入るなり部屋にあった白い机へ行儀悪く腰掛けた。何か深く考えているようだった。話している途中、突然黙り込んで、結論だけ言うのは今に始まったことじゃない。
別に驚いたりしない。レイが黙って待っていると、少ししてカイエは、唇を触りながら答えた。
「これから、やらかすかもしれない」
「わーお、らしくねーの。カイエ博士初めての失敗?」
「研究に失敗は付きものだろう。僕が今まで成果として出したものが全部正解だっただけだ」
「あぁ、そうですか! まー、いいじゃん、失敗しろしろ。カイエさんは正解ばっかり選ぶから、たまにはラボの人間困らせてやればいいんだよ」
「そうか、ただ失敗もこの場合程度によるだろうな」
「ま、カイエさんの研究聞いても俺は分からないけどさ、ほら、今日の注文のお品ですよ。カイエ博士」
レイは手に持っていた花を差し出した。いつもやらないのに、わざわざラッピングまでして青いリボンまで結んでいる。
「注文?」
「忘れるなよ。いつも、頼んでるのカイエさんだろ? このラボ、生物系扱ってないのに、観賞用の生花頼む奴なんて、お前くらいしかいない」
「――よく分かったな」
「それくらい分からい! 何年家族してると思ってんだよ」
「十年」
「そうですよ。十年も一緒にいたら、なーんでも分かるんだよ」
「……それは、自分を買い被り過ぎじゃないだろうか? ――僕は、レイのこと全部は分からない」
「ぜってー全部の定義が、お前の場合細かすぎるんだよ」
カイエは時々、さらさらと水を流すような話し方をする。
よく喋るのは、機嫌がいいときと、隠し事をするときだ。カイエの隠し事が分かったところで、それが「何か」にレイが気づくのは、だいぶ後になってからだ。
「綺麗だな」
ふっ、と息を吐くように笑ったカイエは、レイの差し出した花を受け取る。
「注文通り、バラな! 一本だけ。今日初めてちゃんと咲いた、すごいだろ?」
「へぇ」
「明日は、きっともう一輪咲く」
「おかしいな。僕が注文したのは、青いバラだけど?」
「あのなぁ、無理難題、ふっかけやがって、赤バラ一本でも上出来なんだよ」
「そうだね。レイの庭、あと何年かかる?」
カイエは、くすくすとらしくなく笑った。
「あと五年くらいかかんじゃね」
こんな会話、家に帰ればいつだって出来る。いつもよりカイエと話している気がした。やっぱり「何か」あるなと思った。
「五年は、長いな」
「じゃあ、三年」
「論文作法、論拠と適切な引用がない、零点。僕がお前の上司なら、論文の出し直しを要求するところだが、まぁいい」
「何がいいんだよ。つか花屋は論文なんて書かない」
「――ちゃんと僕を庭に招待してくれるんだろう? これが、結論」
「お、おう。絶対。つか、カイエさん、なんかあったのか?」
「ん、どうして、そう思う?」
何か落ち込んでいるんだなと思った。
原因が何かは分からなくても、それは分かった。よく喋る。カイエの話し声は好きだけど、何だが今日は落ち着かない。
少しの違和感だった。これは家族の勘だ。
「元気ないから」
「……あぁ、そうかもしれない」
カイエが唐突にレイの胸に額を押し付けてくる。
「どしたー? 疲れたのか?」
仕方ないなぁと思いながら、ぎゅうぎゅうと頭を抱きしめた。よく分からないけれど社会人なら、大なり小なり仕事で失敗することもあるだろう。
だから、ここは家族として励ますのが正解だと思った。
「なぁレイ、今日は忙しいから帰れないんだ。夕飯もいい」
「そっか、夜食適当に作って持ってこようか?」
「いや、お前は来るな」
「え? 何でだよ」
「来て欲しくない。先に寝て」
元気ないのは当たっていたらしい。さっきの一連の会話は甘えてたんだなと思った。
「分かった分かった。カイエ博士の仕事の邪魔になるもんな。でも、朝飯は食うだろ? 作ってテーブルに置いておくから、朝帰ったら食えよ」
「あぁ多分……」
多分。
あの時、その先の言葉をちゃんと聞いておけば良かった。レイは、ずっとそれを後悔していた。
その日の夜、一人マンションのベッドで眠っていると、左腕の端末から、けたたましい音がして飛び起きた。
自分だけじゃない。西花のエリア全域に出された警報音だった。
そのアラートの後、遠くで「何か」が崩れるような音が聞こえたけれど、それが何だったのか、知るのは朝になってからだった。
翌朝カイエは、帰ってこなかった。
そして、次に自分がカイエと会ったのは、第一階層の庭で作業しているときだった。
左腕の端末にニュース速報が流れ、そこにカイエの姿が映っていた。
ちゃんと髪を整えて、正しく服を着れば綺麗。
それは、レイだけが知っていれば良かったのに。
その姿を西花の多くの国民が見ていた。
カイエは、地下第七階層の国立の治安維持課の前に立っていた。たくさんの情報の羅列で頭が混乱していた。
頭の悪いレイに分かったのは、断片的なことだった。
西花が昨晩、他国に滅ぼされる危機的状況にあったこと。
そして、カイエ博士がその状況を阻止するため、ある小さな国を一つ滅ぼしたということ。
薔薇は、昨日カイエのラボに持っていたのが最後だった。今日は咲かなかった。
植物園から、自分が住んでいたスラム街のあたりが見える。その向こうにある遠い遠い小さな国。
細い黒煙が見える。その先に地平線が見えた。
――花を育てないと、庭が完成しないから、約束だから。
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