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第六話
■ ■
懐かしい夢をみていた。
(ホント、寝てても、顔、綺麗なんだよなぁ)
呼吸が触れそうなくらい近くにカイエがいる。目を開けた瞬間、長年染み込んだ癖でカイエの艶やかな黒髪に触れそうになった。
三年、帰りを待ちわびていた家族。カイエが自分の元にやっと帰ってきた。
――もう家族じゃないけど、な。
カイエの隣で、あと少しだけ惰眠を貪りたい気分だった。でも植物相手の仕事だと、それは叶わない。庭へ朝の水やりに行く時間だった。
植物の手入れをロボットにやらせている同僚もいる。けれどレイは自分が生きている間くらいは植物に対して誠実でいたかった。植物に愛情が伝わるなんて非科学的なことは思っていないが、要は信条の問題。
その信条がカイエの寝顔に揺らぐ。レイは「鑑賞に値する顔」って表現をカイエ以外で使ったことがない。
昨日カイエはシャワールームで酔い潰れて寝ていた。
昔はひょろひょろだったくせに、今はレイより大きくなっていた。昨夜は、その無駄に成長した体を引きずるようにしてベッドまで運んだ。
至近距離にある閉じたままの瞳。その長いまつ毛はレイが眠る前、涙に濡れていた。悪夢は去ったのか今は穏やかな寝顔になっている。
(つか、顔、近い、よな。やばい、唇くっつきそう)
頭が正常に動き始めた途端、今度は、今の状況に戸惑いを覚えた。
レイは、カイエに抱き枕にされていた。
三年前まで毎日一緒のベッドで寝ていた。でも、今はダメな気がしている。
十五のとき「カイエとは絶対に生殖しない」と自分で言ったくせに、昨夜「可能性がある」になってしまった。
だから、以前と同じようにカイエと一緒のベッドで寝るのは、非常に困る。
勝手に体温が上がる。自分が持っている欲に気づいて逃げだしたい気持ちになった。
――だって、カイエだぜ。カイエを……俺が、好き、とか。いや元々好きだけど、そうじゃなくて……。
二十三になって初めて抱いた感情に戸惑っていた。
ずっとそばにいて欲しいのに、こんな至近距離で毎日生活していたら、頭がどうにかなってしまう。
そんなことを考えながら見つめていたら、ぱちりと突然カイエの瞳が開いた。ロボットか。
「そんなに見なくても、起きるが?」
「ち、ちげーよ。腕! 俺が起きられないの!」
「相変わらず、非力だな」
以前と変わらず口が減らない。一人だけ隣でドキドキしているのが腹立たしかった。
「非力とかじゃなくて。あのなぁ、少しは恥ずかしがるとか、ねーの」
「何故?」
「もう、鎖同士じゃないのに」
「あぁ」
腕の拘束が解かれて、レイはベッドから起き上がった。カイエは、まだ寝るつもりなのか、横になったまま左腕の端末を操作している。
ふと、疑問が浮かんだ。さっきレイが起きているのをカイエは気付いていた。
――あれ、なんか変じゃね?
自分達は、鎖を体に打たれたとき、お互いのことが感知出来る回線みたいな感覚器官を繋げた。科学者は、それをラインと呼んでいた。だから以前は近くにカイエが居たらすぐに気付いていた。けど、関係が解消されているなら、カイエにレイの体のことなんて気付けるはずがない。
「なぁ、俺たち、いま鎖、本当にないんだよな」
「何故そう思う?」
「だって、俺が隣で起きてるの気付いたし、さっき」
「レイは、起きると周りの空気がうるさいんだ」
カイエは手元の端末から視線をレイに移すと意地悪な顔をした。口元が綺麗に弧を描く。
「な、何を!」
「褒めてるんだけど」
「それは、一般的に悪口って言うんだよ!」
「認識の相違だろうな」
起きる気になったのかカイエはレイと同じように体を起こすと、突然顔を近づけてきた。少しだけ目を伏せたことで、カイエの頬に長いまつ毛の影が落ちる。
「レイ」
甘く、優しい声に呼ばれた。
カイエにキスされると思って反射的に目をぎゅっと閉じた。その数秒後にリップ音とともに額に温かいものを感じる。キスは唇じゃなかった。
「なっ、に」
驚いてレイは額に手を当てる。レイの癖のある茶髪をゆっくりと撫でられた。背に、ぞわりと未知の感覚を覚える。
「おはようレイ。まだ朝の挨拶していなかったから、拗ねてるの?」
心臓が爆発しそうだ。
「ち、ちちちがう!」
これ以上近くに居たら死んじゃうと思った。跳ねるようにカイエから離れてベッドの下に降りた。
「カイエ、体! 大きくなったんだし、もうベッド。お前用の買わね! 部屋も隣に余ってるし」
なんとか勢いよくそう言った。顔は真っ赤だ。
「朝から、何を心配しているかと思ったら、ベッドのサイズ?」
バカだなみたいな顔をされた。
「僕は、これくらいのスペースで大丈夫だ」
「け、けど!」
「それにね、レイは僕と絶対生殖はしないんだろう?」
起きぬけの頭にはキツい話題だった。まさかカイエが覚えているとは思わなかった。何年も昔のただの雑談だ。自分も覚えていたけれど。
「せ……生殖は、うん」
「あとレイ、ラボでは「生殖」って教えられたかもしれないけど、人間同士はセックスって言葉の方がいいよ」
「せっ……」
突然、言葉に色と温度が付いた気がした。
生殖って言葉ならまだ、しないって口で言えたのに、急に否定出来なくなる。
「ねぇ、レイ。セックスって、とても気持ちいいらしいよ。まぁでも、僕たちには関係のない話か」
「そ、それは」
「だって、レイは、絶対、僕と、生殖しないらしいし。だからベッドも同じでいいだろう? ん?」
カイエは、くすくすと首を傾げて笑っている。冗談のつもりらしいが全然笑えない。自分は背中に変な汗をかいている。
レイは家族でなくなった今、その可能性が「ない」から「あり」になった。カイエは、鎖を消しても「ない」だから、そんなふうに笑えるのだろう。
全然笑えない。
「と、とにかく、俺は狭いのは嫌だ! だからお前用のベッドは買う。あと、俺、朝の仕事してくるから、絶対! 帰ってくるまで、いなくなるなよ」
そう吠えるように言ってカイエに背を向けた。瞬間、後ろから徐に抱きつかれた。
「レーイ。狭いのは嫌なのに、僕はここに住んでいいの?」
「いい」
言われてから気付く。
元々研究所からの拘束は十五のときになくなっていた。
けど施設を出てからも、ずっと一緒に暮らしていた。
それは家族だったからだ。
家族でなくなった今は、同じ屋根の下で暮らす理由もなくなっている。
それでも、レイはカイエと一緒が良かった。
「俺、お前と一緒じゃないと嫌だ。カイエ」
「嬉しいよ」
「鎖が消えても、俺にとってカイエは家族のままだから。だから、離れたくない、って思ってるし」
「……そう。ありがとう」
その感謝の言葉が吐息と共にレイの首筋に触れる。そのカイエの吐息に、ひどく落ち着かない気分にされた。
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