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第七話
第一階層で水やりを終わらせて戻ってくると、まだカイエは部屋の中にいた。正確には、朝と同じでレイのベッドの中だ。
もしかしたら出ていってるかもしれないと、仕事中気もそぞろだった。
(ぐっすり、かよ)
大急ぎで第三階層のマンションまで戻って来たのに杞憂だった。
数時間前、レイの空気がうるさいから目が覚めると言ったくせに、今はレイが隣にいても目を開けない。
きっと、あれは冗談だったのだろう。たまたま目が覚めただけ。
時計は朝の九時。レイはカイエを揺り起こす。
「カイエさん。起きろよ、朝飯食べるだろ。おーい、カイエ!」
「……あぁ」
意外と素直に起きたカイエはベッドから降り、そのまま洗面所の方に歩いて行った。初めて来たくせに、カイエは勝手に部屋の中を物色して必要なものを揃えていく。
(なんで、置いてる全部場所わかんだよ)
レイはベッドルームから出て、カイエの後を付いていく。
以前二人で住んでいた部屋は、カイエが消えた後引き払った。少なかった私物はレイのマンションにそのまま持って来ている。
「なぁ、カイエ。暇なら、この部屋のシステム直しておいて、その間に飯作るから」
「なんで僕が……」
洗面所に顔を出して言うと、カイエの眉間に皺が寄った。顔を洗っていたらしく前髪が濡れている。
「前に、ちょっと触ったら部屋のセンサーおかしくなってさ。電気ついたり、突然消えたりすんの。ここにお前も住むなら、別にいいだろ」
つらつらと文句が続きそうだったので、レイはカイエに背を向けてキッチンへ行く。
しばらくしてリビングに戻ってきたカイエは、左腕の端末を立ち上げた。まだこの部屋のネットワークへの繋ぎ方も、パスワードも伝えていない。けれど、すでにこの部屋の室内システムにアクセスして作業しているようだった。
絶対にこいつを敵に回したくないと思った。
カイエにかかれば、パスワードなんてあってないようなものだし、隠し事なんて出来ない。
「……すごいな、レイは」
カイエは、手元の空中ディスプレイを見つめながら、ほぉ、と静かに息を吐いた。
「何が」
「お前の頭が」
「褒めてないことだけは分かる」
「感心してるよ」
レイ一人しか住んでいないマンションなのに、ダイニングテーブルの椅子だけは二つ揃いであった。そこに濃紺のスーツを着たカイエが座るのを見て、ずっとハマらなかったパズルのピースがはまった時のような感情を覚えた。
全部、元通りになった気がした。あるべきところにある。そんな安心感。
「カイエさん休職中だろ。どっか行くの、スーツなんか着てさ」
対面キッチンでコーヒーを淹れながら、目の前のカイエに尋ねる。
自分はさっき、植物園で仕事をしていたので、いつものデニムパンツとラフな白シャツだった。外で着ていた丈の短い白衣は帰って来たとき、椅子の背にかけていた。
「仕事。昼から研究所に戻ることになってる」
「へぇ、前いたラボに戻るのか?」
「いや、中央に客員で呼ばれてるから、そっちに行く」
「中央って、もしかして」
「僕たちが元々いたところだな。収容施設あるとこ」
「勝手知ったるところでよかったな」
「幼稚舎から小学部まであって、昼間は死ぬほど賑やかだよ」
「それは、ウルサイから嫌だって意味だな」
「よく分かったな。――レイ、終わった」
部屋のシステムの修正が終わったらしく、薄暗いままだったキッチンに灯りが付いた。これからは料理がしやすくなる。
レイは完成した料理を持ってダイニングに戻った。
第一階層でレイの育てている葉物野菜で作った味噌汁と白米。それをテーブルに置いて、レイはカイエの正面に座った。
「どうかした?」
灰がかった緑の瞳に、じっと見つめられる。
「レイの直したプログラム」
「うん」
「レイは学校で一体何を勉強していたんだろうな」
あ、お説教だなと思った。カイエの優秀な頭では、理解不能なことをしていたのだろう。
「でもさ、普通に無理だろプログラミングなんて、電気屋じゃないんだから、細かいところはさー」
「僕も電気屋じゃないが? そもそも細かいところ以前の問題だった」
端末をネットワークで繋いで部屋のシステムを表示する。不具合があるデータを修正してテストして終わり。カイエは簡単な作業のように言うが、レイは昔からその手の作業が得意じゃない。
データの基本操作は確かに学校の必須科目だが、出来ないものは出来ないのだから仕方がない。
「すみませんねぇ! カイエ博士に面倒臭いこと頼んで」
「まぁ、面白かったけどね」
「面白い?」
「レイの思考回路がよく分かる修正だった。性格が出るんだ、直し方ひとつで」
「性格ねー。で、どんなだよ俺の性格は」
「お前の場合は、そもそも動かないから、分析するまでもなかった。単純で、馬鹿なんだろうな」
「なんだとぉ。まぁ、その通りだよ。――ほら、仕事行くなら、飯さっさと食べろよ。俺もこのあと仕事戻るし」
「あぁ」
人と向かい合って食事をするのは久しぶりだった。レイのように「普通の食事」をする人間は、この辺りでは少ないから。
「プログラムは変だけど、レイの作るご飯は美味しい」
「どーも。お褒めに預かり光栄でございます。つか、外スラムでいたなら「普通の飯」食ってたんじゃないのか」
「――ひとりで食べても美味しくない。全然、味がしないんだ」
少し寂しそうな瞳で見つめられる。家族じゃなくなったって、やっぱり同じところはある。
「ふーん、そ。ま、俺も美味しくなかったかな。今日のご飯の方が美味しいわ」
視線が合うと、子供のときみたいにふわりと微笑み返された。
昨晩、涙を流していたカイエを見て、本当に以前と同じカイエのままなのか、少しだけ心配していた。
けれど、心配したほど気分の落ち込みもない。朝からカイエは上機嫌なままだった。
――メンタル面が心配だ。
レイは、食事をしながら、ティエから聞いた言葉を思い出していた。
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