第八話

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第八話

 昼過ぎにカイエより先にマンションを出て、再び第一階層の植物園に向かった。  外の本当の天気は、第一階層まで来ないと分からない。一階でエレベーターを降りると空は薄青く透き通った色をしていた。早朝に来たときは、雲がかかっていたので雨が降ると思っていた。予定通り作業へ向かうことにする。  真昼の眩しい光がガラスに反射し、レイの歩く場所を照らしている。真っ白なエントランスを通り抜け、三重になっているゲートの前に立つとドアが順に開いていく。  レイの左腕につけてある端末の国民番号を識別して開く仕組みだ。日中、花屋は外へ出ることが許可されている。  硬い人工素材で出来たフロアから、土の地面に足をつけた。  外へ出ると全身で自然を感じる。本当の風、本当の空気、本当の色。  レイは、いつも外に出ると五感が西花(シーファー)にいる時より鋭敏になっている気がする。ロボットみたいになっている自分が野生の動物に戻るみたいな感覚。  レイは遠くに見えるスラム街を横目に、西花の外周にある庭へと向かった。  以前は歩いて通っていたけれど、今は自転車を使っている。フレームが少し歪んでいるが、乗るには不都合のない青い自転車。前かごに農作業道具を投げ入れる。  自転車は外の駐輪場へ置きっぱなしでも、一度も盗まれたことがなかった。  特別高価でもない自転車は、この辺りから歩いて行ける小さな街で買ったものだ。盗まれないのは、ある程度舗装されている道でないと無用の長物だし、部品をバラしたところで金にもならないからだろう。  自転車を数分走らせると目的地に着いた。  レイは自分の庭のシンボルとして、入り口にシマトネリコを二本植えていた。その脇に自転車を止めると一番奥にあるバラ園へ向かう。 「さてと、働きますか」  生垣の下に道具袋とラボへ入るときに着ている白衣を置き花の手入れを始めた。  年に二度咲くバラは、カイエが出て行ってから順調に成長し理想のバラ園に近づいていた。  三年前、初めて咲いてカイエに贈ったバラの花は切花用だった。今レイが育てているのは、外で鑑賞する用のつるバラで、ラボから注文されたとしても誰にも渡さないつもりだ。  大昔の英雄の名が付いた品種。その名前の通り強く生き、今日まで病気一つしていない。あと数日もすれば完璧な庭になる。深紅のバラ。  改めて庭の出来栄えを見て、開花時期にカイエが帰って来て本当に良かったと思った。 「けどなぁ、庭に招待して、カイエさん来るんだろうか。もう、他人だし」  何年も前の約束。あの頭の良さだ。忘れてはいないだろうが同じ気持ちがあるとは限らない。  家族じゃない他人のレイの庭なんて、もう興味を失くしている可能性だってある。  他人、と改めて口にして一人落ち込んだ。  それでも完成させたかった。  この庭をカイエに見せたら、どんな顔を見せてくれるんだろうかと、ずっと楽しみだったから。 「喜んで欲しいな」  剪定ばさみでパチンとつるを切り整え、咲き終わった花がらや枯葉を取り除きながら、バラに語りかける。  当たり前だが花は返事をしてくれない。  カイエがいなかった三年で、随分独り言が増えてしまった。  三年前どういう気持ちで、どんな思いからレイとの鎖を切ったのか。カイエの気持ちをつぶさに問いただしたい気持ちはある。けれど、それを口にするのが怖かった。  出会った当初は、カイエには何を言っても「家族だから大丈夫だ」と感じていたのに、そんな自信は、もうない。  作業が一段落し、ふと顔をあげると、さっきまで白衣があったところに何かが乗っかって見えた。目を細めてまじまじと見るが遠くでよく見えない。  気になり、近くまで歩いて戻った。 「猫だ」  レイは屈んで、地面に膝をついた。  久しぶりに人間以外の動物を見た気がした。ふわふわの白黒の毛玉が二匹。そばに近寄っても少しも動かない。無防備に眠る猫が、さっきレイが置いた白衣の上にいた。  規則的に細長い尻尾がぱたぱたと機嫌良く動いている。二匹で楽しい夢でもみているのか、丸い手がじゃれつくように時折動く。 「そんなんじゃ、すぐに鳥に食われちゃうぞ?」  厳しい外の世界で野生を忘れたらすぐに死んでしまう。猫の名前の由来通り、睡眠欲求に抗えなかったのだろうか。あるいは、レイの白衣が陽の光を集めて暖かく寝心地がよかったのか。  レイは猫の隣に座った。人間が近くにいれば大きな鳥だって近づいてこない。 「まぁ、こんな日は、ゆっくり寝たい気持ちも分かるよ、俺も、寝たいもん」  こんな穏やかな気持ちで、自分の庭にいるのは久しぶりだった。  ずっと寂しくて、心が痛くて、つらかった。この未完成なバラの庭を見る度カイエのことを思い出したから。  カイエに捨てられてしまった。そんな感情が渦巻いて毎日暗い気持ちに押しつぶされそうだった。  (チェイン)は、呪い。  そう言った研究者もいたが、レイにとっては救いだった。  カイエに会えたから。  家族になれたから。  幸せだったから。  白衣の上で猫が二匹が寄り添い眠っている姿をひどく羨ましく感じた。この猫たちのように鎖なんてなければ、三年前、離れることなくカイエと寄り添えたのだろうか。  昔は考えられなった。家族以外の幸せな形。 (俺は、欲張りなんだろうな)  本当の幸せは、こうだったんじゃないか。今更だけど、嘘偽りないカイエとの絆が欲しい。決して消えることのない「何か」で深く結ばれたい。  ――本当の家族になりたかった。本当の家族じゃなければよかった。  レイの心の中には、同じくらいの重さで、今は、そんな思いがあった。  家族じゃなく他人同士で出会ったら、自分達は、どうなっていただろうか。  鎖で縛られた家族が幸せだと思っていたのに、家族じゃない出会い方をもう一度したいなんて贅沢だ。  もちろん、カイエと鎖じゃなかったら、端から見向きもされなかったのは自明のこと。  頭の作りも性格だって違う。同じところなんて一つもない。  家族じゃなくなったのに、レイの元に帰って来たカイエは、今も昔と同じようにレイと接している。  それが、十年共に過ごして抱く「正しい人の情」だと感じた。 「やっぱり、俺は、バグなんだろうな」  以前よりカイエの距離が近く感じるのは、レイの邪な感情のせいだろう。  一番の好きと、一番の嫌いがない。鎖。  その鎖を失った途端、レイに生まれた感情は、過去、家族として過ごした期間も同じように自分の心にあった。鎖のせいで見えていなかっただけ。  感情なんて、切った貼ったで突然生まれるモノじゃない。日々、花を育てるようなものだ。カイエと一緒に過ごした、どの時間が欠けても、今の自分の感情にはたどり着かない。 (どうしようか、ね)  レイの恋心を、今更ご丁寧に研究所へ報告する気はない。そもそも、いま二人の間に鎖がないことも伝えていないし、報告しようがない。  カイエが三年前、国に拘束され裁判へかけられてからは研究所の人間も、カイエとレイの鎖実験から興味が薄れたらしい。すでに研究チームも解散しているだろう。健康診断のお願いという名の、任意の依頼も最近見ていなかった。  考え事をしながら地面へ寝転がり青い空を見上げているうち、いつの間にか猫と同じように自分も眠っていたらしい。  目が覚めると、さっきまで横にいた二匹の子猫は既に白衣の上からいなくなっていた。 「白状な奴ら。せっかく隣にいて守ってやったのに」  レイはその場から体を起こした。  左腕の端末を見ると夕方の花の配達の時間が迫っている。レイは慌てて残りの作業を終わらせバラ園を後にした。
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