第一話

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第一話

 ――ずっと家族が欲しかった。だから、レイはカイエと出会って、偽りでも家族になれて嬉しかった。 「今日は、第一階層まで遠足ですか。珍しいですね、子供が上層階にいるなんて」  真っ白なエントランスを通り抜けた広場。そこは全面、透明度の高い強化ガラスで覆われていた。展望室とは名ばかりで、ここは地上一階。  これより高い階は、この国には存在しない。  地下深くまで巨大なエレベーターが通っている。それに乗ってやってくるのは、研究者かレイと同じラボお抱えの花屋くらいだ。  黄色いエプロン姿の若い女性教員はレイに向けて会釈した。 「子供に一度くらい『本当の外』を見せてあげたいでしょう」 「そうですね」  普段はレイしかいない展望室に、今日は小さな子供たちの賑やかな声が響いている。  そうやって広い空間で自由に子供が駆け回っている姿を見ていると、自分やカイエの小さいころを思い出しひどく懐かしかった。同時に寂しくて苦しくなる。涙が出そうだった。  ただ、よくよく懐かしい昔を思い出してみれば、走り回っていたのは自分一人だけで、いつもカイエは遠くで難しい顔をして読書ばかりしていた。勝手に思い出を美化していた。  ――全然、懐かしくなんかないしな!  と寂しさを忘れようと努めた。今は仕事中だ。 「でも、結局叶ったのはガラス越しです。保護者の皆さんから批判が相次いで」 「仕方ないですよ。やっぱり、ガラスの外は危険ですからね」  お客さまの応対をしているレイは、現在、色とりどりの草花を抱えていた。それを見て一瞬だけ教員が顔を引き攣らせたのを見逃さなかった。  子供に外を見せてあげたい、小さな子供の好奇心を満たしてあげたいという志は立派だ。でも結局のところ安全圏の外の「今」が気になって仕方ないらしい。  ちなみに今日、有害物質は検出されていない。正しくは、今日も、だ。  レイたち花屋は西花が今日も安全だと証明するため、外で植物を育てている。  非難するつもりはない。彼女の感覚の方が西花では普通だった。  レイが特別、自分の体など、どうでもいいと思っているだけだった。  カイエがいなくなった今、明日なんてどうでもいい。世界もどうでもいい。 (そう、思っている)  レイは、にこりと作り物の笑顔を教員へ向けた。 「大丈夫ですよ。この花は、ラボで作られたものですから。害はありません。いまデータを出しますね」  レイは左腕の端末を操作して、二人の間の空間に小さなディスプレイを表示する。ポンポンと、小さな電子音のあと複数のウインドウが開いた。  見せたのは異国の文字で書かれた一覧表だ。ニセモノだけど、説得力があるし効果覿面だった。  ちなみにレイ自身も、そこに書かれている文章は読めない。異国の文字なんて、翻訳をしないと読めないから。  植物・安全性・異国のデータでAIに、それっぽいモノを出してもらった。そう、遠くないデータだと思う。  まぁ、知らないけど。 「そ、そうですか、すみません。私ったら無神経なことを、ラボの人のお陰で私たちは日々安全に生活出来ているのに」  レイがしている汚染対策は短い白衣と土仕事用の軍手くらい。完全無防備な男に対して危機感を覚えるのは分かる。  彼女は「あぁ失礼なことを言わなければ良かった」と気まずい表情を浮かべていた。  こういった反応にレイは慣れっこだった。 「いえいえ構いませんよ。俺は、全然気にしていませんから。どうぞ「植物園」を楽しんでいってください」  ちなみに「植物園」と呼ばれるこの白い空間に植物はない。レイたち職員が毎日一生懸命に管理している植物は、分厚いガラスの向こう側だ。  ついでにラボに出入りしている人間だが、レイはラボの人間ではない。外郭団体所属の職員だ。  ラボで働く科学者みたいに頭は良くない。  多分平均より悪いと思う。  J区、荒廃都市。西花(シーファー)は外の世界から楽園と呼ばれている。  けれど子供の頃レイは、この地下都市が怖かった。  自分が住んでいる地下十二キロまでは、レイもなんとなく想像出来る。けど、それより下はレイにとって宇宙と同じだった。  そんな地下が現在どこまで深く掘削されているのか、レイは気になって仕方がなかった。ある日、収容された施設のラボで働く頭の良さそうな大人に聞いてみたら「マントルまでは到達していないよ」と大笑いされた。研究者の笑いのツボは分からない。  レイの質問の、どの辺が面白かったのだろう。  家に帰ってから家族のカイエに同じことを言ったら、同じように腹を抱えて笑われた。  ムカついたと言ったら、カイエは懇切丁寧に理由を教えてくれた。けど、やっぱり、ちっとも理解出来なかった。  いま現在の国家が持つ技術で可能な、同時に地球という惑星が崩壊しない範囲までは到達している。それが答えだ。  西花では毎日ニュースで今日の掘削結果が発表されているんだよ、とカイエは言った。西花の人間は、毎日それを見ているから当たり前のように知っているらしい。天気と同じ、とも。  レイは西花のニュースなんて興味がないし、見ないから知らなかった。  国民全員が持っている左腕の端末に質問すれば、すぐに回答が返ってくるような質問をしたレイが面白かったらしい。一足す一は、って大真面目に聞かれたようなものだよって言われて、とりあえず自分たちは、笑いのツボが違うんだと納得した。本当は、してないけど。  同じ家族なのにと思った。  ムカついたけど、家族になったのに全部同じにはなれないのがレイは面白かった。  その質問をした日の晩、カイエが教えてくれた「百メートルにつき、二度から三度、上昇していく温度の話」が、レイは、どうしても頭から離れなかった。  西花の外へ出たら、どろどろに溶けて、あるいは圧力で苦しみながら死ぬ。そう思ったら、怖くて眠れなかった。  大人になった今考えれば死ぬほどくだらない。そんなことで悩み、夜一人ベッドルームの端っこで、ぐすぐす泣いていた。そんなレイを見たカイエは「レイは、繊細だね」と呆れ声で言いながら、面倒臭そうにレイを抱きしめて一緒に寝てくれた。  偽物でも家族がいて良かった。  この日ほどカイエを大好きだと思ったことはなかった。  そのときの感情は、間違いなく家族愛だった。
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