美人アラサーOLは聖なる巫女になる

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美人アラサーOLは聖なる巫女になる

 ある日の夜。 あたしは普段通り、その日の仕事を終えて、足早に家に向かっていた。 会社を出るとすぐに、お気に入りのバッグから、使い慣れたスマホを取り出して、メモ帳機能のあるアプリを立ち上げる。 使い慣れて、手に馴染んだスマホ。 目を閉じていても起動させられる。 そして、この頃少しずつ執筆を始めている同人誌のプロットの続きを書いていく。 仕事中も幾つか良いアイデアが浮かんだので、忘れないように淡々とメモしていく。 自分の世界を創り出して、そして入り込める、とても楽しい時間。 次に描こうとしている内容は、あたしの元カレを受けにした、BL本の新刊。  あたしが好きになる男の人のタイプって、みんな受けが似合う人ばかりなのよねー。  そんなことを考えながら歩いていく。  歩きながらスマホを持っていると、途中で歩行者や自転車とすれ違うけど、あたしはそれらをひょいひょいと避けていく。  都会に住んでるんだし、こういう動きは慣れている。  歩きスマホじゃないわよ。 歩いてる最中はネタを考えていて、打つ時は立ち止まってから打つんだから。  ちゃんと周囲を見てから、邪魔にならない場所へと移動しながら、作業をしてるんだからね。  仕事が忙しい中での執筆作業だから、今までもずっとこういうやり方で、少しでも効率的にBL本を書いてきたんだ。  だから油断してた……。 ちゃんと青信号になってることを確認してから横断歩道を渡ってたのに、赤信号でトラックが突っ込んで来るなんて思わないじゃない! というか、信号無視で突っ込んで来てるのに、偉そうにクラクション鳴らすなっ――  どれくらいの時間が経ったのかわからない。 一瞬かもしれないし、何時間も何日も経っていたのかもしれない。 わかるのは、身動き出来ずにに強い光で照らされて、強く目を閉じたあたしがいること。 あたしが生きていること。  普段、生活していてこんなに強い光が当てられることは無い気がする。  少し経つと、段々、光が収まっていく。 周りが見えるようになってきて、あたしは魔法陣のようなものが描かれた床の中央に倒れていたことに気が付く。  周囲には…中世の貴族っぽい格好をした人達が、あたしを囲んで、ジッと見ている。  魔法陣といい、この人達の格好といい、あたしが今まで散々手に取って来たゲームやらアニメやら漫画みたいな雰囲気だ。 というか…この感じって。 あたし、もしかして死んだ?異世界転生ってやつ?  あたしはそのジャンルでも創作した事があったので、すぐにピンと来た。  自分自身がそんな状況に放り込まれるなんて思わ……あ、妄想したことはあったかな。   「聖なる巫女様、よくぞ召喚に応じてくれました。」  一番偉そうなイケメン以外のオジサン達があたしに仰々しく頭を下げる。  なんとなくだけど、本当は頭を下げたくなさそうなのに、立場的に、儀礼的に頭を下げているように感じる。 頭を下げた時に頭がピカッと光る奴もいて、眩しくて目を細めてしまう。 なんだか、会社の偉そうな上司とか、ああだこうだと言い訳ばかりして働かないオジサン達を思い出して、少し嫌な気持ちになる。 いや、一周回って面白いかな。 会社では、オジサン達に頭を下げられることなんて無いし。 頭を下げるの、いつもあたしだし。 そんなことを考えていると、 「聖なる巫女よ、俺と結婚し、闇の神ガデルを共に打ち倒して欲しい!」  偉そうなイケメンが右手を振り上げて、張りのある声であたしに呼びかける。  聞き間違いかな。 いきなり、結婚しろとか言われた気がするけど。 言い方も偉そうで、俺の言うことを聞いて当然だと、かなりの強制力を伴っている気がする。 今言った言葉は、簡潔明瞭で的確なのだろうけど、名前ぐらい名乗れ。 そりゃ、あたしはイケメンが好きだけどさ。 イケメンっていうだけじゃ、あたしの心は響かないからな。 むしろ、顔だけしか取り柄が無い男は好きじゃないんだ。 顔が良いからって、女が全員あんたに尻尾を振ると思うなよ。  …なんて考えが浮かぶけれど、そこはあたしも大人として事を荒立てないように黙って我慢する。 「あたしの名前はファルセアっていいます。」  はい、あたしはちゃんと名乗りましたよ。 だから、そっちも名を名乗れ。と促してやる。 そういう、現代社会人特有の不文律みたいなものが、このイケメンに理解してもらえるのかはわからないけど。  名前でどうこう言われるのがめんどくさいので、あたしは普段ゲームで使ってる名前を名乗ってやる。  気に入ってる名前だから、本当に自分の名前に出来るなんて、気分がいい。 「申し遅れた。俺はシャルル・ネヴィル・キュザック。この国の第一王子だ。」 「それで、闇の神を倒すとは?」  やっと察してくれたかな。 ようやく、名前頂きました。  でも、絶対一度じゃ憶えきれない名前だったな。 最初の、シャルルっていうのだけ覚えた。 メモ帳を開いて、名前をメモしておきたい。 ん、そういえば、スマホは今は無いのかな…。  肝心な情報は得られたから、後は、まだまだ足りない情報を教えて貰うよう再度促す。 「この国…いや世界には『闇の神』を自称するディンギ帝国皇帝なるものが居るのだ。」 「そ、そうですか」  非日常の極みみたいな言葉が当たり前のようにぶつけられるが、そこは普段やってるゲームに置き換えて、この世界のことを理解しようとする。  とりあえず、この世界には神を自称する、皇帝なる敵がいて。 あたしに、その敵を倒せってことでいいみたい。 「神が相手だなんて…人間のあたしじゃ討伐なんて無理じゃない?」  強大な力に立ち向かうには、こちらにもそれなりの特別な力が与えられる流れだと思うけど。 「まさに、そこでだ。君を…ファルセアを、我々の努力の末に行った召喚の儀で、異世界から召喚したのだ。そして、その際に異世界人は大いなる力を手にする。」  ふーん、よくわからないけど、今のあたしは強いんだ。  さすがに生身で戦えって言われているわけじゃないみたいで、少し安心する。  そう言われると、身体から力が溢れている気がしなくもない。まだよくわからないけど。 「そこで、俺と結婚して、ファルセアの持つ大いなる力を、俺に譲渡させて貰い、俺がその力を以て奴を倒すのだ。」  あ、結婚しろっていうの、聞き間違いじゃなかったんだ…。  というか、えー…せっかく力を手に入れたのに、力盗られちゃうの?  まだよくわかってないこともあるだろうけど、せっかく力を手に入れたなら、何かもっと楽しい事とかに使いたいな…。 「あたしに特別な力があるなら、あたしが直接、その皇帝を倒しちゃまずいの?」 「ファルセア…君自身は、神と対等にやれる程強くないんだ。しかし、君の力が俺と合わされば、俺はより強大な力を発揮できるのだ。俺の祖先は光の女神だからな。」  シャルルが、やれやれという感じに呟く。  うーん、何か胡散臭い。  話の筋は通ってるとは思うんだけど…。 「召喚されたばかりであたしも本調子じゃない気がするし、取り敢えず結婚は様子見でいい?」  出来る限りこの世界の雰囲気を読んで、それっぽい理由をつけて、やんわりと断る。 「そう時間が無いんだ!」 「ちょっと、いきなり何よ…」  びっくりした。 いきなり叫ぶなよ。 意外と衝動的というか、ヒステリックな性格をしてるんだな。 「シャルル様…」 物静かな感じの司祭っぽい人がシャルルに近付いて、宥め、耳打ちしてる。 「……わかった。俺が性急過ぎたようだ。すまなかった。」  さっきまでの態度とは打って変わって、急にしおらしく言う。  あからさまに、司祭っぽい人の入れ知恵があった感じだ。 「ファルセア。俺は君の良き夫となれるよう、最大限の努力をすることを、この場で誓いたい。だから、この場で婚約だけしてくれないか?大いなる力を持つ君の身は、狙われやすいのだ。」  なんだか、上手く表現した感じだなぁ。  これも、司祭っぽい人の入れ知恵なのかな。  婚約ねー、まあ確かにそんな力持ってたら狙われるわよね。  まだ、誰が敵なのかもわからないこの世界で危険に晒されるより、偉くて権力ある感じのシャルルに守って貰える方が良いかもね。 「わかった。婚約だけなら……。」 「そうか!では早速契約を結ぶ手はずを!」  あたしがやっと出した言葉を遮ってまで言われた言葉には、不穏なワードが含まれた。 「契約……?」 「相手の不貞を赦さない手続きだ。他の者に身を侵害されないように、光の魔法が身体を護ってくれるものだ。」  なるほど、貞操とかが大事にされている世界なのね。  偉い人達の中では当たり前なのかな。  別にやましい気持ちがあるわけじゃないけど、即答するのは勇気が要るかな。 「えーと、じゃあ、婚約はいいけど、契約も待って貰える?」 「な……っ!?」  シャルルは予想しなかったようで、愕然としている。  相手の言うことを鵜呑みにしないで、なるべく自分のペースで話を進める…。  特に、相手が強引な奴で、自分のペースで話を進めようとしてくる時は、尚更気をつけないといけない。 そんな、仕事で得た会話術というか、駆け引きが活かせている。 現代で…前の世界で社会人やっててよかった。  そもそも、考えてみれば当然だけど、知らない所に来てすぐ押し売りに契約する馬鹿が何処に居るっての。  シャルルって、見た目も立場も恵まれてて、どうせモテるから、女に断られた事無いんだろうな。 「……わかった。取り敢えず婚約はして貰うぞ。」 「わかりました。」  YESを告げると、仰々しい感じの豪華な風呂に入れられ、巫女っぽい服装に着替えさせられた。  駅前の量販店で売ってるようなペラペラした素材じゃなくて、ちゃんとした服装。  これは可愛いかも。  可愛い衣装を着た自分の胸のあたりに触れて、生地の感触を楽しむ。  この世界に来て、初めて癒しを感じたかな。  その後、ちゃんとした感じの神殿に連れてかれて、こっち方式の婚約式を簡単に済まされた。  本来はここでさっきの宣誓書を記入するらしい。 とはいえ、それはさっきあたしが断ったので、今回はそれは無しで式を終えた。  最後は、ちゃんとあたしのための部屋を宛がわれた。  当面の間は、この部屋で生活しろとの指示を受ける。  宛がわれた部屋は広くて綺麗で、ベッドに寝転ぶのが勿体無いような、高級ホテルのスイートルームみたいな感じ。泊まった事無いけど。  もし、婚約も済ませたことだしさっそくシャルルの寝室に…なんて言われたら、全員ぶん殴るか、あたしの中にあるっていう大いなる力とやらを思いきり解放してやるところだったから、さすがにほっとした。
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