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これは何も読書だけに限りません。本文にも実例として挙げられていましたが、大好きだったアーティストの活動を追えなくなったとか、いろんなものに興味を持てなくなったとか、純粋な趣味の部分の衰退ですね。
うわーうわー! まさに私!!(´°ロ°`;)💦 でも、そういう危機感を持っているのは、私だけはないんだ……と、少しほっとしたりしてw
本文の大半は、明治時代~現在までの日本人と読書の関わりや、有り様の変化についてとても詳しく書かれていました(これもなかなか興味深かったのですけれども、ここでは割愛いたします)
で、結局のところ、読書というものは「ノイズ」であり、「自分とは違う他者の文脈に触れる」ということでした。なんのこっちゃ?🤷♀️ ですよねw
端的に言ってしまえば、ノイズ=余分なものなのだと思います。つまり、普通に生活して行くぶんには知らなくても支障のない情報。
今はネットの普及で知りたいことだけをすぐに知れますよね。これがノイズではない『純度の高い情報』。現代人はこの『純粋な情報』を得ることに慣れ過ぎて、読書のようなノイズを避けてしまう傾向にある、ということでしょうか。
YouTubeなどにある『ファスト映画』なんて最たるものですよね。余計なシーンとか、音楽とかはいらないから、どういうストーリーなのかをかいつまんで知りたい、という需要があるということですもんね。
うわぁ、よすだは「名作のあらすじ」っていうのを検索したことあがりますw 本のほうね💦 『嵐が丘』とか。
三宅さんは著書の中で、読書を楽しめないのは、心に余裕がない状態になっているからである、と書かれています。仕事や日々を生きることで精いっぱいで、余暇や趣味(=ノイズ)を楽しめる余裕がないというわけです。
私はそんなに一生懸命仕事しておりませんけれどもw、家のことや、年老いた愛犬のことなどで、確かに以前ほど余裕はないかも……と思い当たる節があります。
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