第一章

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「じゃ・・あ。すみません、遠慮なく」 「はい。あとこれも・・濡れたものを入れるのに使ってください」 女性は小さなビニール袋もくれた。 俺はまずタンブラーの蓋をギュッと締め直した後、バッグ表面のコーヒーを拭き取った。 撥水コートされていることもあり、特に問題は無さそうだ。 女性が教えてくれたおかげで、電車の床にもスーツにもこぼれずに済んだのが幸いだった。 助かった・・。 そう思った瞬間に女性は席を立ち上がり、開いた扉からホームに降りようとしていた。 「あのっ・・」 お礼を伝える間もなく、女性は電車から遠ざかって行く。 『優しい女性』 そんな印象だけを俺に残していった。 右隣に座っていた女性は、俺がコーヒーをこぼしたことを知ってあからさまに嫌な顔をしていた。 自分にも、何か被害が及ぶと思ったんだろう。 ほとんどコーヒー色になってしまったタオルを眺めながら、いつかまた、奇跡的に会えたりしないだろうかと考えていた。 とはいえ、こんな数分の出来事で、次に会った時にお互い気づくだろうか。 電車では横並びに座っていたし、面と向かって顔を見たわけでもない。 さすがに無理かな・・。 いつの間にか会議は終わっていたようで、イヤホンから流れてくる音声も無くなっていた。 電車もオフィスの最寄り駅に着き、俺はあの女性とのやりとりを思い出しながら、機嫌よくオフィスに戻った。
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