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何周目かの日曜日。蒼くんおすすめのカフェでお茶をすることになった。時間通りに待ち合わせ場所に行くと、彼はもうそこにいて、私を待ってくれていた。その姿にドキッとする。
「ごめん、お待たせ」
「いえ全然!アオイさんかわいいです!」
「…ども」
「行きましょうか!」
日頃の腐れきった性根が、学生のキラキラに浄化されてしまいそう。 砂になりそうな思いで彼の隣を歩く。
あれからLINEでやり取りして、かなり彼のことが分かった。九州から上京してきたこと、普通のホテルのバイトだと思って応募したらラブホだったこと、彼女は過去に2人。T大学の今年4年生なので現21歳。私より8歳も若い。
それでもお茶に行くことになったのは、彼の押しがあまりにも強かったことと、彼の醸し出すマイナスイオンに負けたからだ。蒼くんと接することで、いかに自分が汚れた生活を送っているのか実感する。あわよくばバーに足繁く通う生活を脱却したい。
「ここです」
駅から15分くらい歩いたところで彼が立ち止まった。蒼くんがドアを開けると鈴の音が鳴って、中からコーヒーの匂いが香ってきた。
「どうぞ」
促されて中に入る。日曜日ということもあり、人は多い。蒼くんは慣れたように店員さんに「予約した葉山です」と言い、私たちはテラス席に通された。
「…わ、すご」
歩いているときは気づかなかったけれど、そのカフェは目黒川と隣接していたようで、テラス席からは遠くまで連なる満開の桜が一望できた。目の前に広がるピンクに圧巻される。
「すごいでしょ?これをアオイさんに見せたかったんです」
テラス席にも花びらが舞い込んできていて、座ったテーブルの上にもピンクが斑点のように落ちていた。またも心の浄化が活性化。
「何飲みます?」
蒼くんと一つのメニューを覗き込む。この子からは香水のような人工的な匂いがしない。
「アイスカフェモカ。生クリーム増量で」
「デザートは?」
「うーん」
「俺の奢りです」
「じゃあ食べなきゃだね」
遠慮なくアップルパイを頼む。店員さんを呼んだ彼が、アイスカフェモカ(生クリーム増量)とアップルパイ、ブラックのアメリカーノを注文した。かわいい顔に似合わずブラック派、いい。
間もなくして商品が届くと、彼は本当に砂糖もミルクも入れずにブラックに口付けた。
「ブラック飲めるのすごい」
「飲めるようになったんです」
「どうやって?」
「高校のとき、留学に行った先のホストファミリーで毎朝出てたんです。飲み続けてたら慣れちゃって」
やはり習慣というものは恐ろしい。できなかったことができてしまうなんて、魔法みたいだ。
「アオイさんは甘党ですね、極度の」
「バカにした?」
「してません。かわいいなって思います」
う、と怯む。浄化され続けた反動で、邪な気持ちが芽生えそう。
かき消すように口に入れたアップルパイは、シナモンが効いていて美味しかった。パイ生地もサクサクでフォークが止まらない。
「美味しいですか?」
「うん、すっごく。一口いる?」
「え」
自分で食べようと思って掬ったフォークの一口分を彼に向ける。瞬間、蒼くんは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
あ、そうか。何も気にしてなかった。
仕方がないのでやはり自分で食べようとフォークの先を自分に向けたら、彼の手が私のフォークを持つ手を掴んで、彼に向けた。あっという間になくなるアップルパイ一口分。
「…美味しいです」
耳まで赤くして、こっちを見る。その視線に浮かされて、急激に熱が上昇した。懐かしい初恋のような感覚。心臓がうるさい。さっきから私、この状況を楽しみすぎてる。楽しすぎて、蒼くんの緊張が伝染する。
彼の視線に耐えられなくて、桜並木のほうに目を向けた。相変わらずピンク色が目に眩しくて、やっぱり綺麗だな、とか思っていたら、川の向こう岸に子連れの夫婦が歩いているのが見えた。
お父さんをしているその男の人に気づいて、さっきの熱が一瞬にして冷える。数日前の「25日頃だって。桜が満開になるの」という言葉が蘇った。…なんだ、奥さんと一緒に来れたんじゃん。
「アオイさん?」
視線を戻すと、彼は不安げにこちらの様子を覗き込んでいた。アップルパイはもう残り少ない。
私は何を勘違いしていたんだろう。何が日々の浄化だ。もう浄化なんかじゃ足りないくらい私の人生は汚染されているというのに。
「蒼くん」
「はい」
「私、整形してるよ」
カフェモカを飲む。底にたまったカカオが一気に口内に入ってきて苦い。
「アオイってのも偽名だよ」
こんなに純粋で綺麗な彼を、引きずり込むわけにはいかない。君にはもっと他にも釣り合う女性がいっぱいいる。
アップルパイの最後の一口を食べ終えるまで、彼は何も言わなかった。えげつない現実を連投したのだから無理もない。一息ついてカフェモカも飲み終えると、蒼くんはようやく口を開いた。
「…どうして、整形したんですか」
「え?」
「教えてくれませんか。あなたのこと」
この子は、どうしてこんなに私に興味を持つのだろう。年上好きなのか、本当にこの見た目がタイプなのか。どちらにしろそれは私の外側の話で、中身は汚れきった人生だと知ったら引くだろうか。鍵だけ私に預けて、またねって、二度と来ない未来を吐き捨てるあの人たちみたいに。
でも、だったら、話すだけ話してとことん引かれてやるか。綺麗な見た目の中身は大抵ちゃちな代物だということを思い知らせるのもまた一興。
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