誰そが求むならば

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誰そが求むならば

 一方、雪治はこのひと月、友人関係の不安から逃げるように鍛錬に打ち込んでいた。趣味は剣術、仕事も剣術、な雪治は剣術の鍛錬をしている間はどれだけの不安があっても心を鎮めることができた。無論、それで解決はしないとわかっているが、人に弱音を吐いたり助けを求めたりすることが得意ではない雪治にとっては、誰かと向き合う前に必要な行程だった。  話し合えないまま新月になってしまい、そのせいで神からの要らぬ贈り物について腑に落ちきらぬ心持ちではあったが、雪治の脳内には行かないという選択肢はない。自分の助けを必要とする人がいる限り、そして自分に解決する力がある限り、どれだけ苦しくとも神命を果たす。それが井上雪治である。  目を閉じて心を落ち着かせ、周囲の音も家に住む"人ならざるもの"の気配も気にならぬ程の集中をした。それ程の集中をして初めて時を渡れるような不安が胸を渦巻いていた。全身に暖かな時渡りの力を纏い、雪治は再び江戸へ飛んだ。  現世ではもう周囲が暗かったが、今回は時間がズレているのか江戸はまだ少し明るい。と言ってももう空は茜色で、本来は皆寝る支度さえ始める頃合いだ。しかし、いつも世話になっている長屋の辺りへ雪治が行くと、何かあったのか人だかりができていた。その中心に見知った顔を見つけ、雪治は彼に声をかけた。  「清之助さん、何かあったんですか?」  雪治が声をかけた瞬間、人だかりが割れて全員が雪治の顔を見た。話しかけられた清之助が、希望の光を見つけたような顔で雪治の肩を掴んで懇願した。  「頼む!おりんを助けてくれ!!」  「……何があったんですか」  "丑の刻の武士"が来たなら大丈夫だろうと皆が長屋に帰り、雪治は清之助の部屋で事のあらましを聞いた。  雪治が江戸に降り立つ少し前、大柄な帯刀した男たちが長屋へ押し入り、おりんを無理矢理に連れ去ったと言う。その実行犯たちは見知らぬ顔だったが、清之助はその指示を出した者に心当たりがあった。  「平田って言う御家人がいてな……。昔おりんに惚れてたらしい。元はお侍にしちゃあ小心者でな、おりんの結婚が決まった時にも悲しみつつ祝福できるような奴だったらしいんだが……ここ最近やたらとおりんを訪ねて来てな。おりんはそいつには強引なことをする度胸はないって言ってたんだが……」  雪治は暫し考え込んだ。人同士の揉め事であれば自分の出る幕ではない。いざとなれば時渡りの力でどうとでも逃げられるだろうが、相手が御家人というのも本来は首を突っ込むべきではない事件だ。だがおりんには世話になっているし、そうでなくとも頼られたら応える性分である。  それに、昔と今で性格があまりに変わっていることも気になった。無論、雪治は権力を手にして性格が変わったという可能性も考えたが、おりんを助けない理由になり得ることは意図的に無視した。  「その平田って男は御家人屋敷に住んでいるのですか」  「ああ、貸し物屋が言うには……」  雪治の質問に頷き、清之助は行灯の明かりで平田の御家人屋敷までの地図を描いて見せた。雪治はそれを受け取り、それなりに距離があるのを見て僅かに眉をひそめた。まだ薄明るい今行っては目立つだろう。  「……見つからないように行くなら完全に日が落ちてからですね」  「行ってくれるのか!」  清之助は雪治の細かい事情や正体など知らないが、妖とだけ戦って去っていくことは知っている。頼んでいるのは自分だが、人攫いなど雪治の務めでないことは理解していた。故に、完全に行く気の雪治に驚き、救いの手が差し伸べられたとばかりに顔を綻ばせて雪治の肩を叩く。  「いやぁ、ありがてぇ!おめぇが来てくれて助かった!おめぇなら御家人屋敷からでもおりんを助けられそうだ!」  「……必ず」  過剰なまでのその信頼に、雪治はまっすぐ清之助の目を見て深く首肯した。
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