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生まれ持ちたるは
おりんを避難させた直後、雪治は幻覚に襲われていた。頭の片隅で冷静な自分がそれは幻覚だと警鐘を鳴らすが、見開いた目は揺れ、呼吸が乱れ始める。雪治には今、目の前に冷たい目をした優矢が見えていた。
「今まで人間の振りをして俺たちを騙していたのか、化け物め」
「違っ……!」
「気持ち悪い、俺たちに近づくな」
「待って……」
「もう2度と俺たちの前に顔を見せるな」
「やだやだ、聞いてよ……ゆや、優矢……お願――」
「お前なんかと友達にならなければよかった」
「っ……!」
雪治は目の前の優矢から発せられる言葉に震えるほど怯え、木刀を捨ててまで縋り付こうとするも、トドメのひと言で伸ばした手が空を切り、ついに膝をついてしまった。
黒い煙のような靄はいつの間にか部屋中に充満していた。それは人の持つ負の感情を増幅させるために幻覚を見せ幻聴を聞かせ、そうして負の感情に支配された人に取り憑く妖だった。
膝をつき俯いて呆然とする雪治に、今度はいつか夢で聞いた神々の声が注がれた。そのどれもが雪治を嘲り笑う声音だ。
「どうだ、人を超えた気持ちは。嬉しかろう、泣いて喜べ」
「所詮お前は玩具なのだ。楽しませてみろ」
「どうした、遊んでいただけて光栄ですと言え」
「汝は神子である限り決して我らに逆らえぬぞ」
「つまり飽きるまで永遠に我らに遊ばれるということだ」
「よかったな、栄誉だぞ」
あまりに理不尽、あまりに傲慢。雪治の心が怒りと憎しみに侵食されていく。それを更に増長させるように笑みを含んだ声が雪治の耳元で囁く。
「酷い、酷いなぁ……神が憎かろう、恨めしかろう」
「憎い……恨めしい……」
じわり、じわり、と空を見つめる雪治の瞳に赤黒い光が混じる。
「人のままで在れる奴らはいいなぁ……羨ましかろう、妬ましかろう」
「羨ましい……妬ましい……」
「ククク……そうだろう、そうだろう……堕ちろ、神子など辞めてしまえばいい」
「神子を……辞められる……」
雪治の瞳がほとんど完全に赤黒い光を宿し、黒い靄が雪治の中へ入り込もうとした。しかしその瞬間、雪治は肩を揺らして笑い出し、靄は雪治の中へ入れなくなった。
「ははっ……はははっ!」
「なんだ!?」
笑い出した上に突然入り込めなくなった靄が動揺した声を上げた。雪治はひとしきり笑うと捨ててしまっていた木刀を拾い、どこか喜色の滲む声で独りごつ。
「はは……俺もまだ、未熟だな」
「なっ!何故だ……!」
木刀を握って立ち上がり顔を上げた雪治の瞳は、もういつもの彼の目だった。先程まで侵食できていたのに、と驚く黒い靄が再び雪治に幻覚を見せるが、雪治は全く動揺しない。
「何故って……そんなの答えは簡単だ。どれだけ神々が憎くても、どれだけその傲慢さを恨んでも、どれだけ友人が羨ましくても、どれだけ人々が妬ましくても……そういう負の感情も全部、俺のものだからだよ」
「は……」
言っている意味がわからないとばかりに靄から溢れた音に、雪治は笑みを浮かべて更に続ける。
「俺のこの身も、この心も……どれだけ神々にいじられても、どれだけ負の感情が膨らんでも……その全てが俺自身のものだ。お前に明け渡すものなど、欠片もない!」
腹の底から出した声と共に雪治は日頃しまい込んでいる霊力を一気に放出させ、雪治を中心として眩い光が部屋を包み、黒い煙のような靄は塵も残らず消滅した。
雪治の放った光は戸の隙間からも洩れ、外からおりんが心配そうに声をかけた。
「雪治?今の光はあんたのだよね……?」
「はい、俺のです。少々疲れましたけど、もう終わりました」
「……よかった」
雪治は木刀を帯に差して戸を開け、心配そうに見つめるおりんを安心させるように笑いかけた。おりんは安堵の息を吐き、甘えるように雪治に向かって両腕を伸ばした。雪治は心得たとばかりに頷き、再びおりんを姫抱きにして、騒ぎと洩れた光で他の屋敷から人が来る前に屋敷から退散した。
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