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「ど、ど、どういう意味……なの?」 「あなただけじゃない。赤坂さんも海堂くんも、三上教授もみんなよ。この世界は全て現実のものではないの。あなたの頭が創り出したものなの」  レイはもう一度僕の頭を撫でた。 「現実のあなたはね、まだ十年前の事故で意識不明になってから目が覚めてないのよ。今もベッドの上で寝たままなの」 「ちょっと待って。じゃああの事故から今日までずっと僕は寝たまんまっていうこと!?」 「ええ。でもあなたは頭の中でこの世界を、そして私を創り出したわ。きっとそうすることで何とか自我を保っていたのね。でもここにきて少し状況が変わってきたわ。現実のあなたが少しずつ目を覚ましつつあるの」  「目を覚ましつつ?」 「最近、足に刺されたような痛みを感じることがあるでしょ? あれは覚醒を促す疼痛刺激を与えられているのよ。それにお母さんの呼びかけも聞こえ始めているしね」 「……」 「ただそれは、別の弊害ももたらし始めたわ。この世界の崩壊というね」 「崩壊?」  僕は慌てて辺りを見回した。 「この世界はあなたの想像によって創られた世界よ。正確には十年前のあなたの想像によって創られているわ。ただ現実のあなたが目を覚ましつつあることで、無意識下に取り入れられた外部の、それも最先端の情報とあなたの十年前の知識をもとにしたこの想像の世界とのバランスが取れなくなりつつあるの」 「……まさかスマホのこと?」 「ええ。あなたは今だに折り畳み式携帯電話を使っているけど、ここ最近、周りでスマホを使う人が増えてきているわよね。十年前の世界しか知らなかったあなたの知識では、本来このスマホの普及した世界を想像するのは難しかったはず。これこそ現実の情報を無意識にフィードバックし始めている証拠よ。あなたは少しずつだけど、周りの見舞客や看護師が持ってるスマホを認識してるの。でも最先端の本物のスマホに触ったこともないあなたじゃ、これ以上スマホの流行っている世界を想像し続けることはできないわ。衛星からの上空映像も、見たことのないあなたには想像できなかったみたいだし」 「スマホを……想像……? この世界はみんな、僕の空想?」 「あなたがあの死蝋の顔を私にしたのは、あなたにとって私こそ唯一不変の存在、不老の証、心の拠り所だったからよ。ところがここでも無理が出始めてきている。小学生の頃ならともかく大人になりつつつあるあなたの心は、もうあの死蝋の存在を論理的に説明できなくなってきてしまったの。自分で自分の考えた設定に矛盾を覚えてしまったのよ。だってそうでしょ? 戦後五年経ってから地下道を発見したGHQが細菌兵器をそのままにしておくはずはないし、ましてや米兵が誰も感染してないのに日本人の女性が感染するはずもないわ。だからあなたの心は、赤坂さんの病気の理由をマラリアということにしたのよ。ところがそうなると、今度は死体そのものが不要になってしまう。三上教授が死体を見ていないのはそういうことなの」  淡々と話すレイを見て、僕は真実を告げるのが彼女で良かったと思った。  彼女の美しさと優しさにずっと救われてきたのだ。 「僕は、ううん、この世界はどうなるの?」 「この世界は、あなたにとって夢の中の出来事のようになるわ」 「じゃあ、レイさんはどうなるの?」 「私は……」  レイは少しだけ微笑んだ。 「ねえ、いつかあなたが大人になった時、心の片隅にまだ私が居てくれてら嬉しいな」 「レイさん、別れたくない……別れたくないよ……」  いつの間にか僕は泣き出していた。  ずっと側に居てくれた彼女の存在がどれだけ僕にとって大きなものだったか、今になれば分かる。  すでに空港はなくなっていた。  僕ら以外の人間はいなかった。  僕とレイだけが何もない空間を漂っていた。 「海斗くん、十年のブランクがあるけどあなたらなら大丈夫よ。この世界のこともいい準備運動になったはずだし。きっとすぐに適応できるわ」  レイは優しく僕を抱きしめた。  僕はそのぬくもりを感じながらも、もう時間があまりないことに気づいていた。  目を覚ますために、僕はそっと目を閉じた。  ただこのぬくもりをずっと感じていたかった。                      Fin
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