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5.
赤坂はテーブルの僕の向かいに座ると、さっそく話し始めた。
「実は担当の三上教授から、卒論に地元にまつわる郷土史を英語で書いてはと言われたんです」
「郷土史……ですか?」
「ええ。最近は外国人でも日本の文化に興味のある人がいるらしく、そういう人達でも読めるようなものをと」
「なるほど。しかし地元の郷土史といっても、このあたりに論文になるようなものがあるのですか?」
僕達の住む市は典型的な新興住宅地がメインだ。おしゃれなカフェや巨大スーパー、博物館や美術館はあっても、特に遺跡の類があるわけではない。せいぜい山の中に旧日本軍の残した研究施設跡があるくらいだが、あれをは郷土史にはならないだろう。その旧日本軍の施設にしても、以前は一般に公開されていたが、結露とカビがすごくて十年前から入場は禁止されている。
「実は最初、この近くにあるという旧日本軍の研究施設を取り上げようかと思ったのですが……」
「このアイドル、郷土史の意味分かってないんじゃないの?」
「レイさん!」
「は? レイさん?」
「あ、いえ。それで?」
「三上教授からは、どうせなら山の反対側に行ってみてはどうかと言われたんです」
「反対側?」
地元のS山はその南側に旧日本軍の研究施設跡地があるのだが、今ではハイキングロードも完備されており、途中途中にはトイレや自動販売機もある。街からのアクセスもよく眺めもいいので、観光客や地元の人達がよく登っている。
しかし反対側の北側は全くの手つかずといっていい状態だった。鬱蒼と木が生い茂った森が連なっており、道らしい道はほとんどない。
「山の反対側には道もなければ、それこそ論文にするような建物も遺跡もないと思いますけど……」
「それが……」
赤坂は少し唇を噛んだ。かなり色っぽい仕草ではあったが、隣でレイが冷ややかな目で見ている以上、迂闊な態度は取れない。
僕は微動だにせず、次の言葉を待った。
「三上教授が言うには、あの山には不思議な言い伝えがあるそうなんです」
「言い伝え?」
「その昔から、山に迷い込んだ人達が森の奥に不思議な家を見つけるんだそうです。あるときはお城のような、ある時は茅葺きの小屋のような。その時によって形は違うんですが、共通しているのは人がいないことなんだそうです」
「僕は子供の時からこの街に住んでますけど、そんな話聞いたことないなぁ」
「私もどうも信じられないんですけど、そういう伝承自体はたくさんあるそうなんです。それを英語で説明してみるのも面白いだろうって。もちろん本物の民俗学者のようには行かないでしょうけど」
「もし見つからなかったら?」
「その時はあるがままを書こうと思ってます」
「それで、僕は何を? 一緒に資料集めをするとか?」
「いえ、そうじゃなくて……今週末、一緒に山に来てほしいんです。フィールドワークについてきてください」
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