十二話

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十二話

ーー翌日。  レンブラントは祖父のダーヴィットと共に、フレミー伯爵家の屋敷を訪れていた。 「わざわざご足労頂き、ありがとうございます」  屋敷に着くとティアナが出迎えてくれた。彼女に案内されて後について行く途中、渡り廊下に差し掛かり庭が視界に入る。レンブラントは、思わず足を止めた。魅入ってしまった……。自邸であるロートレック家の庭は腕の良い庭師が管理しており常に美しく保たれている。だがそれとはまた別物に思えた。まるでこの庭だけが世界から切り離された異空間の様な、この世の物とは思えない美しさを感じる。 「美しいな」 「祖母が何より大切にしている自慢の庭なんです」  祖父の呟きに気が付いた彼女は、歩みを止め振り返ると笑った。 「不思議だ。初めて来た筈なのに懐かしい……。昔、彼女と出会った教会もこんな風に花が咲き乱れていた」  普段なら人の馴れ初め話など全く興味がないが、何故か妙に気になった。だがダーヴィットはそれ以上何も話す事はなく、暫く立ち尽くし庭を眺めた後、また歩き出した。 「お祖母様はどう」  ロミルダの部屋は、日当たりが良く、日差しが差し込み部屋を照らし出していた。少し開いた窓から涼やかな風が入りカーテンを揺らしている。窓際やテーブルの上、ベッドの脇には美しい花が飾られており、先程見た庭と重なって見えた。 「朝から眠られたままでございます」  侍女は丁寧にレンブラントやダーヴィットにお辞儀をすると、静かに部屋から出て行った。  部屋の奥には大きなベッドが見える。そこには色白で白髪混じりの暗い金色の髪の初老の女性が眠っていた。ティアナは、ロミルダの様子を心配そうに伺い見ている。 (彼女が、ロミルダ・フレミー……)  ダーヴィットはゆっくりとベッドへと歩み寄って行くと、代わりにティアナはベッドから静かに離れると、レンブラントの隣に並び、その様子を見守る。 「……ィット、ダー、ヴィット」  昼間だというのに静か過ぎる部屋に、ロミルダの苦しそうな声だけが聞こえていた。 「ロミルダ……」    倒れ込む様にして床に膝をつくと、力なく投げ出されているロミルダの手を握り締める。 「ロミルダ、私だ。ダーヴィットだ。私は、ここにいる、ロミルダ……ロミルダ」  ダーヴィットが幾度となく、必死に彼女に呼び掛け続けていると、ピクリと身動ぐのが見えた。 「…………ダーヴィット、様?」 「ロミルダ! あぁ、そうだ、私だ、ダーヴィットだ、分かるか」  ゆっくりと瞳を開くロミルダに、何度も頷きながら手をキツく握り締めダーヴィットは笑った。その姿にレンブラントは目を見張り呆然とする。 「私は……夢を見て、いるのかしら……」 「夢じゃない、ロミルダ。 君に会いに来たんだ……。ずっと、ずっと、君に会いたかった……」 「本当に、ダーヴィット様……なのですね」  微笑むロミルダの瞳からは涙が溢れ出る。それをダーヴィットが優しく指で拭った。 「私も、ずっと貴方に、お会いしたかった……」  ロミルダが空いている逆側の手を震わせながら伸ばし、ダーヴィットの頬に触れると、目を閉じ甘える様にして頬を彼女の手に擦り寄せていた。 「ロミルダ……。この四十四年の間、君を忘れた事は一瞬たりとも無かった……」 「私も、です……貴方を、忘れた事はありませんでした……」  四十四年の歳月など嘘の様に、二人は自然と寄り添う。まるで愛し合う恋人の様に……。 「ロミルダ、気掛かりだった事があるんだ」 「はい……」 「君は……幸せだったか」  ダーヴィットの問いに、一瞬ロミルダは目を見開き直ぐに細めた。 「とても、幸せな人生でした……。貴方は、幸せでしたか……」 「あぁ……私も幸せな人生だったよ」  嘘だ。祖父は嘘を吐いている。何故なら、あの祖父が笑っているからだ。生まれて初めて見た、祖父の笑顔。嬉しそうで、幸せそうに愛おしいそうに彼女を見ている。  今なら分かる。何故祖父は何時も無表情で寡黙だったのか……。それは本心を隠す為だ。他人(ひと)に本心を暴かれるのが怖かったのだろう。だが、今はその仮面を被る必要はない。 「ただ……寂しかった。君がいない人生は、どうしようもなく、孤独だった」  祖父は気付いているだろうか、矛盾している事を。レンブラントの中で、幸せと孤独は共存をしない。多分大半の人間が同じだろう。孤独だった……これが祖父の全てだ。  複雑な思いに駆られた。祖父にとって妻や息子、孫とは、家族とは一体どういった存在なんだろうか……。そんな下らない事を考えている自分がいた。 (甘いな……自分も、まだまだ未熟者だ)  貴族として生まれたならば、家族など家や血を受け継いでいく道具に過ぎない。愛なんて、そこにはないし、求めるべきではない。これまで祖父が誰を愛し想い生きてきたとしても、それを責める事など誰にも出来やしない。 「ダーヴィット様……」 「ロミルダッ、私は今でも君を……」  そこまで言い掛けたダーヴィットの唇に静かにロミルダの手が触れ、彼女はゆっくりと首を横に振った。 「ロミルダ……」 「貴方が、今ここに居て、くれるだけで……私は十分、です……。ダーヴィット、様、これからも、貴方は貴方の家族、を、大切に……なさって下さい……」  段々とロミルダの声が擦れて小さくなっていく。ダーヴィットは首を横に振り取り乱しながら、彼女を掻き抱いた。 「ロミルダッ」 「ダーヴィット、様……最期に、貴方に……もう、いちど、会え、て…………よかっ……わた、し、しあ、わ……せで……」 「ロミルダッ! 逝くなっ、ロミルダッ‼︎ 頼む……頼むよ……」  動かなくなったロミルダに縋り付くダーヴィットを暫し呆然として見ていたが、レンブラントは我に返り慌てて扉に向かった。医師を呼ばなくては、今ならまだ間に合うかも知れない、そう思った。だが、扉を開けようとする手を掴まれた。 「ティアナ嬢……?」  彼女は、真っ直ぐにレンブラントを見ながら首を横に振った。それを見たレンブラントは目を見開く。 「何故、今ならまだ間に合うかも知れないっ、直ぐに医師を連れて……」  戸惑いながら説明をするが、それでも彼女は首を横に振り続けた。訳が分からない。頭が混乱して、彼女に対して怒りすら覚える。 「君はお祖母様が大事じゃないのか⁉︎ このままだと死んでしまうんだぞ⁉︎」  頭に血が上り興奮してしまい思わず声を荒げた。らしくない。だが、あんな光景を見せられて、このまま何もせずにはいられなかった。 「……このまま、死なせてあげて下さい」 「っ……」  彼女はそう言いながら、未だにロミルダを抱き締めているダーヴィットを見た。 「お祖母様は、もう半月も生きられません。ならこのまま死なせてあげたいんです。今、お祖母様は、とっても幸せなんです」 「いや、しかし……っ」  そこまで言ってレンブラントは口を噤んだ。その理由は、彼女が穏やかに微笑みながら、二人を見ていたからだ。だからそれ以上何も言えなかった。  
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