第4話 猫の足跡を追って(5)

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第4話 猫の足跡を追って(5)

 窓硝子の向こうで、風が流れた。  白く幽玄な花びらが、夜闇に浮かび上がる。ちらり、ちらり、(あで)やかに踊る。  桜の木が根を下ろしているのは、広い庭の向こう側であり、枝はここまで届きはしない。  それでも、この庭で花びらが舞っているのは、いたずらな春風がさらってきたからである。  そして、窓硝子のこちらでも――。  舞い込んできた小鳥が一羽、自分の置かれた状況を理解できず、小首をかしげていた。 「お前は、誰のシナリオで踊っているんだ?」  しなやかで鋭い、獲物を狙う猫のような瞳で、ルイフォンは尋ねた。 「え……?」 「『花嫁』のお前が凶賊(ダリジィン)の毒牙にかかろうとしているんだぜ? おかしいだろ?」 「あっ……」  メイシアは小さく叫び、口元を抑えた。  まさに、ルイフォンの指摘通りだった。  厳月家がメイシアを花嫁として迎えたいのなら、彼女が凶賊(ダリジィン)の屋敷に行くなんて、言語道断だ。 「事態は厳月家のシナリオ通りに進んでいない、ってのが、分かるよな?」 「はい」 「じゃあ、どこから変更されたのか?」  ルイフォンは両肘をテーブルに付き、組んだ両手の上に顎を載せた。端正なはずの顔は、獲物を追い込んでいく獣の顔になっている。メイシアは無意識に身を引きながら推測を口にした。 「私が、この屋敷に来たところから――、……いいえ、違う」 「ああ、違うな」  言いかけた意見を取り消したメイシアに、ルイフォンが同意する。 「父が斑目一族のところへ行ったところから、ですね」 「おそらく」  そう、鋭い声がメイシアに応じた。 「厳月家は、お前の父親から『お前を嫁に出す』という約束を取り付けたかったはずだ。もしくは、衣装担当家の辞退。どちらにせよ、お前の父親が家から出るなんてことは望んでいなかった」  ルイフォンは、癖のある前髪をくしゃりと掻き上げた。 「メイシア、そろそろ、お前の知っていることを話してくれないか? 〈(フェレース)〉は議事録や通信記録を荒らすのは得意だが、現場のことは何ひとつ見ていないんだぜ?」 「え? 私の知っていること?」  メイシアは目をぱちくりとさせた。  知っていることなどなにもない、と言いたげな彼女に、ルイフォンは噛み砕くように言う。 「まず教えてくれ。お前の父はどうして斑目の屋敷に行くことになったんだ?」 「すみません。私も詳しい経緯は知らないのです。ただ、父が単身、斑目一族の屋敷に行って囚えられてしまった、とだけ、継母から……」 「ふむ」  顎を触りながら、ルイフォンは思案する仕草を見せた。  メイシアもまた思考を巡らせ、継母から伝えられたときのことを思い出す。 「――父がひとりで行動することはありません。警護の者がつくはずです。継母も行き先を知っていたことから考えると……斑目一族に、ひとりで来るように指示された……?」 「その可能性が高いな。ということは、今のシナリオは斑目のものだ」  そう、ルイフォンが断定した。  大きく遠回りをして、また振り出しに戻ったようである。結局のところ、メイシアの敵対する相手は斑目一族ということらしい。 「斑目が厳月家を裏切ったな」  ルイフォンが吐き出すような溜め息をついた。  彼は、くしゃくしゃと前髪を掻き上げたかと思ったら、その手で額を抑えた。そのまま音を立ててテーブルに肘をつき、頭を抱える。そんな彼の行動は、メイシアの目には奇妙に映った。  いったいどうしたのだろう、と不審に思う彼女の顔を、彼がちらりと伺う。彼女を見る目は、どこか申し訳なさそうで、わずかに憐れみも混じっていた。 「もう一度、訊く。どうして、お前は鷹刀に来たんだ?」  ルイフォンは体を起こし、問い質すように尋ねた。  メイシアは、はっと顔色を変えた。あの女の出現が偶然などではない可能性に気づき……次の瞬間に可能性は確信に変わった。 「……人に、聞いたのです。『凶賊(ダリジィン)に対抗するなら、凶賊(ダリジィン)を頼るしかない』と」  メイシアの声は震えていた。  ルイフォンの目がすっと細まる。 「『誰に』、聞いたんだ?」 「継母のところに出入りをしている仕立て屋です。『裕福な凶賊(ダリジィン)の屋敷にも出入りしているから、彼らの性質はよく知っている』と言っていました」 「その仕立て屋の名は? お前のよく知っている奴なのか?」 「ホンシュアという名で、私は初めて会いました」  仕立て屋らしく、体にぴったり合った上等なスーツを着こなしていた。隙のない立ち姿に、ねっとりと絡みつく蛇ような目線。綺麗に引かれた真っ赤な口紅は血の色を思わせた。  継母の採寸に来たのだが、来客中だったため庭で時間を潰しているところだと、彼女は言っていた。 「『斑目一族に対してなら、敵対している鷹刀一族に力を借りればいい』と彼女は言いました。『凶賊(ダリジィン)は互いに潰し合いたがっているから、きっと喜んで手を貸してくれる』と」  そこでメイシアは言葉を切った。ルイフォンが気を悪くするかと思ったのだ。  案の定、彼は眉を寄せていた。けれど、続きを促すように目が指図する。 「『私には財産を動かす権利はない。だから雇うことはできない』と言ったら、『女なら、できるでしょう? 男たちには使えない方法が、ね? 特に鷹刀一族なら、そっちのほうが喜ばれるわ』そう教えられたのです」 「…………」  ルイフォンは再び頭を抱えていた。 「ルイフォン……?」 「……ああ、いや……。親父の奴、嵌められたな。と、なると、エルファンとリュイセンが出掛けている隙だってのも、計算のうち……」  ぶつぶつ言いながら、ルイフォンは頭を掻きむしっていた。 「あの……。ホンシュアは斑目一族の手先だった、ということでしょうか?」  緊張の面持ちでメイシアは尋ねる。  彼女とて、ホンシュアが善意で物を言っているとは思っていなかった。だが単に、対岸の火事を楽しんでいるだけの輩に見えたのである。 「確証はないが――十中八九、間違いない。お前は斑目によって、意図的に鷹刀に送り込まれたんだ」  ルイフォンが盛大な溜め息と共に、結論を吐き出した。彼は隣りに座るメイシアに、なんとも言えない顔を見せる。 「ひょっとしたら、藤咲家は、鷹刀と斑目の抗争に巻き込まれただけかもしれない。……すまない」 「いいえ。この状況に陥ったのは藤咲家の落ち度です」  頭を下げるルイフォンに、彼女は首を横に振った。彼女の白磁の肌は透き通るようで、黒絹の髪は濡れたように(つや)やか。まだ少女の面影を残しつつも、花開く直前の危うい美しさを秘めた彼女は、とても生身の人間には思えなかった。  彼女は、穢れのない綺麗な――『人形』だった。  ルイフォンは、ふと窓の外に目をやった。  外灯が青白く照らす庭の中で、桜の花びらが、ひらひらと舞っている。今日は風が強いらしい。花の盛りも、あと数日といったところだろう。  「――だが、どうして斑目は、厳月家を裏切ってまでメイシアを送り込んできたんだ……?」  そう呟くルイフォンに、メイシアは答える言葉を持たなかった。
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